法律家の常識?

日経夕刊・火曜日のコラムをお茶の水女子大名誉教授の篠塚英子氏が執筆されているのだが、この篠塚氏、最近法テラス関係のお仕事に就かれたようで、毎回法律関係のネタが多い。


で、思わず苦笑したのが3日付のコラム。


「私の常識、世間の非常識」というテーマで冒頭で取り上げられていたのが次のようなネタ。

「20年も前、労働法の大先生にお願いし『雇用均等時代の経営と労働』で共編者になっていただいた。大先生の原稿を入手して仰天。二ページ相当の原稿数枚が「、」だけで延々と続く。法律では簡単に文中に「。」を入れないらしい。」
「断定形の句点を入れると、予断を許す。これを避けるための長文化。法律の世界との慣習(常識)のギャップを感じた。


本のタイトルから「大先生」はどなただろう・・・と思って調べてみたら、H先生だった(笑)。


確かにこの業界、悪文書きが多いのは事実だけども(筆者ももちろん例外ではない)、一方で明快簡潔な文章を書かれる人もたくさんいるわけで、これが「法律の世界の慣習」と言われてしまうと、ちょっとどうかなぁ・・・と思う。


もちろん、原則の例外だとか、反対利益だとか細かいことをいろいろ考えていくと、一文に盛り込む情報量が増えてくるのも事実なのだが、それでも文章を簡潔に見せるテクニックというのはあるわけで、悪文=法律の世界の常識というわけではないだろう。


なお、シンプルさを重視しすぎて、奥に潜む様々なプラスマイナスが忘れ去られがちな議論が目立つ昨今(一連の司法制度改革なんてまさにその典型だ)、少々の「悪文」でも細かいところ配慮した言説の方が、世の中にとって得るところが多いように思えるのだが、それは世間においては「非常識」なのだろうか?


「良心的な法律家は政治家には向かない」


と誰かが昔言ってた。その言葉の意味が、なんとなく分かるようになってきた今日この頃である・・・。

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