民事裁判「審理迅速化」の落とし穴

昨年くらいから、「裁判のIT化」という話が(議論だけは)結構急ピッチで進んできていて、法曹界もかなりザワザワしてきた印象を受けるのだが、そんな中、さらに大きな波を立てるような記事が日経紙の朝刊に載った。

最高裁法務省が参加する研究会が、民事裁判の審理を半年以内に終える新制度を検討していることが分かった。当事者双方が合意すれば主張や争点を絞り込み、通常の3分の1程度に短縮して結論を出す。企業などにとって訴訟を抱える期間の見通しが立てやすくなり、経営への影響に対応しやすくなる。」(日本経済新聞2019年9月4日付朝刊・第3面、強調筆者、以下同じ。)

新制度は裁判のIT(情報技術)化を前提にしており、訴状や裁判関係の書類のウェブ提出を義務付ける。あらかじめ争点を絞り込むことによって訴訟を短期間で終わらせるようにする。」
「新制度は短期間で集中的に審理するため、訴訟当事者には訴状や準備書面をウェブ上で裁判所に提出するよう義務付ける。書面の提出は3通までとし、文字数やページ数も統一することを想定している。」(日本経済新聞2019年9月4日付朝刊・第34面)

今はまだ話の前提となっている「裁判のIT化」自体に随所で抵抗する声がくすぶっている状況だと認識しているが、時代背景を踏まえれば、自分は「IT化」の方向性自体には賛成で、特に訴状や書面をWebサイト経由で提出できるようにする、ということに関しては大賛成である*1

ただ、今朝記事になった「新制度」に関しては、会社の中で長くもろもろの紛争に対応してきた立場から見て、いろいろと首をかしげたくなることは多いし、こういう話が唐突に出てくるような状況に接してしまうと、今の「民事裁判」改革が一体誰のために行われようとしているものなのか?ということにも疑いの目を向けざるをえなくなってしまう。

そこで、「民事裁判」という制度が、裁判所のためのものでも、代理人弁護士のためのものでもなく、あくまで判断を仰ごうとする「当事者」のためにある、という原点に立ち返りつつ、以下で今思っているところを書き残しておくことにしたい。

過度な「争点絞り込み」が失わせる裁判の”効用”

民事訴訟における裁判所は、何でも解決してくれる「駆け込み寺」ではない。

裁判所はあくまで、「当事者間の具体的な権利義務や法律関係の存否に関する紛争」であって,かつ,「法律の適用によって終局的に解決しうるもの」に対してのみ審査し判断する機関に過ぎず、また、原則として、それで得られる判断も、「証拠等から認定される」事実に「法律」を論理的に適用して導き出せるものに限られる、ということは、司法にかかわる仕事をするものであれば、誰もがイの一番に叩き込まれることである。

だから、裁判所は概して当事者の一方が請求原因事実に結びつかない感情的な主張をクドクドと述べるのを好まないし、一見すると筋が通っているように見える主張であっても、要件事実を整理する中でそのラインから外れてしまえば「失当」とされたり、「過剰主張」として減点されかねないのが研修所の教えだったと記憶している。

だが、実のところ、そんな「常識」は、法律をそれなりのレベルまで勉強した者の中で共有されている話でしかない。

市井の一般人はもちろん*2、企業の経営幹部クラスの人々でも、こじれにこじれた紛争が裁判所に持ち込まれていざ判断を仰ぐとなった時には、(自分たちに不利にならない限り)「勝つために、できる限りの主張をしろ」というオーダーを出してくること多いし、そんな幹部のオーダーと「常識」に則って進めようとする代理人弁護士との間で板挟みになって、訴訟に対応する法務担当者が苦しい思いをすることも決して稀ではない。

そうでなくても、企業間の紛争(で、裁判所に行くまで解決できないレベルにまでこじれてしまったもの)は、訴訟での請求の本筋から離れたところにある歴史的経緯だとか、双方の担当部門間の長年にわたる不信感の蓄積だとか、そういったどろどろしたものが背景になっていることが多いわけで、事業に深くコミットした人になればなるほど、相手に対して言いたいこと、判断を下す第三者に訴えておきたいことは山ほどある

それを「民事訴訟とはそういうものだから」という一言でばっさりと切れる人は、今の時代、社内の担当者はもちろん、代理人の弁護士でもなかなかいないのではないかと思われる。

また、事実関係の争いがシンプルな事件ならまだしも、裁判所までもつれ込むような複雑な事件の場合、代理人はもちろん、当事者本人ですら、求釈明や双方の主張・立証の応酬をある程度繰り返してからでないと、事件の全体像を把握しきれないことはままあるわけで、そんな場合で、もしかしたら請求原因事実になり得るかもしれない事実に関する主張を早々に引っ込めたり、早々に争点の絞り込みに応じたりするのは、極めてリスクの高い話でもある。

極めてレアな話ではあるものの、当事者双方が、まるで口喧嘩のような”言い合い”をする中で、主張書面や陳述書の中で、ついポロっと書いてあったことが発端で、一方の主張がもろくも崩れ去り、本当の意味で「真実が明らかになった」というケースも過去に見たことはあるし、そこまでいかなくても、ある程度の間は、主張できるだけのことは主張できる形にしておいた方が、当事者双方におかしなストレスがたまらずに済む。

そして、双方の主張が出尽くして、当事者ですら「どっちもどっちだな・・・」という徒労感が出てきた頃にしゃんしゃんと和解させて紛争を一気に解決する、というのが、一昔前の「上手な裁判官」だったはずだ。

これまで、地域コミュニティや”業界のドン”の力で、裁判所に行く前に収まっていた話が「訴訟事件」になりやすくなっている、という話と同じで、当事者の言い分を辛抱強く聞いて和解で収める、という文化は今の裁判所の中では通用しづらい話になってしまっているのかもしれないが、あえて手間とコストをかけてまで「裁判所」という中立機関に審査・判断を求める当事者の思いの中には、「俺の言い分を全部聞いてくれ!」「その上で白黒はっきりさせてくれ!」*3というのが強く込められているわけで、今の日本に、権威と実効性のある紛争解決機関が「裁判所」以外は事実上存在しない*4以上、「訴訟法の理屈」と審理の効率だけを前面に押し出して、「争点の絞り込み」に向けたプレッシャーを両当事者にかける方向に制度を持っていくのは、控えられた方が良いのではないかと思うところ。

要は、「裁判所」の持つ文化的・社会的機能にも思いを馳せた方が良いのでは・・・という話である。

「裁判を早く終わらせたい」という「当事者の」ニーズは本当にあるのか?

そうはいっても「審理の迅速化」には「早期の被害救済」等のメリットがあるのではないか、特に企業間の紛争に関しては「ビジネスのスピード感云々」といって迅速化要望を出してきているのは産業界の方ではないか?という突っ込みはあり得るかもしれない。

だが、この点、特に後者に関して言えば、その手の「要望」はかなり割り引いて考えた方が良いのではないかと思う。

というのも、「迅速化してほしい」という希望、要望のほとんどは、「裁判所に持ち込めば自分たちの言い分が認められる」ということを当然の前提としたものだからだ。

仮にどこかの会社の経営者が、「今の裁判は時間がかかり過ぎる。ビジネスに差し支えるから半年以内に必ず審理が終わるようにしてほしい」という要望を出していたとしても、「顧客から因果関係に争いがある製品事故で訴訟を起こされ、勝算は五分五分。敗訴した場合には数兆円規模の賠償義務を負うことになるとても、半年で決着がついた方がいいですか?」と問えば、必ず黙る(というか、黙らなかったら周りが黙らせないといけない・・・)。

訴訟の本質が、立場の異なる当事者間でお互いの言い分をぶつけあう、ということにある以上、常に自分たちの見立て通りに進むとは限らないわけで、「勝てるなら早く終わってほしいが、負けるくらいなら徹底的に引き延ばしたい」というのが、多くの人々の偽らざる感情である以上、当事者にとっての「迅速化」のニーズの優先順位は、決して高いものにはならないのでは?というのが、これまでこの種の話に散々接してきた自分の印象である。

もちろん、特定の特許の有効性だけが争われているような事案*5とか、今日の記事にあるような事実関係にも法的責任の有無にも争いがなく「損害額の算定」だけが争点になるような場合であれば、「早く決着付けて~」というニーズは引き続き残ると思うのだが、前者(特許関係訴訟)に関しては、現時点で、侵害訴訟も含めて審理期間は相当短縮されていると思うし、後者に関しては、後述するように、そもそもそんなニーズが本当にあるのか?という疑問は生じるところ。

この点、「他人の事件を裁く」立場の裁判所にしてみれば、そりゃあ少しでも早く既済事件にしてしまった方が何かと好都合なのは当たり前の話だし、代理人にとっても経済合理性だけを考えれば、早いサイクルで事件が回転したほうが、報酬額の確定サイクルも早くなるから経営上はメリットが大きい*6

しかし、制度設計を考える上では、やはり「当事者」の視点を第一とすべきだろう。

そして、「時間がかかってでもありとあらゆる主張、立証を尽くす」ことが、訴訟の勝敗上の有利・不利だけでなく、当事者の「感情」にも影響を与えうるものであることを考えると*7、これまた社会学的な意味合いで、「審理迅速化」のごり押しは避けられるべきではないか、と思えてならないのである*8

望ましい制度設計とは?

以上、「主張・争点絞り込みによる審理迅速化」の方向には賛成できない、という理由を縷々述べてみた。

今朝の朝刊に出ている記事は、あくまで「当事者双方の合意」を前提とするものなので、そこまで過敏に反応しなくても良いではないか、という指摘も当然あるだろうが、これまで「いざ第三者の判断を仰ぐとなると、任意交渉の段階では消えかかっていた争点まで拡散して裁判所に出てくる」という生々しい姿を見てきた者としては、「当事者双方の合意で主張や争点を絞り込む」などと言うことはそう簡単にはできず*9、よって、仮に制度を作ったとしても絵にかいた餅になってしまうから意味がないではないか、というのが一つ。

そして、それ以上に自分が危惧するのは、「訴訟のリスク」と「訴訟によらずに解決することの重要さ」を心底感じてきた者として、こういった記事が、いろんな会社の経営陣に「半年で終わるんだったらさっさと裁判所でカタを付けてしまえ!」という誤ったイメージを与えてしまうことである。。

自分は諸外国との比較でいえば、日本の裁判所ほど公正で精緻な判断をしてくれる司法機関はない、と思っているが、それでも、日本の多くの企業が、ギリギリまで企業間の紛争を裁判所に持ち込まなかったのは、単に見栄えが悪い、というだけでなく、「『法律』という物差しだけでは測れない取引紛争の解決を、司法機関に安易に委ねることへの警戒感」もあったからだと思っているし、その「警戒感」はあながち外れでもないと思っている。

何かと「取締役の責任」が問われるようになり、ステークホルダーの多い大企業になればなるほどかつてのように”利害得失をすべて併せのんでトップが大胆に経営判断する”ということがしづらくなっている今、「誰も決められずに第三者機関の判断を仰ぐ」というパターンも増えているのは確かだが、それでも、当事者のトップレベルの判断権者がちょっとしたバランス感覚を発揮することで、裁判所に持ち込む or 持ち込まれる前に決着を付けることは不可能ではないし、訴訟経済との関係で、それを「合理的な経営判断」と説明することも十分できるはず。

だから、今朝の朝刊に載せられたような「新制度」は、「企業間の紛争解決」の手段として用いられるべきものではないし、それでも企業間の紛争を早期に解決する手段を何か用意しておきたい、というのであれば、厳格な民事訴訟法ルールが適用されず、ジャッジも法律家ではなく企業実務家が担当する「商事調停」のような制度を創設、活用する方向に舵を切るべきだと思う。

また、「新制度」を「早期の被害救済」を求める人たちのために活用するのであれば、前提として、第1回の口頭弁論期日までに米国型の証拠開示(ディスカバリー)制度をセットで導入することが不可欠だろう。そうでなければ、原告は、審理の過程でじっくりと主張を詰めて少しでも有利な事実を引き出す機会を得られるよう試みるか、それとも、早期解決を優先して「固い」部分だけで妥協するか、という選択を迫られることになってしまう*10

・・・ということで、何かと分かりやすい「改革」の目玉が求められる昨今、”抵抗勢力”の役回りを好き好んで引き受けたがる人はいないと思うのだけれど、これまで日本で司法府が果たしてきた法的な意義に留まらない様々な機能を維持していくために、「分かっている」人にはちゃんと頑張ってほしいな、と思わずにはいられないのである。

*1:事件係に持っていくにしても郵送するにしても、訴状と添付書類を物理的に整えるだけで面倒かつ不効率だし、準備書面のやり取りにしても未だにFAX文化でやっている、というのは常識的に見ればあり得ない世界なので・・・。一部でデジタルデバイドの問題(今でも手書きで訴状を書いてこられるような「ご本人」の訴訟を受ける権利がぁ・・・という話)が指摘されることもあるのだが、そこは本人訴訟に限って例外にするとか、裁判所に来庁者用の端末を設置して対応するとか、やり方はいくらでもあるはずだ。

*2:損賠訴訟等が提起された際などに、当事者本人の会見等で「真実が明らかになると信じている」といった類のコメントが出てくるのは、まさにその象徴ではないかと思われる。裁判所の事実認定はあくまで請求の当否を判断するために必要な範囲でしか行われないし、その認定も、原告が主張立証した内容を真実と認めるかどうか、というレベルに留まるのが原則だから、被告側がよほどのヘマをしない限り、原告が把握していること以上の「真実」は、裁判を通じても出てこない、というのが現実である。

*3:普通は「勝たせてくれ」だろうが、負けてもはっきりすればいい、という人も、それなりの割合は占めると思っている。特に企業が当事者の場合は、そういう割り切りは比較的しやすい。

*4:もちろん、各仲裁機関、ADR機関を使えばよいではないか、という話もあるのだが、執行力のある決定を出せるような仲裁機関の場合、年々、手続の公平性等を意識して厳格な手続運用がなされる傾向が強まっているように思われるし(下手をすると、裁判所より融通が利かないような気もする)、それ以外のADR機関でも「柔軟な解決」ができ、かつ、それが説得力を持って受け入れられるところは限られているように思う。

*5:これだって、争われている特許が主力製品の基幹特許だったりしたら、それこそ「数兆円」規模のインパクトがあっても不思議ではないのだが・・・。

*6:もちろんこれは伝統的な着手金・報酬金スタイルで代理人報酬を受け取る場合であって、タイムチャージでやっている場合は別の話になってくるが・・・。

*7:一審が始まった頃に傍聴席を埋め尽くしていた「大応援団」が、期日を重ねるごとに減っていき、何年かたった控訴審の弁論終結段階では、人もまばらになっていた、というシーンも何度も目にしたことがある。それをどう評価するか、は難しいところだが、現実問題として、時間が経つことによって優先順位が下がってくる感情、というのもあるわけで、「時間をかける」ということの意味は決して否定されるべきではないと自分は思っている。

*8:まぁ、期日の間隔が中途半端で、しかも双方代理人が期限ギリギリまで書面を出さないために期日間で効率的なやり取りができず、結果的にダラダラと弁論準備手続きを繰り返す、という状況は改善されるべきだと思っているし、それは今のルールの下でも十分できる話ではあるのだけど。

*9:外国企業との間で紛争が生じた際には、(早く終わらせないとコストが莫大になってしまうので)国際仲裁を始める前に事前に協議して、争点の絞り込みや証拠制限等のルールを決めるところまでやっておけ、という助言を受けることも多いのだが、そういった協議で合意できるくらいなら本筋の協議で決着をつけられるだろう、と思って聞いていたし、現実にもほぼ例外なくそうなった。

*10:当然ながら、このような方向性の議論に対しては、産業界も一部法曹界も大反対するだろうから、実現の可能性は高くないと思うが、それならそれで仕方ない、というのが自分の考えである。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html