あれから10年も。

まだ連休の有り難味なんて知る由もなかった学生の時分、5月の連休と言えば、広々としたキャンパスで、来るべき祝祭に向けて、タテカン作りに勤しむのが恒例だった。


普段は寄り付かない総合図書館だの、法文号館だのを見上げつつ、年に一度だから(苦笑)と赤門の前でお茶目に記念写真撮ったりして(基本的に龍岡か池之端から構内に入って、バスロータリーのあたりまで行けば用は足りたから、赤門なんて滅多なことでは通らなかった)、それでも日が沈む前には一仕事終わらせねば、と、汗を流していた時の記憶は、今でも鮮明に残っている。


最後の春、激しい感情の起伏と、日々襲ってくる葛藤に苦しめながらも、「ここにいれば大丈夫だ」と信じて、疲弊した体を必死で動かしていた自分。


だが、あの時必死で守ろうとしていたものは、とうの昔に消えてしまった。


たぶん、今の自分なら、あの人の顔から笑顔が消えてた理由にきっと気付けていただろう。


そして、細かいヒビが深い亀裂になる前に、上手くとりなす術も使えたかもしれない。


でも、その時は、ただ仕事で疲れているのだろう、忙しくて余裕がないのだろう、と、そんなことしか頭に思い浮かばなかったのだ。


気が付けば、あれからもう10年も経つ。


自分の記憶が正しければ、祝祭は今年メデタク80歳の誕生日を迎えるはず。


あの頃六法を触ることすら拒んでいた自分は、いつしか何かに取り憑かれたように法という世界の虜になり、それだけでメシを食ってやろうなんて、途方もない野望すら抱くようになってしまった。


あの日、ハンマー片手に大工仕事に励んでいた連中も、皆同じように姿かたちを変え、それぞれの人生を生きている。

「たとえ路頭に迷ったとしても、あの頃以上に苦しい思いをすることはない(精神的にも肉体的にも)」


そんな思いが、今の自分の強気を支えているのだから、人生なんて皮肉なもので。


何度も悪夢に苦しめられ、捨てたいと思った過去。


変わってほしくないものが変わってしまう。
変えたいものが変えられない。


でも、「いいんだそれで」って思えるようになったから、今自分はこうして生きていける・・・。




祝祭とその後に訪れた悲劇の後の、長い長い“夏休み”。絶望に打ちひしがれながら見たアニメーションを、こういう形で再び観ることになるとは思わなかったけど(↓)、今は、あのまま“永遠のお休み”にしなかった自分の選択が間違っていなかったと素直に思える。


http://rimo.tv/#/channel?url=http://animemo.blog54.fc2.com/blog-entry-152.html*1


そう、確かに、あれから10年経ったのだ・・・。

*1:なぜかスペイン語字幕付きw

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