W杯予選はこうでなくちゃ。

地上波での中継がなくなった今回のW杯アジア最終予選

第3節となったサウジアラビア戦も、日本時間で午前2時だったキックオフの時点ではまだ起きていたのだが、出だしの日本代表のスタッツが芳しくなかったこともあり早々に寝た。そして起きてみたら、案の定負けていた。

試合後のスタッツだけ見たら、完全アウェーの状況で戦ったにしてはまぁまぁ互角だったんだな・・・と思う一方で、テキスト速報からは悲壮感が漂ってくるし、それでいて選手交代のタイミングも、交代のパターンも今ひとつに見える。そして何より、点の取られ方が良くなかった・・・。

いつもならじっくりとチームを練り上げていく期間が新型コロナ禍で失われ、戦力を底上げするはずのU-23世代との融合も東京五輪が一年遅れたことで十分に図れているとはいえない。地元の五輪を必死で勝ちに行き一定の成果を上げた代償として、元々A代表でも活躍していたU-23世代や、オーバーエイジ枠で起用した3選手のコンディションが決してベストではない、ということも、ここ数試合の結果には確実に影響しているような気がする。

最初の3試合で「勝ち点3」しか取れない、という惨状に、これまで「そうはいってもアジア予選なら何とかなるだろう」と、良くも悪くも関心薄めだったメディアの論調は一気に厳しくなり、試合のたびに「W杯絶望」とか「監督解任」といったトーンの記事も出てくるようになってきた。

個人的には、今の森保監督は、クラブチームの日本人監督の中では間違いなく歴代最高レベルの指導者だと思っているが、代表選手たちの活躍のフィールドが世界中に広がっている今の時代の代表監督に求められるものは、クラブでのそれとはかなり違っている。そして何よりも、今は一試合一試合の結果が全て。

五輪でも選手起用や采配でしばしば注文が付いた監督にこのまま託して大丈夫か?という疑問は、当然出てきても不思議ではない。

ということで、ここしばらくのW杯最終予選ではなかったようなスリリングな事態になっているのだが・・・


個人的には、この展開、見れば見るほど、1997年に似てるな、と思う。

12002年の地元開催を前に、何が何でも一度は出場しておかねば!というプレッシャーの下で行われたフランスW杯予選。

あの時は同じ組に5チーム、今回は6チームで、結果、試合数も異なるが、比較的日程に余裕を持って組まれていた*1ここ最近の最終予選とは異なり、大会前年の9月に始まって、短い間隔で一気に試合を消化していく、という展開はまさにあの時のそれ。

しかも、最初の3試合で1勝しかできず、同組1位、2位のチームに水をあけられて非難囂々となったところも見事にラップする。

異なるのは、組の中で2位以上になる必要があった97年とは異なり、今回は「3位」でもプレーオフに回れる、ということ。
短期間集中とはいえ、今回は年内の試合は第6節までで、そこから第7節までに2か月も空く、ということ。

そして何より、あの頃に比べれば、世の中で結果を気にしている人は遥かに少ないように見える、ということだろうか。

最後の点に関しては、よく言えば、あの予選を勝ち抜いて出場した98年を起点に積み重ねた6度のW杯出場の歴史が日本人を成熟させた、ということになるのだろうが、その一方で「予選は勝って当たり前」というマンネリ化した思考とプロサッカーそのものへの関心の薄れが国民を鈍感にしている、という見方もあり得る。

それまで夢物語でしかなかった「W杯出場」への国民の熱情が本格的に燃え始めたのは、Jリーグ開幕からドーハの悲劇まで一気に詰め込んだ怒涛の93年。その後、W杯共催という屈辱的な決定やマイアミの奇跡、といった出来事を経て、97年の9月、当時の国立競技場で最終予選が始まった時には、それは燃え盛る“業火”となっていた。

だから、当時の標準的な応援者は、紙吹雪が舞う初戦の大勝に心沸きたったかと思えば、1か月も経たないうちにホームの韓国戦で逆転負けを食らって打ちひしがれ、”スタン”な国々での深夜のアウェー連戦を祈るような思いで眺め、さらに「自力通過へのラストチャンス」と信じたホームのUAE戦を引き分けたことで生卵を投げた*2

自分自身、あの頃はまさに「ドーハ」からの流れの中で一介の代表サポとして一喜一憂していて、「今回は行ける」→「あれどうした?」→「これはまずい」→「もうだめだ」と、試合のたびにくるくると変わる感情に翻弄されるしかなかった。

結果的には、もはや諦めて試合を見る気力すらなく出かけた競馬場で「アウェー韓国戦奇跡の勝利」を知り*3、それからわずか2週間程度で、例のジョホールバル・・・という驚天動地の展開になったわけだが、”たかがサッカー”であそこまで激しい感情の揺れを経験したことは、その後今日に至るまで、たぶん一度もない・・・。

そういった歴史と共に歩んできた者としては、今回の最終予選での”停滞”を懐かしく感じるとともに、「まだまだ物足りない!」というのが正直なところ。

3試合終わって1勝2敗、という戦績は、97年最終予選の出だし以上に芳しくない(あの時は1勝1敗1分)*4一方で、冷静に考えれば今回は「あと7試合」もまだ残っている。しかも、「グループ3位」でも次があるから、折り返しのオマーン戦さえしっかり勝てば、まぁ何とかなりそうなところでもある。

ただ、「W杯に出ること」のありがたみに鈍感になっているこの国に刺激を与えるには、まだまだ「よりインパクトのある負け」があっても良いはず。

そして、もつれにもつれた結果、来年3月、コロナも明けた日本中の街中のパブリック・ビューイングで、久々に沸き上がる怒声、歓声の中、7度目の出場を決められることになれば、あまりに美味しすぎる展開である。

仮に薬が効きすぎた結果「日本代表のいないワールドカップ」になったとしても、それはそれで2026年に向けて盛り上がるから良いではないか!などと言ってしまうのはさすがに悪ノリが過ぎるのかもしれないが*5、いずれにしても、まもなく「100年構想」の30年目、成熟の奥底にある「熱」のボリュームが試される時だけに、これからのスリルをもう少し楽しんでみることにしたい。

(追記)↓は4年前のW杯予選の時の記事だけど、今こそ、ということで・・・。ちょっと泣けます。
www.soccer-king.jp

*1:本番の1年以上前に出場決定、という大会もあった。

*2:厳密には生卵を投げたのは一部の暴徒だけだが、自分も含め、日本のW杯出場を信じて疑わなかったサポーターが、あの日、あの試合を見た後にその場にいたら、まず間違いなく同じ衝動に駆られたと思う。あるいは腰が抜けて動けなくなったか・・・。

*3:確か、レースの合間でオーロラビジョンに「速報」で流れたような気がする。

*4:ついでに言えば次のオーストラリア戦もおそらく今の代表チームだと、どうやっても勝てる気がしないので、良くて勝ち点4、悪ければ3のまま、ということでこれまた97年より状況が悪化するのは避けられない気がする。

*5:個人的には、これまでの経験の中で、「どこの国の試合でもサッカーは面白い」ということを嫌というほど知ってしまっているだけに、別に日本代表がいなくてもいいじゃん、と思うところはあったりもするのだが・・・。

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