“あまちゃん”が残してくれたもの。

最終週、復興に向けて一直線に突き進む“北三陸”で、喜劇モード全開のまま、何となく幸福な気分でエンディングを迎えた「あまちゃん」。

天野春子・アキの母娘&足立ユイ、というこのドラマのフレームの真ん中で輝きを放ち続けた女性たちの“成長”ストーリーに加え*1、最後の2週間くらいで、本来“引き立て役”だったはずの鈴鹿ひろ美のトラウマ脱却ストーリーまで絡んでくる・・・という朝ドラとしては極めて異例の展開となったこともあって、これまで散りばめた伏線にきっちりケリを付けてきた宮藤脚本にしては、「あれはどうなったんだっけ?」的な“積み残し”をだいぶ残した印象を受ける。

日頃、平日の朝ドラには見向きもしなかった自分ですら、生活リズムが変わってしまったくらいの影響力ある番組だっただけに、既にあちこちで言われているように、今週月曜日以降は、深刻な“あまロス症候群”に苦しめられる人々が続出することも予想されるところだが、あの終わり方なら、巷で囁かれているような「あまちゃん2」の企画も十分できるんじゃないかなぁ・・・ということで、ちょっとだけ希望の灯が残った、というところだろうか(苦笑)*2

以前のエントリーでも書いたように、自分は“ブームに乗り遅れた人間”なので、最初から最後まで欠かさず見続けた、という人々の前で、このドラマについて何かを語るのはおこがましいのかもしれない*3

ただ、最後の2か月はフル視聴、それ以前も飛ばし飛ばし&ダイジェストで一応カバーしていた、というのを免罪符にしてコメントさせていただくならば、“大都会東京”と“地方の田舎町”との対比、そして、それに絡む人々の想いの複雑なコントラストが、これほど見事に描かれていた作品は、これまでほとんどなかったのではないだろうか、と思う。

都会と田舎町を並べて舞台化する、というのは、過去の朝ドラでも何度か使われていた典型的手法の一つだし、それ自体がそんなに珍しい、というわけではない。

だが、地方出身者の単純な成功物語でもなく、都会出身者が地方に行ってハッピーになった、というベタな“田舎礼賛”物語でもなく、「都会で育った者も田舎で育った者も、都会に出て行った者も田舎に残された者(&田舎にやってきた者)も、皆、それぞれの成功と挫折を味わい、心のどこかにわだかまりを感じながら日常を生きている・・・」という当たり前の現実を、都会と田舎をめまぐるしく行き来する主人公との関係を通じて、コメディタッチの中でも、それぞれの登場人物の内面を迫真性をもって描いた、というところに、“あまちゃん”の秀逸さがあった、と自分は思っている。

もちろん、このドラマの場合、本来大した事件など起きないはずの“田舎町”が未曽有の大災害に直面する、というフィクションを超えた大仕掛けがあり、それによって、東京と“田舎町”の関係性が終盤で大逆転する・・・というシナリオが埋め込まれていたがゆえに、終盤さらにグッと来る展開になった、というのはあるのだけれど、仮にそれがなくても(8月末までの天野家三代の“大逆転”&足立家の立ち直りストーリーだけでドラマが終わっていても)、百点満点を付けられるくらいのクオリティの高さが、ここには間違いなくあった。

元はと言えば、自分も、子供心に大都会に憧れて、12の夏に地元を“捨てる”決意をした過去があるし*4、その後10年以上、“東京の人間”として過ごした末に、ひょんなきっかけでローカルな世界に放り込まれ、しばらくの間どっぷり浸かって過ごした経験もある。

どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、どっちにもいいところはあるし、悪いところもある。
都会にいれば常に毎日刺激を受けて過ごせるか、と言えば、よほど変わった職業の人でなければそんなことはないし、逆に、田舎に行けば人情味あふれた人々に囲まれてQOLが向上するか、と言えば、そんなこともあり得ない、と断言できる(笑)*5

隣の芝は当然青く見える、だけど多くの人は、何かを失うことを恐れてその芝生に足を踏み入れられない。苦労してその芝生までたどり着いた者も、実は芝生が思ったほど青くなかったことに気づいて悶々とする。そして、それぞれの心の中で、どこかで覚悟を決めて、自分の居場所を見つける・・・

言葉で表現するのはとても難しいのだけれど、そういったプロセスを経て初めて人間のアイデンティティ、っていうのは確立されるんじゃないかと自分は思っているだけに、そういった人間の本質的な部分が、各回15分のドラマの中に余すところなく描かれていた、ということに、最大級の感銘を受けたのだと思う。


もちろん、そんなに難しく考えなくても、「地味な女の子が、地方でアイドルになり、その勢いで東京に上ってちょっぴり成功し、一回り成長して震災後の地元に帰って復興に一役買う」というシンプルなストーリーを追いかけていくだけでも、朝ドラとしては十分楽しめたはずで、NHKの番宣等を見ていても、まぁ何となく途中からはそっちの方にシフトしていたのかなぁ・・・というところはあった。

新旧のアイドル厨、歌謡曲厨を狙ったかのような演出が大きな話題を呼んだ一方で、“色モノ”的な目で見て敬遠する視聴者も少なからずいたと思われるだけに、その辺の見せ方には一考の余地はあったのかもしれないけど・・・。。

なお、ロストシンドロームを「物」で埋めるのがもっぱら、な自分としては、当然、“あまちゃん”関係のソフトで、年内は埋め尽くす計画になっているわけで、(今さらではあるが)↓を早速取り寄せて、ドラマに出てきた名曲の数々を日々の癒しに変えている。

あまちゃん 歌のアルバム

あまちゃん 歌のアルバム


人間の記憶が薄れるのはあっという間だから、今はこの世の春とばかりに湧き立つ北三陸のロケ地も、時の経過とともに、昔と同じ、静かな町に戻ってしまうのだろうけど、せめてDVDが全巻出揃うくらいまでの間は、まだ余韻を残す・・・今はそうあってほしい、と願うばかりである。

*1:朝ドラ、と言えば主人公の成長ストーリーが元々のウリのはずなのだが、ドラマ終盤の1〜2ヶ月だけ眺めていると、むしろ“変わらないアキちゃん”と“人生大逆転”の春子さんや、幾たびの苦難(?)を乗り越えて最後吹っ切れたユイちゃんの“成長”とが対比されているような形になっていて、そういう意味でも面白いドラマだった。

*2:もちろん、実現したとしても、放映されるのは半年以上先、しかも、土曜日とか長期休暇シーズンにちょこちょことやる程度にとどまってしまうだろうから、“あまロス”の穴埋めには到底ならないのだけど。

*3:一応、DVD買って第1話から見返すつもりなので、それを踏まえて年末くらいにまた書くか・・・。

*4:今考えれば、東京近郊のベッドタウンも、東京もそんなに変わらんじゃねーか、ということが分かるのだが、行動範囲が自分の街と隣町、バスでも30分近くかかる最寄駅まで出れば、それはもうよそ行き気分、という小学生の感覚で言えば、あの時代に、「東京の中学に行く」ってことは、清水の舞台から飛び降りるような話だったのだ。

*5:ちなみに、自分は、現状にもどかしさを感じ、都会に複雑な思いを抱きながら過ごしている当時同世代(昔懐かし20代)だった“田舎”の連中の想いをひしひしと受け止めてきた人間なので、都会育ちの人間が“田舎への憧れ”を能天気に口にしているのを見かけると、想像力が足りないのでは?、と、心の底からがっかりする。

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