「法科大学院出でて研究会亡ぶ」といったは誰か?

ボツネタ(http://d.hatena.ne.jp/okaguchik/)経由で盛り上がっている、
法科大学院のせいで法学者の研究活動に支障が出る」か?というネタだが*1
個人的には、何でもかんでも“法科大学院のせい”にするのはどうかと思う。


元々、名前のある大学の先生方は、
講義や研究科内の事務もさることながら、
審議会やら研究会やらで忙しい。


学生時代は、自分が講義を受けている時間以外に、
担当教授が何をしているかなんて、知らなかったし興味もなかったが、
卒業後に恩師のスケジュールを聞いて、
(当時社会人になっていた)自分でも、仰天した記憶がある。


法科大学院ができたことによって、変わったことがあるとすれば、
担当するコマ数が増えたことによる“拘束時間”の増加くらいではないだろうか。


学部の講義に関しては、綿密な準備をする先生でも、
院生向けの講義だのゼミだのに関しては、
比較的ルーズだった方は少なくないように思う*2


それが、法科大学院ができたことによって、
“研究のための示唆を得る時間”が、純粋に“教える”時間に変わり、
その分、重い“拘束時間”としてのしかかってきたものと推察する。


だが、これまでとは研究生活のパターンが変わった、というのが、
先生方にとって重大な問題だったとしても、
それをもって「法科大学院制度が悪い!」と主張するのは、
今、法科大学院で学んでいる学生にとってあまりに気の毒な話である。


これは、子供を産んだ親が、生まれてきた子供に向かって、
「お前なんて産まなければ良かった!」というのに等しい。


皮肉なことに、今の日本の法学者の世界で、
コンスタントに著書を出し、論文を書かれている先生の多くは、
元々、多忙を極めている先生方である。


少ない時間の中で、「どこにこんなバイタリティがあるのだ?」、
と思わせるような活躍ぶりで、堅実に“業績”を残されている*3


元々細々とした講義やゼミや学内雑事以外に、
これ、といった仕事を持っていなかった先生方にとっては、
少々“仕事”が増えたところで、上記“一流”の先生方には及ばないか、
せいぜい追いつく程度であろう。
だとすれば、それをもって、「研究に支障が出る」というのは失当だろう*4


そもそも、法科大学院ができれば、
自分の“自由時間”が減るのは、目に見えて分かっていたことではないか。
だとすれば、当の先生方は、法科大学院の構想ができた段階で、
どのような姿勢をとっていたのか?
それこそが、問われてしかるべきだろう。


総論賛成(職は増えるし、大学も潤って給料増えるだろうから歓迎)、
各論反対(自分の研究時間が減るのは嫌だ)、
といった姿勢でグチをこぼす師の姿を、
教わっている学生たちが、どんな目で見ているか、
よく考えてから、ご発言いただかなければ、
狭き門を突破するために、必死で頑張っている教え子たちが報われないだろう。


米倉先生や中山(研一)先生といった、
ある程度距離をおいて現在の制度を見ておられる方には、
“研究”というものに対するまた別の思いがあるのだろうと思うし、
それはそれで、研究者としての真摯な思いに裏打ちされたものだと思われる。


だが、現役の教授が、同じことを言うことは許されないはずだ。


なお、一部で言われているような、
全ての大学教授が制度設計者で、=悪の権化である、といった物言いは、
必ずしも、的を射たものとはいえないと思う。


大学の先生方の中には、
法科大学院制度の“総論”そのものに懐疑的だった方は多かった。
特に研究者として第一線で活躍されている方にその傾向は目立った。


この制度は、どちらかといえば、
“プロ”でも“アマチュア”でもない、“素人”の“悪ノリ”で
決まった制度のような印象を受けるものでもある*5


だが、法科大学院制度に対して懐疑的だった、
“一流の”先生方の多くは、
法科大学院制度自体を前向きに捉えて、いろいろと取り組んでいるし*6
数多ある研究会にも、変わらず熱心に出席されている*7
ましてや、自分の研究が滞っている実態があるとしても、
それを「法科大学院のせい」などには決してされていない*8
それこそが、その先生方が一流の研究者である「証」なのだと思う。


だから、「法科大学院出でて研究会滅ぶ」という表現は正しくない*9
正しくは、「法科大学院出でて熱意なき研究者滅ぶ」、とでもいうべきだろう。
そして、それは今の世の中においては必然的な出来事である。

*1:例えば、落合弁護士のブログ(http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20051117)のコメント欄など

*2:そもそも、自分の研究関心にあわせてゼミのテーマを組んでいたりするため、ゼミの場が“教える場”というよりは“研究する場”として機能していたのが実情だろう。

*3:もちろん、一種の“コメンテーター”としての業績と、研究者としての業績は別で、かの先生方にしても、研究者としての“業績”は、20代から30代前半までの時期と、60代以降に集中しているではないか、という異論もあるかもしれないが、それでは、「忙しくない」先生方がコンスタントに“研究者としての”業績を残されているか、というと、残念ながらそんなことはない。

*4:本来基礎研究に時間を割くべき若手研究者の時間が、法科大学院に割かれているのだとすれば、それは学界にとっては損失かもしれないが、どこの大学でも、その辺りには一定の考慮がなされているように見受けられる。

*5:「最近の法曹は、受験バカの高慢チキなエリート集団で、他の分野の知識はもちろん、社会常識すら持ち合わせていない」という誤った前提に立って、物事を進めたことにすべての誤りの元があったような気がする。確かに、「高慢チキなエリート受験バカ」的な“プロ”の方も存在することは否定しないが、では、彼ら以外の世の一般的な人々が、みな彼らより能力的にも人格的にも優れているか、というと、決してそんなことはない・・・。

*6:もちろん、以前にも書いたとおり、それが今苦境に立たされているロー生たちのニーズを満たしているかどうかは別問題なのであるが・・・。

*7:自分が時々顔を出す際に見る限りにおいては・・・。

*8:それは、“一流”といわれる先生方の教えを受けている学生が一番良く分かっていることだろう。

*9:それで滅ぶような研究会は、出席者のニーズがそれだけ低かったわけで、元々消える運命にあったというほかはない。

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