贅沢な悩み

日経新聞月曜日の恒例、「法務インサイド」で、

「受かっても職がない?」

というセンセーショナルなタイトルの下、司法試験合格者「3000人」問題が取り上げられている*1


ここに来て、地域の弁護士会で「3,000人合格反対決議」なるものが出てきた、というニュースもあるところで、タイムリーな話題には違いないのだが、多少切り口は変わっても結局は、

合格者が3,000人に増えた。
   ↓
既存の法律事務所だけでは供給される弁護士の「卵」を吸収できず、司法修習を修了しても就職できない人がたくさん出てくる。
   ↓
「企業よ採用ガンガレ、何とか受け皿になってくれ」(・・・苦笑)

という形で落ち着くこの種の記事には、正直言ってもううんざり、というのが、筆者の本音である。


過去のエントリーでも述べてきたとおり*2、筆者自身は、「弁護士の就職難」なんていうのは、実務のニーズを把握していない頭の固い人々が生み出したただの“フィクション”でしかないと思っているし、ましてや

「受かっても職がない」

とか、

「合格者が路頭に迷う」

なんて表現は、まかり間違っても使ってはいけないと思う。



よく考えてみよう。


何ら資格がなく、恵まれた経歴を持っていなくても、まっとうな仕事について頑張っている人はゴマンといる。


ましてや、「資格持ち」ともなれば、普通の会社では引く手数多の状態だ*3


世の中で仕事に勤しんでいる人々の数に比べれば、「○○士」という資格を持っている人間なんて、ほんの一握りの存在に過ぎないし、それゆえ、そういった人々は一種の特権階級として、有形無形のメリットを享受することができる。


そんな状況を嫌と言うほど見せられてきた側にとって見れば、「○○士」の最高峰に位置する*4弁護士先生が、一体何に怯えているのかを理解することは、決して容易いことではないのである。


大体、「企業が採用体制を整えていない」というが、このご時世で、新卒採用も中途採用もやっていない会社なんて、探すほうが難しい。


「弁護士の肩書」だけで採用してもらえるようなお膳立てを指を加えて待っているから、全然活路が開けないように見えるだけで、職歴がなければないで、あるならあるで、それにふさわしい採用選考に履歴書書いて持っていけば、よほど人格が破綻していない限りは、それなりに名のある会社の採用選考でも、合格ラインを超えるに十分な評価を受けられることだろう。


そして、いまどき、

「法務の人間が余って困ってます」

なんて会社は皆無に等しいのだから、最初の数年は雑巾がけをやらされたとしても、いずれは落ち着くところに落ち着くはずだ*5


筆者は、企業の中で働く弁護士が少ない原因は、「採用しない」という選択肢を企業が積極的に採用しているからではなく、単に有資格者が「受けに来てくれない」からに過ぎないからではないか、という疑問をかねてから抱いていたのだが、採用等にもかかわるようになったここ数年で、そんな疑問は確信に変わりつつある。


また、企業以外のフィールドに関しては、筆者自身経験したことがないので迂闊なことは言えないのだが、本来互角な勝負になりうるような訴訟やそれ以前の紛争で、「企業側に楽をさせてしまう」という実態が存在している間は、

「弁護士が飽和状態」

だなんてことは、口が裂けても言ってはならないと思う*6


大体、世に人が生きている限り、争いごとの種は無数に転がっているのであり、そういう状況下で、「弁護士数の上限」なるものを観念することは不可能に近い。


にもかかわらず、既存の仕事の取り方、回し方を前提にしてしか物事を考えていないから、やれ飽和している、だの、やれ余る、だのという話になってしまうのではないだろうか。




・・・といつものように、気儘に論じてみた。


当然ながら、こういった問題は、その人が拠る立場によって受け止め方は様々だろうし、先が見えない状況においては、ちょっとしたさざめきを大波のように感じてしまうことがあっても不思議ではない*7


だが、数千人の法科大学院生が既に大学に籍を置いて勉学に励み、更にその後を窺おうとする優秀な学生たちが未だ多数いる現状を顧みたとき、

「努力したにもかかわらず資格すら手に入れられない」

という悲劇を生み出す施策*8と、

「資格は持っているが、これまでのように楽にはいかない」

といった次元の“悲劇”にとどまる施策*9のいずれを優先すべきか、と言えば、結論は火を見るより明らかなのではないだろうか。


所詮は既得権者の発想でしかない“贅沢な悩み”に惑わされて、今、守るべきものが何か、を見失ってしまっては元も子もないだろう・・・、と思う今日この頃である。

*1:日本経済新聞2007年10月29日付朝刊・第16面

*2:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20070223/1172298442#tb

*3:もちろん、資格の中身による温度差があるのは否めないが、“裸一貫”で戦うリスクに比べれば、大した差異ではない。

*4:このポジションは、試験の易しさ難しさによって決まるものではなく、あくまで世間の一般人の“主観的評価”で決まるものだから、法曹選考プロセスが変わり、多少合格者数が増えたところで、弁護士=最強王者の地位は容易には揺るがないと思われる。

*5:もちろん、最低限クビにならない程度に仕事をこなしていけば、の話だが。

*6:世の中に潜んでいる現実的なニーズを把握せぬまま、そのような安易な結論を出すことは、真に専門家の助力が必要な潜在的クライアントに対する重大な背信行為とも言い得る行為ではないだろうか。

*7:かくいう筆者自身、つい2年ほど前は、さほど根拠の定かではない『企業法務2007年問題』に内心怯えていたうちの一人である(http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20051208/1133977138#tb参照)。今となっては単なる笑い話だが(爆)。

*8:今後合格者数を絞っていけば必然的にそうなる。もちろん3,000人に増やしたところで少なからず悲劇は生まれるのだろうが、これはあくまで比較問題。

*9:今の3,000人構想を維持していけば、こういうことになるのだろう。たぶん。

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