指導要領案改訂のニュースに思う。

文部科学省は15日、10年ぶりに改訂する小中学校の学習指導要領案を公表した。国語や理科など主要教科の授業時間数を平均で約1割増やすほか、学習内容も上積みし、ゆとり教育からの脱却を鮮明にした。」(日本経済新聞2008年2月16日付朝刊・第1面)

「理数系、最大3割授業増」、「40年ぶり時間増」の見出しで分かるように、今回の指導要領案の最大のポイントは“脱・ゆとり教育”とされているのだが・・・。


そんなに以前の指導要領に問題があったのだろうか?


何につけても、最初に変なレッテル貼りをされたものを見ると、悪い印象が刷り込まれてしまう習性がある、というのが人の常で、この10年、20年、「ゆとり教育」を推進する文科省をひたすら叩きまくる“メディア&知識人”に載せられて、あたかも「教育」が諸悪の根源であるかのような論調が世の中を支配する不幸な時代が続いていたわけだが、それに乗っかって「生産」された今の10代、20代の世代の人々が、それ以前の時代の人々に比べて格別“劣っている”とはとても思えない。


よく、「基礎学力云々」が取りざたされるが、今よりも格段に豊富なカリキュラムの下で教育を受けた世代(遡って40年くらい前になるらしいが)の人々の中にも、漢字が書けない・読めない大人はたくさんいるし、計算ができない大人もたくさんいる。


初等・中等教育でしっかりと培った知識があれば、それにこしたことはないだろうが、それがなくたって大抵の職業人は何十年と勤めていくことはできるわけで、「基礎学力」なんてものはいつしか忘却の彼方に消えていくだけだ(それよりも仕事の中で学ぶことの方がよっぽど大事だ)。


逆に、「頭」で食べていくタイプの人々であれば、「学習指導要領」なんかに囚われず、自分で知識を仕入れていくだけだから、これまた大して影響はないだろう。


こういうタイプの連中に対しては、変なカリキュラムで縛るよりも、自由な時間を与えて自分でやらせたほうが、よっぽど効率が良い。


それゆえ、文部科学省の偉い人が、机の上で考えていたようなことは、自分が同じ立場にいてもきっと思い付いただろうし、やろうと思ったに違いないと思う。


だが、残念ながら、世の恐るべき「教育ママ」たちと、少子化の中で“これを商機!”と見込んだ「塾産業」の激しい口撃には*1、そんな現実論*2も全く意味をなさなかった・・・というのが、実際のところではなかったか。



ちなみに、自分なんぞは、ちょうど今から2、3代前の「指導要領」下で初等・中等教育を受けた世代になるわけだが、小学生の日常に「学習指導要領」なんて全く関係なかったし*3、その先に進めば進んだで、“超ゆとり教育”の洗礼を受けて長閑な日々を過ごしていた。


あの時代の私立の教師は、「学習指導要領」になんぞ見向きもせずに自己流の授業を展開してわけで、(時々“さぞかしレベルが高かろう”と勘違いしていたりする部外の人もいたりするのだが)内実は究極の“リベラル・アーツ”であって、知識詰め込み型教育には程遠い“象の時間”が教室には流れていただけ(笑)。


元々、「勉強なんて他人に教えられてするもんではなかろう」と思っていたから、毎日通う学校には、無駄話をする相手と知的好奇心をかきたてる程度のちょっとした刺激しか求めていなかったわけなのだが、のんびりしたカリキュラムのおかげで、たっぷり本は読めたし(授業中でもw)、人間観察もできたし、と、ちょっとした「刺激」を血肉として生かすことができたから、それはそれで良い時間だったのではなかったか、と思っている。



今さら自分が小中高の時代に戻ることはないし、戻ることもないから、学習指導要領がどう変わろうと自分の知った話ではないのだが、元々「ゆとり教育」の出発点となっていたはずの“カリキュラムの消化不良→学習意欲の減退”という病理現象をどう克服していくのか、関係者は十分に検討しているのだろうか?


そこが不徹底のまま、世論に押されて「カリキュラム強化」を図ったところで、今度は10年後に、

「詰め込みの弊害、現場に悲鳴!」

という見出しが躍り(天下の朝日とかアサヒとかAsahiとか・・・w)、再び世論に押されて「学習指導要領」がダッチロールするだけだろう。


学校の本質的な“意義”がどこにあるか、を考えれば、「学習指導要領」なんてものに目くじらを立てる必要なんてないわけで、とりあえず世の中で煽られた“危機感”に文科省が応えてメデタシメデタシ、となったところで、不毛な議論はそろそろ終わりにしてほしいものだ、と思う次第である。

*1:今でも時々見かける某塾の広告などでは、まるで今の教育を受けていると「バカになる」が如きネガティブキャンペーンが展開されているのだが、そんな醜悪な塾に子供を通わせたいと思う親の気持ちは、自分には全く理解できない。

*2:上記の理は決して単なる理想論ではなく、世の中の実勢から導かれても不思議ではない理屈だったはずなのだが・・・。

*3:カリキュラムなんてあってなきが如くである(笑)。

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