籠の中の鳥が、どんなに美しい声で鳴くことのできる鳥でも、
自分が鳴きたい時に鳴けない鳥は、悲しい存在に過ぎない。
籠の中の鳥が、どんなに周囲から賞賛される血筋の良い鳥であっても、
自由に飛び回ることができない鳥なら、
やはり悲しい鳥でしかないだろう。
本当に鳥を敬う気持ちがあるのなら、
鳥の些細な鳴き声や、一挙一頭足を見て
ぎゃあぎゃあ騒ぎ立てるのではなく、
少しでも、鳥が自由な空気を吸えるような環境を
整えてやることを考えるべきだろう。
ミーハーな“祝福”は、“罵声”と紙一重であることを、
責任あるメディアは、自覚すべきだろう・・・。