「訴訟」の怖さ

「猫を償うに猫をもってせよ」のタイトルで有名な小谷野先生のブログに、「JR東日本を提訴」という過激なエントリーが掲載されている。
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070324


公開されているのは、新幹線等の全面禁煙措置取りやめを求める訴状の全文。


筆者自身も、近年の過激なまでの「愛煙家排斥」の各所の動きに対しては苦々しく思っているし、総論としては賛同の意を表したいのはヤマヤマなのであるが、法律屋としての視点から見ればそうもいかない、というのは訴状を見れば一目瞭然なわけで・・・。



文学の世界であれば、一般的な流儀に反していようが、大家にダメ出しを食らおうが、読み手にインパクトを与えることができれば、作品としては成功と言えるだろうし、その限りにおいていくらでも独創的な技法を用いる余地はある。


だが、法律の世界はそうはいかない。


一般的に、本人訴訟で原告から提出される準備書面などを見ていると、その人の心情が伝わってくるような感動的なモノに触れることもあるのだが、そのような主張であっても、大概は裁判所に一顧だにされることなく退けられるのがオチである。


なぜかといえば、それらの主張は、請求の趣旨、請求原因との関係において、“(民事)訴訟”というクラシックな流儀の下で「提出すべき(主張・立証すべき)」とされるものの水準を満たしていないからであり、裁判の帰趨には何ら影響を与えない一般市民の琴線に触れるものではあっても、裁判官の判断に影響を与えるに足るだけの要件を満たしていないからである*1


一蹴されることを避けようと思ったら、裁判所の助け舟(求釈明)に真摯に耳を傾け、時にはプロの知恵も借りて、要求されるものを満たす作業を地道に行っていかなければならない。


法務実務、こと訴訟実務の世界というのは、そういう「つまらない」、「ガチガチの」世界なのだ。


そういう観点から見ると、先生が書かれている訴状の、特に「請求の原因」の部分には、今後まだまだ補充していかなければならないところが非常に多いように思われる。


個人的に怖いのは、仮に、小谷野先生が上記訴訟で敗訴した時に、「事業者が全面禁煙措置を取ることは当然のこととして許される」という結論だけが一人歩きすることだ。


本人訴訟の多くは、請求自体の当不当よりも、立証が不十分だったり、主張が裁判所の求めるものと噛み合わなかったり、という“形式要件”で決着がついてしまうことが多い。


よくある簡裁事件などでは、そもそも事件の存在自体が世の中に注目されることはないから、如何なる結論が出たとしても、先例的価値を持たないまま忘れ去られることが多いのだが、当事者が著名な先生で、かつ訴訟経過を全面公開している、ということになれば、マスコミも放ってはおかないだろう。


地裁の裁判官などは、結論にかかわらず「釘を差す」ような一言を入れてくれるから、それでもまだ結論だけが一人歩きすることは多少なりとも防げるのだが、簡裁になると、結論と簡単な理由付けしか述べずに請求をあっさり退けたりするから、なおさら世論をミスリードする可能性は高まることになる。


ゆえに、どうせやるなら、きちんと作戦を練って(必要あらば代理人も立てて)、証拠もきっちり集められるだけの体制を整えてから戦に臨んでいただきたいものだ、と筆者は思うのである。


でなければ、そうでなくても肩身の狭い愛煙家が、なおさら住みづらい世の中になってしまうだろうから。


なお、筆者としても、単に「受動喫煙」を防止するための「努力義務」を定めたに過ぎない健康増進法25条を根拠に「全面禁煙措置」を推し進める近年の事業者(これは鉄道事業者に限らず、公共団体でも飲食店・喫茶店でも同じことである)の動きは、法の名を借りた自己防衛の言い訳に過ぎず、正直言って見苦しい、と思っているので*2、先生の心情はよく理解できるのであるが、「分煙」にかかるコストのことも考えると*3、愛煙家の意思だけで世の中を動かすのもなかなか難しいような気がしている。


こと本件訴訟について言えば、14条の平等原則を主張するより先に、「喫煙する自由(権利)」が幸福追求権(憲法13条)の一内容として認められることを理論付けた上で、全面禁煙措置によって害される「人格的利益」が、同措置によってもたらされる事業者側の利益(あるいは公共の利益)を上回る(受忍限度論というか、比較衡量論)、という主張を展開していくのが普通のスジだと思うが、客観的に見て、「乗車中の数時間我慢すれば足る話ではないか」*4という話になった時に、論理的な反論ができるかどうか、となるとあまり自信はない。


矛先を向けるなら、愛煙家に対する不当なレッテル貼りをしている「禁煙運動家(団体)」に向けた方が勝算が高い、と思ってしまうのは筆者だけだろうか・・・*5

*1:それをもって、「司法の常識は市民社会の常識から乖離している」などと叫ぶ輩もいるが、フィギュアスケートの試合でいかに美しいバックフリップを決めても減点対象にしかならないのと同じで、あらかじめ決まったルールがある以上、それに沿った形で伝えたいことを伝えていかねばならない、というのは当然のことだと思う(既存の法解釈そのものに問題がある場合があるのも否定はできないし、その時には思いっきり「司法の常識は〜」と叫んでくれて構わないのであるが)。

*2:「努力義務」でここまで熱心に「対策」ができるのであれば、かつての雇用機会均等法や、環境関係諸法にある「努力義務」規定に対しても、各企業はもっと真摯に取り組むことができる(できた)のではないか、と思う(苦笑)。健康増進法の全文はhttp://www.ron.gr.jp/law/law/kenko_zo.htm参照。

*3:清掃のバイトでもやれば分かると思うが、灰皿の周囲はとにかく汚れるし、空気清浄のためのフィルター交換や機械故障の頻度も「禁煙部屋」のそれに比べると、遥かに多い。いち早く「分煙席」を設けて定着させているタリーズのような事業者の努力は高く評価したいところだが、零細事業者も含めた全ての事業者に同じような「努力」を求めるのは、それはそれで酷な話であるように思われる。

*4:これが会社のオフィス等であれば、勤務時間中ずっと、という話になるので、まだ勝算は高まるような気もするのだが・・・(特に某県の県庁など)。

*5:「愛煙家」という集団に向けられた罵詈雑言を、「個人」の人格的利益の侵害と捉えることが可能かどうか(これは以前某都知事の発言に対して“妙齢の女性陣”が提起した訴訟でも争点になっていたような気がする)、という問題は残るものの、一つひとつの発言、報告書等を洗いざらい捉えて行けば、若干の慰謝料が認められる余地は、僅かながらでもあるような気がする。

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