最近、読者の皆様の関心が高いと思われる労働関係の話題。日経の紙面にも毎日のように記事が踊っている。
「厚生労働省は雇用ルール見直しの柱の一つとして検討してきた残業代の割増率引き上げについて、一ヶ月の残業時間に応じて三段階の割増賃金を支払う新制度を導入する方針を固めた。健康への悪影響が増すとされる月八十時間を超す残業については、現行(最低25%)より大幅に高い50%の割増賃金を義務づける方向で労使と調整する。長時間労働を是正する狙い。ただ、規制強化だけが先行する形になれば、経済界の反発も強まりそうだ。」(2007年1月7日付け朝刊・第1面)
まぁ、割増率の引き上げで実残業時間が減ると本気で思っているのだとすれば、オメデタイというか何というか・・・(笑)。
「残業手当は時間を金に変える錬金術ツールの最たるもの」と確信し、毎月“可能な限り”残業を入れるようにしている筆者でさえ、公式記録に「80時間」もの残業を残せるはずがなく、一定時間を越えれば全てサービス残業として“処理”しているのが実態である。
労使の合意によって残業時間の天井を決めるという従来の制度にしても、今回の新制度案にしてもそうなのだが、「敷居」を設けることが「残業を抑制する歯止め」として働くことを期待するのは淡い幻想に過ぎず、むしろ「残業を申告する上での歯止め」になってしまうのが現実。
そうなる理由は簡単で、組合との協議を求められたり(従来の制度)、「極端に高い」割増率が適用される(新制度案)、という話になってくると、会社としては当該社員の“働きぶり”の実質を精査することに労力を注ぎ込むことになるから、細かいところまで干渉されるのを好まないホワイトカラーとしては「自分の仕事のやり方にケチつけられるくらいなら、少々のサービス残業は飲んでやるか」という気分になってしまうから、といったところだろうか*1。
大体、ヘタに上の干渉がきつくなって、「毎日6時に帰れ」などという指令が出たらそれこそ地獄だ。息抜くヒマもなく仕事に明け暮れた上に残業手当はつかない。少々のサービス残業は“ボランティア(笑)”だとばかりに、あえて申告しないのは、しがないホワイトカラーの生きる知恵だというべきだろう。そして、以上のような“ホワイトカラー心理”を鑑みれば、結局今回の新制度案は、「45時間」ないし「80時間」のところに一つの「歯止め」を作るだけで、それが残業時間の抑制につながる可能性は極めて乏しい、といわざるを得ないように思われる。
ちなみに、ホワイトカラーの仕事を時間で縛ること自体がナンセンスだ、という本ブログの立場による限り、上記のような“弊害”も「所詮はそんなもんだろ」の一言で片付けるレベルの話で済むのであるが、あくまで現在の労働時間制度を前提に、「健康管理のためには残業時間をコントロールしなくてはならない」というテーゼを声高に叫ばれている方々には、“隠れ残業”が増える可能性を秘めた今回の新制度には、ぜひとも反対されることをお勧めしたい。
筆者の場合、時間でキチキチに縛られる働き方よりは、少々時間外労働や休日出勤があったとしても、自分の裁量で時間と仕事を回せる働き方の方が快適なのであって、サービス残業分の“逸失利益”など、自分自身が時間を支配する快感に比べれば小金に過ぎないと思ってしまうのであるが、世の中には様々な考え方の人がいるということは、昨年末からの反応を見れば明白なので、まぁ、この辺にしておこうw*2