またか、と思う・・・。
「イラクへの自衛隊派遣は憲法違反として、弁護士や市民らが国に派遣差し止めや慰謝料などを求めた訴訟の控訴審判決で、名古屋高裁の青山邦夫裁判長(高田健一裁判長代読)は17日、「イラクでの航空自衛隊の空輸活動は憲法9条に違反する」と述べ、違憲との判断を示した。イラク派遣を巡る訴訟で違憲判断は初めて。」(日本経済新聞2008年4月18日付朝刊・第1面)
元々イラクへの自衛隊の派遣をめぐっては、思想的なバックグラウンドにかかわらず、「違憲」だという論調が識者の間では強かったから、結論に直結しない“傍論”とはいえ、今回の判決の中で示されている違憲判断自体は十分評価に値するものだと思う。
ただ、問題は、国側がいかに争いたくても上告できない、という事実にある。
国家政策の重要な部分にかかわる重大な争訟であるにもかかわらず、最上級審の判断を仰ぐことができないことが何をもたらすかと言えば、
「所詮は傍論に過ぎない」
という「勝訴」した国側の主張と、
「極めて重要な意義のある画期的判決だ」
という「敗訴」した原告側の主張が乱れ飛ぶカオス。
同じような問題があった靖国参拝事件では、最終的に最高裁判決が出て一応の決着を見たが、本件に関して全国にいる原告団が「高裁で負けても上告しない」という戦術を取れば、今回の名古屋高裁の判決が“燦然と輝く裁判例”として残ってしまうことになり、憲法9条改正に踏み切らない限り、混乱が収拾されることもないだろう。
「傍論」で法律の違憲判断をすることがいけない、ということではない*1。問題の本質は、上記のような、如何ようにでも解釈できてしまう判決を下級審段階で残し、そのまま塩漬けにする途を残してしまったことにある*2。
なお判決は、
「控訴人らの切実な思いには平和憲法下の国民として共感すべき部分が多く含まれるが、本件派遣によって具体的権利としての平和的生存権が侵害されたとまでは認めることができない。損害賠償請求で認められる程度の被侵害利益がいまだ生じているとはいえず、本件損害賠償請求は認められない」
と述べているが、そうなると、一体どこまで政府が憲法9条1項に違反すれば、国民の「平和的生存権の侵害」や「被侵害利益の発生」が認められるのだろうか。
憲法第9条の重大な意義を考えたとき、たとえ名目的なものであっても一定の権利利益の侵害を認め、被告側に賠償責任を課すのでなければ、かえって第9条の価値を損ねるのではないだろうか。
そういった意味でも、本件判決には疑問が残るし、この判断に対する上級審のレビューがなされないのだとすれば、それもまた残念なことだと思う。