何が守られるべきなのか〜函館市提訴の報に接して。

今年に入ってから、こういう動きがあることは大きく報じられてきていたのだが、やはりいざニュースとなると、いろんな意味で衝撃的だった。

青森県大間町に建設中の大間原子力発電所を巡り、北海道函館市は3日、安全性に問題があるとして、国や電源開発(Jパワー)に原子炉設置許可取り消しや建設中止を求める訴訟を東京地裁に起こした。自治体が原告となり、国に原発差し止めを求める訴訟を起こすのは初めて。」(日本経済新聞2014年4月4日付け朝刊・第34面)

公の存在である「自治体」が提起した訴訟、ということもあり、会見と同時に「訴状」も堂々と公開され(http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2014031100330/files/260403sojo.pdf)、今後の裁判所での手続きについても、おそらく逐一明らかにされていくことになるだろう。その意味で、この国における「原発差止訴訟」の長い歴史の中でも、エポックメイキングな出来事となるのは間違いないと思われる。

自分も一応ざっと訴状には目を通してみたのだが、当たり前のことながら、1頁目に掲載されている地図を見て、改めて新鮮に感じたのが、「大間町」と「函館市」の近さ、である。

函館は、自分の好きな町の一つで、何年かに一度は夜景を見るために必ず立ち寄る場所。
その一方で、大間町も、かつて行ったことのある場所である。

両方の岸から、目の前の海峡を眺めつつ、「対岸まですぐ行けちゃいそうだなぁ・・・」などと呑気なことを思ったりもしたものだが、それが「事故時の被害シミュレーション」の図、という形で改めて突きつけられると、非常に考えさせられるところが多い。

今回の函館市のような動きに対しては、“天下国家的”な視点から、「国全体のエネルギー政策の視点が欠けている」とか「単なる一自治体のエゴに過ぎない」といった批判は当然出てくるだろうし、「枝葉末節の議論に過ぎない」と、嘲笑する人も決して少なくはないと思う。

ただ、未だに福島第一原発周辺の自治体の多くが、「再建」に足を踏み出すことすらままならない状況に置かれている、ということに目を向ければ、「原発建設に伴う恩恵を直接受けずにリスクだけ背負う」という形になっている函館市が、前面に出て“戦う”という選択肢を取ったことを、誰も責めることはできないだろう。


訴状を読むと、函館市側の請求が、第1「設置許可無効」、第2「義務付け」、第3「建設差止」の3つの請求で構成されていることが分かる。
そして、要件が厳しい第1や第2はともかく、第3については、まさに本件の“主戦場”として、他の同種訴訟と同じく、今後、原告・被告間でかなり激しい攻防がなされることになるはずだ。

先ほども書いたように、函館市の関係者が、提訴に踏み切らざるを得なかった心情は良く理解できる。
原発との位置関係、という地理的要素に加え、全国的にも有名な観光地で、水産資源がウリになっている港町でもある「HAKODATE」にとっては、対岸の街が放射性物質を放つリスクを有している、というだけで、十分脅威だと思われるからだ*1

もっとも、純粋に法的な話で言えば、原発に限らず、一度安全審査をクリアした施設の建設について、司法機関が結論をひっくり返すところまで踏み込む判断をするのは稀なことであり、今回も“反原発派”の人々が願うほど、簡単に函館市側の理屈が認められるとは考えにくい。

これが行政機関であれば、今まさに再稼働の判断の過程で行われているように、政策的判断で自ら審査基準を変えることもできるし、政治のレベルで「今あるものは動かすが、新規の建設は中止する」という大きな判断に基づいて建設を止めさせる、ということもありうるだろうけど*2、司法機関が、訴訟の場で出てくる限られた材料だけで、行政の専門的、裁量的な判断を事後的に審査する、というのは、そうたやすいことではなく、かなり荷が重い作業だと言える。

訴状の中では浪江村や南相馬市への聞き取り等を元に、「仮に事故が起きた場合に、いかに函館市が“崩壊”するリスクが高いか」ということが繰り返しアピールされているのだが、そういった話も、あくまで「事故」が起きた時にこうなる、という仮定に基づいた主張に過ぎず、これまでの傾向からすれば、肝心の「安全性」(原告から見たときの「危険性」)についてそれを根底から揺るがすような事実を説得的に突きつけない限り、原告側が裁判所の有利な心証をとるのはなかなか難しいのではないか、と思わずにはいられない*3

発電所それ自体は世の中にとって有益なものであること、そして、エネルギー資源の多くを輸入に頼らざるを得ないこの国において、「僅かでもリスクがあれば建設しない」という極端な選択を取れるほどの余裕はないことは、当事者が強調するまでもなく、裁判官の頭の中には当然前提として入っているわけで、原告が守ろうとしている「市民の平穏な生活や安全」や「健全な自治体として運営していくための権利」が、新たな電源開発によってもたらされる“全体の利益”との比較においてもなお保護されるために、越えなければならない壁はまだまだ多い*4

そして、そのような困難を前にしても、なお自治体が先頭に立って法廷で戦い続ける意味、というものが、これから問われていくことになるのだろう。

この先、この訴訟がどれだけ続くのかは分からないけれど*5、少なくとも裁判所に係属している限りは、常に問われ続けるであろうこの問題。

決着如何によっては、「函館」という一自治体に留まらず、より大きなムーブメントになる可能性も秘めている話だと思うだけに、今後の行く末に注目してみたい。

*1:訴状の中では控えめに書かれているが、個人的には、“南風”で実際に放射性物質が流れていくリスク以上に、ちょっとした対岸のトラブルで観光客の足が遠のき、函館港で水揚げされる海産物が売れなくなるリスクの方が、より現実的に差し迫った者なのではないか、と思うところである。それで建設差止までいけるか、と言えば疑問だけに、あえて前面に出さなかったのだろうが。

*2:普通に動いている原発でさえ、首相の一言で止められてしまった歴史があることを考えれば、完成前に工事を中止させる方が、まだ賢明な判断のように思えてならない。

*3:原告側はこれまでの安全審査のプロセスや、本件原発が、東日本大震災後の安全性審査基準に基づき認可を受けたものではないこと等を突くのだろうが、当然相手は「少なくとも現在の我が国の工学的見地から見れば、自然災害等がある場合でもリスクを十分コントロールできる」という反論をしてくるだろうし、それが出てきた時に、原告側にさらにそれをひっくり返せる材料があるか、と言えばちょっと苦しいのではないか?というのが、現在の率直な感想である。

*4:大間原発に関して言えば、地元でも長年紛糾した経緯がある上に、MOX燃料を全面的に利用したいわば“実験的”な発電所、という位置づけゆえ、原告側としても様々な主張を構成しうるところだと思うが・・・。

*5:市民訴訟とは異なり、自治体が提起した訴訟の場合、首長選挙等の動向によって突如方向性が変わることも良くある話で(国立市の例など)、果たして本当に決着が出るまで続くのかどうか、というのは、神のみぞ知る話である。

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