グループリーグ初戦でドイツに逆転勝ちして勢いに乗るチームと、スペインに大敗して戦意喪失しかかっていたチーム。
2戦目にこの2つのチームが対戦する、と聞けば、ほとんどの人が前者の勝利を予想する。
だから、日曜日の夜は、多くの人々が日本代表の勝利を信じて疑っていなかったように見えた。
23日のドイツ戦の報道を見るまでサッカーのW杯なんてものに全く興味がなかった人々も、最終予選で森保監督の采配を酷評していた人々も、宗派を超えて・・・というか、むしろそういう人々ほど、”乗り遅れた”悔しさを取り戻そうとするかのように勝手に代表チームの必勝ムードを煽っていたような気がする。
だが、一家団欒のゴールデンタイム、うまくいけば商業的にも絶好のコンテンツになるはずだったグループリーグ2戦目は、
世紀の凡戦
に終わってしまった。しかもたった一つの勝ち点さえも得られずに・・・。
もちろん、コスタリカは決して弱いチームではない。
北中米カリブ海予選で最下位に終わり、大陸間プレーオフで本大会に出場した、という「経歴」が評価を低くしていたところはあるが、当の予選の戦歴を見れ
ば、今年に入ってから、パナマ戦での勝利を皮切りに、メキシコ戦の引き分けを挟んで最後は怒涛の4連勝。1巡目の対戦では敗れたカナダ、アメリカにも、ホームゲームできっちり仕返しをして、トップのカナダとは僅か勝ち点3差のところにまで迫っている。
ニュージーランドに1-0で勝利したプレーオフにしても、一見すると辛勝だが、前半3分に先制し、その後は7割近いボール支配と15本のシュートを浴びつつも無失点で抑えきった、と聞けば、見方は大きく変わる。
日本選手の視点で試合を追いかけていると「攻めあぐねた」印象がどうしても強くなりがちだが、5バックの守備陣は見た目以上に堅固で、しかもちょっと気を抜けば逆襲に転じられるだけのテクニックもスピードも兼ね備えていたからこそ、攻めきれなかったところは当然ある。
日本が、守備陣のミスの連鎖で交通事故のような失点を先に喫してしまったために、最後までコスタリカの「本気の攻め」を目撃することはできなかったが、仮に日本が先制していればしていたで、同点、逆転の危機を感じながら、その後の時間帯を眺めなければいけない展開になったことは想像に難くない。
ただ、そんな「正論」を並べるのが許されないくらい、あの試合は、あまりに弛緩しすぎていた。
日頃サッカーの試合など見ない、日本代表のこれまでの戦いにも大して関心を持っていなかった人々があの試合を見れば、明らかに幻滅しか生まれない。
だから、今後のプロモーション的要素まで考慮すると、「ただの1敗以上に大きな負け」になってしまったことは否定できないのかもしれない・・・。
敗戦から一夜明ければ、聞こえてくるのは、良くて監督の選手起用への批判、ひどいものだと日曜日にフィールドに立っていた選手たちへの罵詈雑言、といったものばかりである。
つい5日前には、選手たちも監督も、「神」とばかりにあちこちから絶賛されていたのに、それが一瞬でバッシングに変わってしまうのが現代の怖さ。
最終予選の序盤やそれ以前、さらに一回り弱い相手を崩せなくてファンを苛立たせていた頃の代表に比べれば、今のチームは格段にレベルアップしていると思うし、特に欧州のクラブで出番を掴みとった若い選手たちの伸びしろのおかげで、W杯に出場した歴代代表チームの中でも最もレベルが高い水準に来ているのが今の日本代表チームなのに、そこで酷評されてしまっては・・・というところではある。
だが、それも含めてサッカーという文化が育まれてきたこともまた事実で、それをひっくり返すためには結果を出すしかない、というのが万国に共通する現実でもある。
もう何大会も、「ドーハの悲劇」の前から代表チームを見続けている者にとっては、これも大きな大会でよくあるエピソードの一つに過ぎないし、初出場以来、6度のW杯で繰り返されてきたサイクルがすっかり身についた者としては、4年前から「次に決勝トーナメントに行けるのは2026年」だと思っていたから、このまま大会から自国代表が去ったとしても、さしたる感慨を抱くことはないだろう*1。
ただ、あまりに悲観的過ぎる予測は真ならず、ということと、「勝ち、後、負け」という12年前と同じパターンの後に何が訪れるのかを想像する楽しみはまだ残っている、ということだけは、ここで強調しておきたいと思っている。