「A●RA」と言えば、冷静なインテリ系メディアであるかのように装いつつ、デーブ・スペクターも真っ青なくだらん駄洒落(@中吊り広告)と、ネラーも真っ青な煽り記事で知られる雑誌であるが、そんな同誌に、↓のような記事が掲載されているらしい。
http://www.asahi.com/job/special/TKY200707310094.html
「プロフェッショナルなものを提供して感謝される仕事だと思うので、弁護士の道を選びました。ひとつの目安として、45歳になったとき別の進路に行けるだけの蓄積が欲しかった。民間企業にしても公務員にしても、他人に人事権を委ねざるを得ないものばかり。今は安泰でも将来どうなるかわからないと、(破綻した)山一証券、長銀の話を聞いて思いました」
と語るロースクール生が、下手すりゃパートナーに生殺与奪権を握られてしまう「高収入の大手弁護士事務所」(しかも破綻して地位を失うリスクがあるのは、山一だの長銀だのと何ら変わるところはないw)に籍を置きたい、と望む矛盾に突っ込まないのは、ジャーナリストとしていかがなものかと思うし、そもそも、大学職員になったOBが何ら比較の対象としてコメントしていないにもかかわらず、
「キャリアより大学職員」
なんて見出しをつけてしまうあたりも、オッパッピー感丸出しである。
確かに、今と昔で、学生の気質は多少変わっているのかもしれないし、実際の進路も変わってきているのは事実だが、20歳を過ぎた大人を集団比較することに何の意味があるのだろう・・・?
10年経って周りを見回したときに、20代前半で選んだ道をそのまま歩いている人間がいかに稀少か、ということとも合わせ考えると、なおさらそういった感が強くなる。
ま、頭のいい人間ほど、5年先、10年先、あるいは定年後の生活設計(笑)にまで、勝手な妄想を膨らませがちなので、そういう人々にとっては頭の体操にちょうど良い記事なのかもしれないが。
一つだけ言えることは、「今」という時間を楽しめるのであれば人生に何ら不都合はないし、楽しめていないのだとすれば、5年先、10年先、ましてや定年後(笑)の人生には大して期待はできないだろう、ということ。
そしてそれは、キャリア官僚だろうが、渉外弁護士だろうが、外資系コンサルの勤め人だろうが、平凡な会社の法務担当者と何ら変わるところのない話のように思えてしまうのは気のせいだろうか。
少なくとも、「卒業してどこに行くか」よりもずっと大事なことが、そこにはある。そんな気がする。