「TOKYO2020」の傷跡。

先月くらいからくすぶっていた”疑惑”は、今週、関係者逮捕という事態を経て連日報じられる「事件」となった。

東京五輪組織委員会元理事に対する金銭の授受。

今のところ、受託収賄の嫌疑をかけられている元理事側はもちろんのこと、贈賄側も賄賂性の認識については争っている、という状況のようだが、その内容が報道されているように「みなし公務員だったとは知らなかった」というレベルのものなのだとすれば、半ば”自白”しているに等しい。

民間車検場の職員から、空港の調達契約の窓口となる職員まで、金銭を交付した相手が「みなし公務員」であることを知らなかった、という主張が被告人の側からなされた裁判例は検索すれば出てくるが*1、そこで裁判所が下した判断は「法の不知に過ぎない」と切り捨てるか、「違法の実質を基礎付ける事実の認識はあった」として故意責任を認めた、というもので*2、今回も、これが責任ないし違法性を阻却するレベルの大論点になるかと言えば、正直疑わしいところはある。

そして、コンサル契約に基づく金銭の支払いの存在と、それとのバーターであることを推認させる具体的な内容を記載した「要望リスト」が証拠として押さえられ、かつそこで書かれていた事柄が大方実現していたのだとすれば、捜査側が犯罪の証明に向けて描くストーリーに疑いを差し挟ませるのは、相当骨が折れる苦行になりそうである。


こういう話になったから言うわけではないが、先の五輪の前、公式スポンサーの顔ぶれを眺めた時から「なぜAOKIなのだろう?」という疑問は正直あった。

「ビジネス&フォーマルウェア」というカテゴリーでの契約、と発表されていたが、衣料品に関していえば、この国にはより規模が大きく、ブランド力もある会社がいくつも存在する。

日本の看板として掲げるなら、「世界のユニクロ」だろうし、”フォーマルウェア”というところにこだわるのなら、一流百貨店を前面に出しても良かったはず*3

それなのに、そこで「AOKI」という庶民にとっては馴染みがあるものの、高級感や国際性という点ではそれほどでもない会社が、一番下のカテゴリーとはいえ「スポンサー」の地位に収まっていた、というやや違和感のある景色。

「事件」化して以降、連日続いている報道の中には、今回被疑者となっているAOKI HDの創業者(前会長)が「五輪ビジネス」に関心を抱くようになった経緯を描くものもいくつかあり、その中に「創業の地・長野で開催された五輪を見て・・・」というくだりが出てきて、思わず納得させられたところはある。

不覚にも自分は今の今までかの会社の創業の地が長野市であることを知らずにいたのだが、この話を聞いて思い出したのは、篠ノ井バイパス沿い、旧オリンピックスタジアムの至近にそびえたつロードサイド型のAOKIの大型店舗。そして、四半世紀前、全国的な紳士服チェーンとして地位を確立しつつあったアオキインターナショナルの創業者が、生まれ故郷の熱狂に接してどんな思いに駆られたか、ということを想像して、不覚にも胸が熱くなったことは否定しない。

だが、本来なら美談になっても不思議ではなかったこのエピソードも、遺憾ながら、今や「犯行の動機」でしかなくなってしまった・・・。。


AOKI HDがオフィシャルサポーターとしての契約を締結したのは2018年10月で、その上のカテゴリーのスポンサー契約と比べると時期的に2~3年は遅い。
当初は2020年に行われる予定だった五輪だから、この時点で本番まで1年半ちょっとしかないわけで、「五輪までに売ってナンボ」の公式ライセンス商品を製造して販売ルートに載せるには時間が足りなすぎる。

だから、一足先に「内定」の言質をもらって、公式グッズの生産を前倒しで始めたとしてもそれを責めるのは、あまりに気の毒な所業だと個人的には思う。

また、一部のメディアでは、早期に商品のライセンスが承認されたことで、AOKI HDが多額の利益を得たかのように報じられているが、自分は知っている。

新型コロナの最初の波が首都圏を襲い、五輪が一度幻と消えた後、近所のAOKI の大型店舗の売場の片隅で、誰の目に留まることもなく置かれていた五輪印のネクタイがあったことを・・・。

「在宅」ワークが一気に普及し、それまで稼ぎ頭だった「スーツ」の売り上げが蒸発してしまったかの会社にとって、「五輪」にちなんだ”フォーマル”な売り物の存在など、何の慰めにもならなかったことだろう。

そもそも新型コロナがなくても、「五輪」は本当にかの会社にとってポジティブな要素だったのだろうか?

”中の人”の心情を想像しつつ呟くなら、

「オーナーが五輪のスポンサーになりたいとか言い出したぞ。ゴルフの協賛だけにしときゃいいのに困ったな・・・」
「なんかよくわからんおっさんの会社に月100万も払えって指示が来たぞ。とんだぼったくりだな・・・」
「あー、とうとうスポンサーの話が決まっちゃったみたいだ。まけてもらったらしいけど、それでも大金だな。どうせ出すなら、組織委にはちゃんとやることやってもらわないと困る。要望項目のリスト作って会長から渡してもらおう!」
(以上はフィクションであるが、巷でよくありがちな話を参考にはしている。)

といったところで、それでもハレの日を迎えた時は舞台を支えた者としての高揚感は味わえるだろう、と思っていたら、一年延び、無観客となり、スポンサー関係者が堂々と胸を張れる機会もなかなかめぐってくることはなかった、という無念。そして1年後のこの出来事。

まだ捜査は続いている。まだ報じられていない出来事の中にこれから明らかになる「事実」が眠っていても不思議ではない。

だから、本件被疑事実そのものへの評価について現時点でとやかく言うことは避けるが、東京開催が決まってからの8年の時の中で、自国開催のイベントでその商業的利権の一部を特定の会社に「独占」させることの弊害、さらにその「独占」させるプロセスをわずか一社だけが「独占」しているというより大きな弊害を明らかにした、という点では、コロナ禍と並んで、悲劇もまた希望の礎たり得るのかもしれないな、と思ったりしている。

多くの人々が流した無念の涙が、いつか報われる日が来ることを、今はただ願うのみである。

*1:東京地判平成14年12月16日、東京地判平成30年5月7日など。

*2:そもそも「知らなかった」という事実自体を否定した判決も多い。

*3:百貨店は「小売」というカテゴリーでスポンサーに加わることは困難だが、衣料品のサプライヤーという立場なら入り込める余地はあったはずだ。

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