そんなに深刻か?〜勉強しない高校生

「勉強せず大学」5人に1人
「全入」控え意欲低下か

という見出しが付された日経夕刊の記事。


東大の研究グループの全国的な追跡調査によると、

「05年秋の第1回調査で、1年の時、平日に家や塾、図書館などで勉強した時間を振り返ってもらったところ「ほとんどしなかった」と答えた生徒が59%と最も多く、「約30分」13%と「約1時間」17%を加えた「約1時間以下」が89%を占めた。」
「次に調査時点の三年時の勉強時間を質問したところ「ほとんどしない」は41%に下がったが依然、最も割合が高かった。一方で「四時間以上」は一年時の1%から19%に増加。「約3時間」13%を合わせると32%となり、勉強する層としない層に二極化していた。」
(以上、日本経済新聞2007年9月22日付夕刊・第10面)

ということなのだが・・・。


自分が高1の時に同じような調査を受けたら、間違いなく59%の方に入っただろうなぁ・・・と思う。


あの頃は、教室で授業を受けている時間以外に教科書やノートを開くなんてことは考えられなかったし、そもそも教室の中でも教科書やノート開いてなかったし・・・(笑)。


周囲には、普段は勉強していなくても定期試験の前だけは、という人間も少なくなかったのだが、自分の場合、「ノートをとる習慣」というのが大学に入るまでなかった(正確に言えば、大学に入っても大学4年の冬学期くらいまではまともにノートなんて取ってなかった)から、試験前にやることもそんなにないわけで、授業の休み時間にそれまでに配られていたプリントをパラパラ見返す程度だったから、「平日に学校を離れて勉強してた時間」と言われると、たぶんカウントできない程度の些少な時間しかなかっただろう。


高3になっても、授業を少々マジメに聞くようになった程度で(それだけでも成績は格段に上がったが)、家に帰ってから勉強してたかと言われれば疑問。


予備校の夏期講習なんかはちょこちょこ受けてたし、年末から受験直前期にかけては「四時間以上」なんて数字では括れない(苦笑)くらいの時間は勉強に費やしていたが、調査を受けた時期によっては(あるいは一年間平均で均してしまえば)41%の方に入っても不思議ではない状況であった。


どんな環境に置かれても、決して周囲になじま(め)ない意固地さゆえ、高校に進学するなり部活を辞めて「受験勉強始めなきゃ」って言いだす輩も珍しくなかった環境の中で、自分の中のベクトルも必要以上に「勉強しない方」に振れてしまったことは否めないのだが、だからといってそれを悔やむ気は毛頭ない。


放課後に部室で駄弁ってたり、喫茶店で妙齢のマスター(♀)をからかってたり、ガラの悪い地元の高校生にガン飛ばされつつ、ゲーセンで長時間台を独占していたり・・・。家に戻ったら戻ったで、ナイターの結果に一喜一憂したり、深夜のラジオのMCと時折り流れてくる流行歌に耳をそばだてて夜更かししてみたり・・・。


「学習意欲」を重視する識者から見れば、ロクでもない高校生活だったのかもしれないが、ああいう時間を過ごしたからこそ得られたものも今の自分の中にはたくさん残っているわけで、試験前にパラパラ見ていたプリントの中身と勉強しない時間で得たものとで、どちらが今役に立っているかと言われれば、当然後者の方。

少子化や大学定員の増加に加え、推薦入試、アドミッション・オフィス(AO)入試の拡大などで受験戦争の激しさが緩和されたことが、高校生の学習意欲の低下に影響しているとみられる。」

という分析は、確かに的を射たものなのかもしれないが、暗に「今より勉強していた」という前提で捉えられている「受験戦争激しかりし時代の高校生たち」(筆者の世代もその範疇に含まれるのであろう。たぶん)が、必要に迫られてやった「学習」が、本当に意味のあるものと言えたのかどうか大いに疑問だし、当時の識者もそれを疑問視したからこそ、様々な対策を打ってきたのではないのか?


大学受験の「ゲーム」としての面白さを知る世代の人間としては、「勉強しないで大学に入れる時代」の高校生たちに若干の同情の念を抱かざるを得ないのだが、「入試勉強でムダに消耗しなくて済む」という意味では、それも決して悪いことではないんじゃないか、と思う。


高校生という“シーズン”も、大学生という“シーズン”も単なる通過点にしか過ぎない時期なのだから、人生トータルで考えた時に、その時期に勉強しなかったことが決定的なマイナスになるとは到底思えないし、そこで消耗しなかったことで、後々まで、新鮮な気持ちでより大きなワクワク感を感じながら勉強ができる、なんてこともあるだろう(それは今の自分自身が感じていることでもある)。




本当に重要なのは、「必要に迫られて」机に向かうことではなく、「知識を得て、思索をめぐらすことへの内なる欲求に駆り立てられて」机に向かうこと。


そして、高校生や大学生の時分に、真の意味でそういう欲求に駆られることがあるかと言われればそれは大いに疑問だし、世の中に出れば、そういう欲求に駆られることはいくらでもあるのだから、識者の方々には、「勉強しない高校生」という現状をみて嘆くよりも、いつ何時湧き上がるかわからない「人々の内なる学習欲求」(これは実に厄介な代物だw)に応えるだけの環境をしっかり整える方に労力を費やしてほしいものだと思う。

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