いわゆる知財系の法律家の中には、
技術系のバックグラウンドを持っている方が多い。
特許を手がける弁理士の多くは技術系学部の出身だし、
弁護士の中にも、メーカー在籍中に独学で司法試験に受かった方は結構いるし、
最近では、理系学部在籍中に受かってしまった若手の弁護士も多い。
そういうバックグラウンドを持つ方が、
「裁判所は技術に疎い」
「技術を知らない裁判官が判決を書くから、おかしな結論が出る」
「特許をめぐる訴訟では、得てして判決が真実から乖離しがちだ」
などと言うと、
聞いているほうは、思わず「やっぱりそうなのか・・・」と、
納得してしまいがちになる。
だが、冷静に考える。
そもそも民事訴訟は「真実」を明らかにする場なのだろうか?
刑事訴訟であれば、終局的な目的は実体的真実の発見にある、
とされているから*1、
上のように言っても良いだろうが、
民事訴訟の目的は、あくまで当事者間の私的紛争の終局的な解決にある。
そして、そこでは公正さや信義誠実が求められることはあっても、
得られた結果が「実体的真実」そのものであることは
求められていないように思われる。
元来、知財紛争においては「真実」自体が相対的なものである。
被告製品が原告特許の構成要件を充足するかどうかは、
その態様から客観的に明らかになるものではなく、
あくまで、クレーム解釈という主観的な判断を経て決定されるものに過ぎない*2。
原告にとっての「真実」と、被告にとっての「真実」が異なる以上、
裁判所が言い渡した判決のみが唯一の法的な「真実」となる。
それを受け入れられない者には、
司法制度を利用する資格はないといっても良いのではないか。
訴訟は、技術の価値を鑑定する場ではない。
訴訟は、あくまで当事者の主張の優劣を競う場である。
だから自分は、
「技術的見地」から裁判所の判決を論難する言説の多くに違和感を感じている。
さらに言えば、
「裁判所は技術を知らない」という弁理士の中には、
まともな準備書面一つ書けない者までいる。
自分のクライアントの主張を適切に構成できなければ、
いかにクライアントの技術が優れていても、
訴訟で勝てるはずがない。
それが現実である*3。
以上、自分が担当している訴訟が敗色濃厚となっているがゆえの
グチに過ぎないのではあるが・・・(笑)。
「先生、お願いですから裁判所の批判する前に、ちゃんと書面書いてください・・・(涙)」