事前に予想していたことではあるが、
某県知事選はいかにも残念な結果に終わってしまった。
今年の夏の豪雨は、明らかに想定外の異常事象だし、
仮に田中知事の6年がなかったとしても、
県下に甚大な被害が発生していたであろうことは
疑いようもない事実なのに、
「脱ダム」という知事の言葉尻を捉えたネガティブキャンペーンの
格好の餌食となってしまったのは、いかにも残念である。
田中知事が初当選した知事選の時、
古典的な風習がはびこる地方で生きていくための“掟”に則り、
自分のいた組織も当時の大本命候補であった某副知事の
“集票マシーン”的役割を担わされていたのであるが、
筆者自身、元々そういうやり口が心情的に受け入れがたい性格の上、
街頭での田中候補の惚れ惚れするような演説を
聞いてしまったものだから、
本命候補支持者確保のために与えられたノルマを放棄し、
敵対候補陣営に走った(笑)のはいうまでもない*1。
東京のメディアでは、
どうしてもパフォーマンス的な部分が強調されたり、
議会と対立したデッドロック状態での水掛け論的発言しか
取り上げられなかったりするので、
多くの方々には青島知事や横山ノックと同レベルの話として
受け止められてしまうのかもしれないが、
地元で毎日報道される議会答弁の様子とか、
様々な講演、施政方針表明等の様子などを見ていた者としては、
田中知事の落選は、決してそのような次元で語られるべき話ではない、
と主張しておかねばなるまい。
知事の一つひとつの言葉には、理想と信念が込められていたし、
それは変革を求める人々の心に大きく響くものだった。
それに、言葉だけではない。
地元土建屋とその擁護勢力の抵抗にもめげず、
メリハリの付いた予算を徹底しようとしたことで、
五輪後遺症に苦しんでいた県の財布は、
わずかながらでも回復に向かいつつあったし、
それ以上に、“自立した地方”としての存在感の
中央に向けたアピールは、地道に実を結びつつあったはずだ。
6年の間には、多くの側近や部下、支援者の離反もあったし、
それが田中知事の政策手法に由来していた、というのも事実。
だから、それを“独裁”と批判して
ネガティブキャンペーンに持ち込むのは簡単な作業だったろう。
だが、そうでなくても閉鎖的なムラ社会。
頑迷な長老たちが支配する議会や、
みな上の顔色窺いに終始したがために閉塞感が漂っていた県庁、
そして、既得権益に胡坐をかくエスタブリッシュメントたちに、
何を期待できたというのだろう・・・?*2
一部の地域を除いては産業に恵まれず、
かといって若者の流出を食い止めるだけの魅力にも乏しいかの土地で、
若い世代の人々が田中知事に向けた視線は熱かったし、
民間企業やメディアの中の人間に留まらず、
自分が知る限り、県庁等の若手にもそのようなムーブメントは
少なからず広がっていた。
2002年の再選後、地元でどういう動きがあったのか、
筆者自身十分に把握しているわけではない。
だが、初当選直後から、
短期的な結果につながらなくとも、
長期的に見れば大きな果実を生む可能性のあった諸々の改革に
手を付けてきたのは、他の誰でもない田中知事、その人である。
だからこそ、残念でならない・・・。
今回の選挙で当選した候補は、
郵政民営化反対票を投じて気勢を上げたは良いが、
自分の選挙地盤の弱さゆえ、
無所属での出馬さえ叶わなかった元自民代議士である。
もちろん選挙の弱さと政治家としての能力は別だし、
代議士時代に、地元から流れてきた諸々のエピソードを
筆者自身が耳にした限りでは、
官僚出身だけあって、もっぱら仕事は堅実、
調整能力にも長けた方、という評判だったと記憶している。
だが、有能な吏僚的トップが知事室に入っただけで
危機を乗り越えられるほど、今の長野県に猶予は与えられているのか?
当時、自分と同世代の地元の若い人たちから、
「本当は東京に出たいんだけどね・・・」という
セリフを散々聞かされた。
その後何年も経ち、
一部の人たちは本当に東京に出ていってしまったし、
残った人たちとて、
みな故郷への誇りと自信を抱えて生きている、と
言い切れるかは疑問だろう。
かつて禄を食んだとはいえ、
筆者は所詮は“よそ者”。
県民の選択に口を挟める道理はない。
だが、自分が東京の人間だからこそ生まれる愛着もある。
そして、愛着のある土地だからこそ、
いつまでも輝きを放っていてほしいと願っている。
都会人にとっての“オアシス”
としての存在意義しか与えられることなく、
東京にぶら下がって生きていくような
“地方”であって良いはずがないのだ・・・。
だから、
新しい知事が「田中イズムの継承」などという方針を述べることは
決してありえないだろうし、
“田中康夫的手法”とは完全に決別することになるのだとしても、
底流に流れる革新的精神だけはどこかで引き継いでほしい、と
遠い東京の空の下で、自分はかすかに期待している。
一つの時代の終わりは、
新しい時代の始まりでもあり、
ここでかの土地の真価が問われる、そんな気がしている。