ポスティングは刑罰に値するか?

「結論は予想どおりだが、判旨のあっけなさは想定外・・・。」


これが「防衛庁立川宿舎反戦ビラまき事件」の最高裁判決に対して筆者が抱いた感想である。


言いたいことはいろいろあるのだが、まずは判決を眺めてみることにしよう。

最二小判平成20年4月11日(H17(あ)第2652号)*1

被告人らは「防衛庁立川宿舎」の各号棟の各室玄関ドアの新聞受けに、

自衛官のみなさん・家族のみなさんへ 殺すのも・殺されるのもイヤだと言おう」
イラクへ行くな、自衛隊! 戦争では何も解決しない」

との標題が付されたA4判大のビラを平成15年10月中頃、11月終わり頃、12月13日に投函し、その後、立川宿舎の管理業務に携わっていた者の協議で「禁止事項表示板」(後掲)が掲示された後も、

自衛隊・ご家族の皆さんへ 自衛隊イラク派兵反対! いっしょに考え、反対の声をあげよう!」(平成16年1月17日)、

「ブッシュも小泉も戦場には行かない」(平成16年2月22日)

といった標題の下、同じ内容のA4判大のビラを投函した*2


結局、これらの行為は、「刑法130条前段の罪にあたる」として被告人らは起訴され、原審で有罪判決を受けることになったのであるが、これらのポスティング活動が自らの政治的表現そのものである、と主張する被告人らがこのような判決に納得するはずもなく、憲法21条1項違反を上告理由として、上告審で争われることになったのである。


最高裁は、まず、被告人らが立ち入った場所が、刑法130条にいう「人の住居」、「人の看守する邸宅」、「人の看守する建造物」のいずれに当たるかを検討し、以下のように述べる。

「前記1の立川宿舎の各号棟の構造及び出入口の状況,その敷地と周辺土地や道路との囲障等の状況,その管理の状況等によれば,各号棟の1階出入口から各室玄関前までの部分は,居住用の建物である宿舎の各号棟の建物の一部であり,宿舎管理者の管理に係るものであるから,居住用の建物の一部として刑法130条にいう「人の看守する邸宅」に当たるものと解され,また,各号棟の敷地のうち建築物が建築されている部分を除く部分は,各号棟の建物に接してその周辺に存在し,かつ,管理者が外部との境界に門塀等の囲障を設置することにより,これが各号棟の建物の付属地として建物利用のために供されるものであることを明示していると認められるから,上記部分は,「人の看守する邸宅」の囲にょう地として,邸宅侵入罪の客体になるものというべきである(最高裁昭和49年(あ)第736号同51年3月4日第一小法廷判決・刑集30巻2号79頁参照)。」(6-7頁)

そして、

「刑法130条前段にいう「侵入し」とは,他人の看守する邸宅等に管理権者の意思に反して立ち入ることをいうものであるところ(最高裁昭和55年(あ)第906号同58年4月8日第二小法廷判決・刑集37巻3号215頁参照),立川宿舎の管理権者は,前記(略)のとおりであり,被告人らの立入りがこれらの管理権者の意思に反するものであったことは,前記1の事実関係から明らかである。」
「そうすると,被告人らの本件立川宿舎の敷地及び各号棟の1階出入口から各室玄関前までへの立入りは,刑法130条前段に該当するものと解すべきである。なお,本件被告人らの立入りの態様,程度は前記1の事実関係のとおりであって,管理者からその都度被害届が提出されていることなどに照らすと,所論のように法益侵害の程度が極めて軽微なものであったなどということもできない。」
(以上7頁)

と、被告人らの行為を邸宅侵入罪の構成要件に淡々とあてはめた。


宿舎に掲示されていた「禁止事項」には、

一 関係者以外、地域内に立ち入ること
一 ビラ貼り・配り等の宣伝活動
一 露店(土地の占有)等による物品販売及び押し入り
一 車両の駐車
一 その他、人に迷惑をかける行為
管理者

と書かれており、「管理者」の名前で明確に「立ち入り」や「ビラ配り」を禁止する意思が示されている以上、被告人らの行為がこれに反するものであること自体は否定することができない、そして、「管理権者の意思」に反する立ち入りを刑法130条前段の「侵入」とするこれまでの最高裁判決に照らせば、被告人らの行為が住居侵入罪の構成要件に形式的に該当することも否定できない、というのが判決の理屈である。


最高裁は続いて、表現の自由の保障との関係について、以下のように述べる。

「確かに,表現の自由は,民主主義社会において特に重要な権利として尊重されなければならず,被告人らによるその政治的意見を記載したビラの配布は,表現の自由の行使ということができる。しかしながら,憲法21条1項も,表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく,公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであって,たとえ思想を外部に発表するための手段であっても,その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されないというべきである最高裁昭和59年(あ)第206号同年12月18日第三小法廷判決・刑集38巻12号3026頁参照)*3。本件では,表現そのものを処罰することの憲法適合性が問われているのではなく,表現の手段すなわちビラの配布のために「人の看守する邸宅」に管理権者の承諾なく立ち入ったことを処罰することの憲法適合性が問われているところ,本件で被告人らが立ち入った場所は,防衛庁の職員及びその家族が私的生活を営む場所である集合住宅の共用部分及びその敷地であり,自衛隊防衛庁当局がそのような場所として管理していたもので,一般に人が自由に出入りすることのできる場所ではない。たとえ表現の自由の行使のためとはいっても,このような場所に管理権者の意思に反して立ち入ることは,管理権者の管理権を侵害するのみならず,そこで私的生活を営む者の私生活の平穏を侵害するものといわざるを得ない。したがって,本件被告人らの行為をもって刑法130条前段の罪に問うことは,憲法21条1項に違反するものではない。このように解することができることは,当裁判所の判例(昭和41年(あ)第536号同43年12月18日大法廷判決・刑集22巻13号1549頁*4,昭和42年(あ)第1626号同45年6月17日大法廷判決・刑集24巻6号280頁*5)の趣旨に徴して明らかである。所論は理由がない。」(8頁)


憲法上の人権が絶対無制約のものではない(「公共の福祉」による制約を受ける)のは半ば常識の範疇に入る話であるし、単に管理権者の意思に反するのみならず「平穏侵害」の観点からも第三者法益侵害あり、ということになれば、いかに表現の自由を持ち出したところで有罪判決を免れることはできない・・・


そう考えれば、上記のシンプルな判旨にも全く説得力がないとまではいえない。


だがしかし・・・


筆者にはどうしても腑に落ちないところが残る。

上記判決が持つ意味

結論だけ見て、「不当判決!」と叫ぶだけだと、その辺のアジ集団と同じになってしまうし、日頃から煩わしいポスティングに悩まされている身としてはむしろ積極的に歓迎すべき判決なのかもしれない。


しかし、世の中で、「ビラやチラシの類をポストに投函する」という行為が広く行われており、かつ、それらの多くが“何のお咎めもなしに”行われている、という現状を鑑みると、本当にこれで良いのか?という疑問は残る。


上で強調したように、最高裁は、本件事案を

「表現そのものを処罰することの憲法適合性が問われているのではなく,表現の手段すなわちビラの配布のために「人の看守する邸宅」に管理権者の承諾なく立ち入ったことを処罰することの憲法適合性が問われている」

ものと位置付けている。


だが、判決文に記載されている事実関係を見れば、本件被告人らに対する一連の手続きが、

「愚かにも自衛官の官舎でイラク派兵反対ビラをまいた活動家に対する見せしめ的制裁」

を意図したものであることは明らかだろう。


そりゃぁ、警察にしても検察にしても、「ビラの内容が問題だった」などという理由で逮捕・起訴するわけにはいかないから、「住居侵入を防ぐ」という内容中立的規制を前面に出して手続きを進めているのだが、もし仮に、ビラの内容が、

国際貢献のためにイラク行きを積極的に志願しよう! 家族の皆さんも応援してね!」

というものだったら、同じような態様で配布されたとしても、「住居侵入罪で起訴する」なんて話には決してならなかったはずだ。


「住居侵入罪」は、あくまで「住居に立ち入らせたくないという管理権者の意思」ないし「居住する人々の生活の平穏」を保護するものであって、「管理権者にとって都合の悪い情報に居住者がアクセスできる状況をもたらすこと」を禁じるためのものではない。


その意味で、事案の背景を直視せず、淡々と当てはめ処理を行った最高裁の姿勢には、疑問を抱かざるを得ない。


せめて補足意見でも良いから、そこまで踏み込んで意見を述べる裁判官が一人くらいいても良かったのではないだろうか・・・*6



また、最高裁があまりに淡々と本件を処理してしまったことで、「ポスティング行為の違法性」に関する判決の射程が、全く絞り込まれることなく生き続けてしまう、という弊害も出てくる。


最高裁が本判決において引用した判例は、ビラ貼りや、駅構内の演説など、一般人にとっては無益な表現(情報伝達)行為に対する規制が問題となったものに過ぎない。


だが、「ポスティング」はより商業的・多元的な表現(情報伝達)手法である。


政治ビラには関心がない(というか迷惑)と思っている人の中にも、ピザ屋やリサイクル業者のお世話にはなってもいい、と思っている人はいることだろう。


にもかかわらず、最高裁判決の判旨を忠実に解釈するなら、

「ビラ配りなどの宣伝活動を禁じる」

という管理権者の意思がどこかに表示されていれば、ピザ屋のビラ撒き業者も住居侵入罪に問われることになってしまうわけで*7、法令順守意識の強い業者(どれだけ世の中に存在するかは知らないが)であれば、ポスティング行為自体をやめてしまうことも考えられる。


このような帰結も含めて許容するような意識が、果たして世の中で醸成されているのだろうか?*8


判決の射程まで意識した上で、もう少し丁寧に事実を拾って、“厚い”判決を書いてくれれば良かったのに・・・と思っているのは筆者だけではないだろう。


つい先日のエントリーでも紹介した類似事例が、ちょうど上告されているところだけに*9最高裁の今後の対応が注目されるところである。

*1:第二小法廷・今井功裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080411183714.pdf

*2:平成15年12月13日の投函以降は、管理者の意を受けた管理業務者から警察に住居侵入の被害届が提出されていた。

*3:吉祥寺駅構内演説事件。駅構内でビラ配布や演説を繰り返した行為が問題になったもの。伊藤正己裁判官が「パブリック・フォーラム論」を補足意見で展開したことで有名だが、同時に当該事案には適用しない、という結論を導いていることはあまり知られていない。

*4:大阪市屋外広告物条例事件。電信柱等へのビラ貼り行為が問題になったもの。

*5:愛知県原水協事件、電柱へのビラ貼りが問題になったもの。

*6:仮に、原審の判決を支持するにしても、「掲示の文言に形式的に反している」という理由以上に説得力のある理由を提示することは可能だったはずである。例えば、「反戦活動家が自衛官官舎の敷地内に無断で立ち入ることによって、自衛官やその家族等に対して恐怖感を与える」等、いくらでも挙げることはできただろう。それを行うことなくして「見せしめ的制裁」を正当化する姿勢には、やはり疑問を抱かざるを得ない。

*7:ちなみに、一般的に保護価値が高いとされている「政治的表現」たる本件ビラ配布行為でさえ、住居侵入罪の責めを受けることを免れないとなれば、「営利的表現」に過ぎない一般の商業ビラが責めを免れる余地はほぼない、ということになろう。

*8:管理人が常駐している集合住宅なら、ビラ配りの際に逐一承諾を得ることも考えられるだろうが、そういう住宅は実際にはそんなに多くはない。禁止事項を「ピザ屋のビラはいいが・・・はダメ」などと細かく書くという手もあるが、煩わしさに堪えない。

*9:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20071211/1197471861

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