愛が敗れた日

商標をめぐる紛争がメディアで取り上げられる機会は決して少なくないが、商標の類否判断や商標の効力が及ぶ範囲など、商標法そのものの解釈に関する知識は、法律専門家の間にすら、さほど浸透しているとはいえない。


そんな世の中だからこそ、時に、客観的には理不尽に見えるような商標管理がまかり通ることにもなる。


“理不尽”といっても、「権利」を主張をする側は、自己の“ブランド”を守るために相応のコストを払っているわけであるし、様々な思惑を秘めた駆け引きを経て、許諾契約等が結ばれるに至った以上、そうやって作られた権利者−使用権者間の“秩序”は、それなりに尊重されて然るべきだと思う。


だが、これから取り上げる「LOVE」商標をめぐる紛争において知財高裁が出した結論は、至ってシンプルなものではあるが、その中身はそれまで気付かれてきた“秩序”を破壊するには十分過ぎるほど苛酷なものといえる。


本エントリーが、そんな原告側の脱力感をほんの少しでも伝えることができたなら、望外の幸いである(笑)。

知財高判平成19年6月28日(H18(行ケ)第10529号)*1

原告・株式会社クラブコスメチックス
被告・株式会社フィッツコーポレーション


本件は被告が平成17年5月12日に出願し、その後登録された商標「Love/Passport」をめぐる無効審判請求不成立審決取消訴訟である。


原告は、自己が有する9つの商標を引用商標として主張した。


そのうち、5つは極めてシンプルな、

「LOVE」

という商標・・・。


香料・化粧品類の販売業者である原告は、当該分野においては“ベタベタ”ともいえる、“愛”という意味を持つこの商標を「自社ブランド」として主張し、商標法4条1項11号、4条1項15号等に基づく審決取消(=商標無効判断)を求めたのである。



冷静に見れば、「LOVE」なんてありふれた言葉の商標としての効力が、「LOVE」という一語そのものを越えて及ぶとは考えにくく、「LOVE+○○」といった一連の語として使われれば、その時点で権利主張しがたくなる、というのは自明の理であるように思われる。


本件で問題とされた商標は、「LOVE」の部分が「passport」よりも大きいサイズで表示されているものの、裁判所は、

「passport」の文字が無視されるほど大きさが異なるわけではなく、「Love」と「passport」は同一の書体から成るから、本件商標は、一見してこれらの両文字より成ると把握することができる。」(19頁)

と認定しており、その瞬間に本件の決着は付いたと言える。



・・・これだけ見ると、何てことはない判決なのだが、本件の凄さは、「本件における事実関係」として認定された事実に登場してくる、原告側の“愛”にかける執念が感じられるところにある。


原告は、一番最初の商標が昭和34年9月28日に登録されて以降、昭和45年11月20日、株式会社マリークワントコスメチックスジャパンが製造販売する「ラブポーション」に通常使用権を許諾したのを皮切りに、以下のとおり、嵐のような権利行使を展開している。


◆昭和48年9月1日 鐘紡株式会社に対し通常使用権許諾
◆昭和50年6月12日 米国スミス・クライン・アンド・フレンチオーバーシーズ・ カンパニーと商標侵害訴訟を繰り広げた末、7年間の通常使用権を対価1200万円で許諾する和解成立
◆昭和51年3月1日 株式会社ミルボンに対する侵害警告
◆昭和53年4月14日 株式会社コッセル特殊化粧料本舗及び日本ベレム株式会社に対する侵害警告 
◆昭和57年8月24日 アキホインターナショナル株式会社及び日本メールサービス株式会社に対し、「ラブ・ハニー」等の使用を禁じる旨の和解契約を締結
◆昭和62年12月22日株式会社純薬、株式会社純ケミファ及び東亜薬品株式会社に対する警告、東京地裁に提訴後、訴訟上の和解
◆平成10年2月   株式会社コーセーに対し侵害警告
◆平成10年11月13日イヴ・サンローラン社に対する警告、許諾契約締結
◆平成14年3月7日 ニベア花王株式会社に対し、無償での権利不行使契約
◆平成16年8月2日 ブルーベル・ジャパン株式会社に対し、警告


中には、「契約のための契約」を結んでいる事案もある(例えば無償での使用許諾契約など)ため、正確な数字というわけにはいかないのだろうが、それでも、登録から30年近く、原告が払った労力はそれなりに大きなものだったと推察される。


それが、本件のような結論に直面してしまうとは・・・。


いかにこれまでの積み重ねがあるといえども、ひとたびこの種の判決が出てしまうと、原告が「LOVE+○○」といった一連商標にまで自己の商標権の効力を及ぼすことはなかなか難しくなる、と言わざるを得ないだろう。


そしてこのことは、「LOVE」を自社ブランド、と主張して事業を展開してきた原告側のポリシーの崩壊につながるものにもなりかねない。


本判決から我々が学ぶべき教訓が、「振り上げた拳を下ろすタイミングの重要さ」なのか、それとも「身の程を知ることの重要さ」なのか、見るものによって受け止め方は千差万別だろうが、ただひとつ、原告にとって、

「愛」が敗れた代償はとてつもなく大きかった。

ということだけは間違いなく言える。


いつの世でも、愛ほど儚いものはないのかもしれない・・・(苦笑)。

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