春の憂鬱

週末、せっかくなので満開の桜を見に行った。


わざわざ、人の多い上野だ代々木だのに行かなくても、
東京の街、少し歩けば、至るところで見事な桜を見ることができ、
しかもそのほとんどは人ごみとも無縁な「穴場」である。


桜を愛でる習慣と「日本人のココロ」なるものを結びつける論調は
この時期良く目にするが、
桜よりも人の頭の方が目立つような場所が
「花見」の名所になっているあたり、
日本人の“感性”を、どこまで信用して良いものなのか、
疑いを抱かざるを得なかったりするのではあるが・・・(笑)。


さて、そんな“春”真っ盛りの季節であるが、
自分はこの季節が好きではない。



振り返れば、小学校の入学から始まって、
中学入学、大学入学、専門課程進学、そして会社に入ったとき、と
4月は常に鬱屈した感情との戦いであった。


元々、普段からそんなにテンションの高い人間でもないし、
ポジティブ・シンキングの持ち主でもないのであるが、
この時期は周囲の空気がやたら高揚しているだけに、
なおさらタチが悪い。


3月の花粉症とも、五月病とも無縁な人間なのに*1
4月の憂鬱さには何時も負けている。


自分自身、さすがに、大学に入ったあたりから、
このままじゃいけない、と真剣に理由を考えたりもしていた。


環境変化への適応力のなさゆえなのではないか、とか、
4月になる前の「別れ」を引きずりすぎるからではないか、とか、
はたまた自分の星座がめぐってくる直前の期間は、
バイオリズム低下期間なのではないか、とか、
いろいろと理由を探ってはみたが、
さてその処方箋、という話となると、自分自身では如何ともしがたく、
この歳になっても、いまだに“四月鬱”体質は改善されていない。


先に挙げた最初の2つの理由にしてみても、
そもそも環境適応力がないから過去を引きずってしまうのか、
それとも過去を引きずっているから新しい環境に馴染めないのか、
鶏と卵の関係のようなもの。


理屈よりも情に支配されがちな自分自身の根本的な体質を改めない限り、
「すっきりした気持ちで」桜を見ることなど、到底無理なのだろうが、
そんな体質を変える、ということは、
下手をすると自分自身のアイデンティティの否定にもつながりかねない。


これまで自分が何度かチャンスを掴みながらも、
踏み切れずにいる原因も、そんなところにあるわけで。


一番酷かった学生の頃に比べれば*2
最近はだいぶマシにはなってきているから、
数々の“失敗”から学んだものも、少しはあるというべきなのかもしれないが。



ちなみに、環境が変わらなければ良い、というものでもない。


特に社会人になってからは、
この季節は新入社員の受け入れと採用活動で追われることになるから
なおさらである。


本質的には、他者と話すのが嫌いではない人間ということもあり、
長い間組織に留まっていると、必ずそういうところに駆り出される宿命なのだが、
こと、このシーズンだけは勘弁してほしい、という思いはある。


学生時代の新歓行事でも何でもそうなのだが、
未知の人々と遭遇して、自分の組織に引き込もうという所為に励むときには、
必ずといって良いほど、
「お前はなぜここにいるのか」という問いかけが浴びせられることになる。


元来、自分の存在に常に懐疑的な感情を抱きつつ生活しているわが身にとって、
何の気なしに問いかけられる、そういった無邪気な一言一言が、実に痛い。


自信とプライドを持って仕事をしていたはずの学生時代や、
一応は誇りをもって仕事をしているはずの今でさえそうなのだから、
入社直後の時代などは推して知るべし、といったところで、
毎年入ってくる新入社員と顔を合わせることを考えただけで、
憂鬱な気分になったものだ。


読者の中には、これから会社でバリバリやっていこう、
という希望に燃えている方も少なからずいるだろうから、
こんな話をするのも何なのだが、
会社の新入社員研修だの実習だの、といったイベントは、
彼・彼女達のそれまでの価値観をいったん破壊して、
会社への忠誠心(ロイヤリティ)を核にした新しい価値観を創造するために
存在している、といっても過言ではない*3


学生時代から、勉強なり、サークル活動なり、はたまたアルバイトなり、
何か一つでも、自分の価値観に基づいてしっかり取り組んできた者にとっては、
はっきり言って押し付けがましいことこの上ない作業なのであるが、
新入社員という立場上、これを拒むわけにはいかない。


そして、その研修なり実習の過程を経て、
一時的に“洗脳”された若者たちが、
ベルトコンベアに載せられて、配属箇所に送り込まれてくることになる。


さて、問題はここからだ。


自分たちのミッションは、
いかに彼・彼女達を日常の仕事の軌道の上に載せるか、にあった。


本来その任に当たるべき人事担当者は、
あくまで「公式見解」に則って「指導」することしかできない。
一方、職場の直属の上司などは、仕事を教えるので手一杯で、
本人のハートの部分までフォローするのは難しい。


ゆえに、歳の近い“若手社員”が
必然的にフォローアップの任を負うことになる。


研修に反発して、「やってらんねーよ」的カラーを
剥き出しにしているタイプの人々は、ある意味一番安心できる。
時々素行不良でトラブルを起こすこともあるが、
そんな時の指導は、「公式」のルートに任せておけば良い。


雰囲気に馴染めなくて沈鬱な表情でやってくる人々に対しては、
「今からそんなんでどうするのー」的なリアクションを示す同僚が多いのだが、
4月にどん底まで落ち込んでおけば、後は一本調子であがっていくだけだ。
自分自身の経験が一番“指導”に活かせるタイプでもあるし、
個人的にはやり易い部類に入るタイプの人々であった。


問題は、一時的に“洗脳”されてしまった人々である。
極めて元気良く挨拶をし、
既に触れたような好奇心にあふれた質問を先輩社員に投げかけ、
(そしてそんな先輩社員を自問自答の末の自己嫌悪に陥らせ・・・)
仕事のみならず、同期との遊びの計画もしっかり立てて・・・、
と極めて充実した会社人生のスタートを切っている人々。


だが、自分のこれまでの経験から言えば、
こういうタイプの人々が実は一番危ない。


入社直後からプロジェクトリーダーを任せられてしまうような
ベンチャー企業ならまだしも、
一定以上の規模の企業においては、
日々の仕事生活は“マラソン”にはなりえても、
“100Mダッシュ”にはなりえない。


長いスパンで設定されたレースコースで、
ショートダッシュを何度繰り返しても疲れがたまるだけで手ごたえは少ない。


研修による覚醒効果はやがて消え、
気付けば目の前に残されるのは味気ない日常だけ、なんてこともある。


よって、半月経ち、一月経ち、蝉の声を聞く頃には、
廊下の端から端まで響き渡っていた挨拶の声は影を潜め、
気だるさと疲労にさいなまれた姿を至るところで見かけることになる。


そんな時、しがない“先輩”にできることと言えば、
仕事以外の話題を振って気を紛らわせることくらいしかないのだが、
得てして、バイオリズムの降下は負の連鎖を招くもので、


「季節もいいし、この前の写真の彼女とドライブでも行ってきたら? 車貸すよ!」
「実は・・・・先週別れちゃったんですよ・・・(涙)」
「ハハハ、そうかそうか、じゃあ今度残念会だな・・・(汗)」(以上、実話)


ということになりかねないから、迂闊に声もかけにくい。
(この程度の話なら笑い話で済むから良いが、実際にはもっと深刻な事例も多い。)


もちろん環境の変化が全くストレスにならない天性の楽天家もいれば、
気だるさと疲労を根性で押し隠す強さを持っている者もいるから、
すべての人々が上のようなコースを辿るわけではないのだが*4
意識してやるか否かを問わず、
最初から“飛ばす”スタイルがリスクの高いものであることは、
間違いないように思う。



まぁ、スロースターターの自分が、
どんなに強制されてもスタートダッシュが切れないのと同じで、
はやる気持ちを抑えろ、というのも無理な話だし、
先輩社員の言うことを素直に聞いて、
甘んじて“洗脳”される、というのも組織人としては
決して悪いことではないのだから、
無理に突っ張ったり、無理にマイペース人間を演じる必要もないだろう。


ただ、心踊らせている自分自身の姿を
どこかで突き放して眺めるくらいの気持ち、
飛ばしすぎて疲れた時に、
「ああ、これは決して不思議なことじゃないんだよな・・・」
と思えるだけの冷静さは心のどこかに残しておくことを、
新入社員の皆様にはお勧めしたい。


自分が学部を卒業する時、OBから
「社会の水は甘いよ〜」という言葉をいただき、
その時は「おいおい、他人事だと思って何言ってんだよこの人!」
と思った自分ではあるが、
10年近く経った今、その言葉の意味が
良く分かったような気がしている(笑)。


出だしで躓きさえしなければ、
(否、出だしで躓いても迅速に立て直せば)
あとは流れに任せているだけでもやっていける、という側面が、
日本の企業社会にはまだ残っているということ、
それゆえ、必要なのはスタートの時の冷静さ。


・・・ではないかと思うのである。



以上、プチ・ロートル“自称”中堅社員の老婆心半分、
そしてあふれんばかりの希望に満ちた若人への、やっかみ半分の言葉として。


ちなみに、これから入ってくる新入社員と、
学生サイクルで二回りしてしまった今となっては、
直接新入社員のフォローアップをする機会もそうそうない、というのが、
嬉しくもあり、同時に少し寂しくもあるのだが、
今度は採用の季節が、容赦なく襲い掛かってくる(笑)。


今年も4月の憂鬱からは逃れられそうにない・・・。

*1:何と言っても、4月に最悪の状態まで落ち込んでいるわけだから、5月以降は回復していくのみなのだ(笑)。高揚していた周りの空気が重く沈んでいくのに反比例して元気を取り戻していく、というのは、何かメチャクチャ性格悪いヤツみたいで褒められたことではないのであるが、こればっかりはハートの問題なので何ともかんとも・・・。

*2:プレオリで浮かれている周りの人間のノリについていけなくて、オリ合宿どころか語学の授業さえGW明けまでは出られなかったのである・・・。その時出会ったもののおかげでその後の4年間を十分過ぎるほど満喫できたことを考えると「塞翁が馬」ともいうべきエピソードだったのかもしれないが。

*3:・・・っていうか、毎年新入社員教育担当に配布される資料には、その旨の記載が常にある(笑)。近年、即戦力重視の風潮の中で、集合研修自体を廃止するようになっていた企業も多かったようだが、忌まわしきバブルの再来で、再びロイヤリティ醸成重視に転換した企業も出てきたようで、実に憂鬱な限りである。

*4:たぶんそれが、同期の間で感じる最初の“格差”なのだろうな、と推察する(取り残された者はそれゆえに余計に落ち込む)。いつも最初から別次元の“スロー調整”をしている自分の場合、そういう感情を抱かなくてよいだけ幸せなのかもしれない、と思ったり。

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