消えたピアノ、消えない灯。

第一審で「店舗からのピアノの撤去」を含む厳しい差止請求が一部認容されたことで、相当の物議をかもした、「JASRAC対デサ・フィナード」事件。


控訴審判決も先日静かに出されている。


結論としては、わずかに店舗側に有利な変更が加えられているが、「ピアノを撤去せよ」という部分については変更なし。


原審に引き続いて、仮執行宣言を付さない異例の措置となっているが、高裁で認定された事実による限り、仮に上告したとしても、結論を覆すのは困難であるように思われ、「音楽を楽しめるレストラン」を売り文句としていたこのお店から、備え付けのピアノが消えるのは時間の問題かのように見える。


「なぜ、こんなことになってしまったのか」ということについては、第一審の判決に対してコメントした際にも述べたとおりだが*1、このような結論が独り歩きしないように、ここでも、再度この事件の特殊性を確認しておくことにしたい。

阪高裁平成20年9月17日(H19(ネ)第735号)*2

1審原告 社団法人日本音楽著作権協会
1審被告 B


原審から引き続いての攻防となったこの事件、最大のポイントは、「カラオケ法理の適用により、直接の演奏主体でない店舗の著作権侵害主体性を認めることが妥当か否か」という点にあったと思われるのだが、残念ながら、高裁判決は大筋で原審判決の論理構成を認め、判決文そのものについても、部分的な修正にとどめた。


一応、高裁は、一審被告側の主張に応える形で、

最高裁判所昭和63年3月15日第三小法廷判決(民集42巻3号199頁)は,スナックにおける客のカラオケ伴奏による歌唱について,客は経営者と無関係に歌唱しているわけではなく,従業員による歌唱の勧誘,経営者の備え置いたカラオケテープの範囲内での選曲,経営者の設置したカラオケ装置の従業員による操作を通じて,経営者の管理の下に歌唱しているものと解され,他方,経営者は,客の歌唱をも店の営業政策の一環として取り入れ,これを利用していわゆるカラオケスナックとしての雰囲気を醸成し,かかる雰囲気を好む客の来集を図って営業上の利益を増大させることを意図していたというべきであって,客の歌唱も,著作権法上の規律の観点からは経営者による歌唱と同視しうる旨判示した。本件は,いわゆるカラオケスナックに関する事案ではなく,上記判示をそのまま当てはめることはできないが,同判決は,著作物の利用(演奏ないし歌唱)の主体は著作権法上の規律の観点から規範的に判断すべきものであって,現実の演奏者・歌唱者だけでなく,演奏・歌唱を管理し,それによって営業上の利益を受ける者も含まれうることを明らかにした点で,本件においても参酌すべきである。」(34-35頁)

という説示を付加しているものの、一審被告側にとっては何の慰めにもならなかったことだろう。


かくして、「通常のレストラン営業の傍らで定期的に行われる」ピアノ演奏の主体は店舗経営者である一審被告である、という認定が維持されることになった。


もっとも、「ライブ演奏」については、多少は一審被告側に配慮した結論に修正されている。

イ第三者が主催するライブについて
「この形態のライブは,プロの演奏者又は後援会からライブ開催の申込みにより行われ,演奏者が自ら曲目の選定を行い,ちらし等を作り,雑誌に掲載して広告し,チケットを作って販売し,ライブチャージを取得するのであって,本件店舗は,従業員が客からのライブチャージ徴収事務を担当し,例外的に予約を受け付けることがある以外,何らの関与もせず,演奏者等から店舗の使用料等を受領せず,演奏者に演奏料も支払われないのであるから,本件店舗は,ライブを管理・支配せず,基本的に,ライブ開催による直接の利益を得ていない。他方,本件店舗のコンセプトに照らすと,本件店舗は,このようなライブを店の営業政策の一環として取り入れ,かかる雰囲気を好む客の来集を図って営業上の利益を増大させることを意図していた可能性も否定できないが,ライブ開催と来店者及び収益の増加との関係は必ずしも明らかではなく(ライブ開催時の飲食物提供は通常より簡素であると認められる。2(1)イ(イ)c),仮に一定程度の利益が生じるとしても,管理著作物の利用主体を肯定することにはならない。そうすると,このような形態のライブで,本件店舗(1審被告)が,演奏を支配・管理し,演奏による営業上の利益の帰属主体であるとまではいうことができず,管理楽曲の演奏権を侵害したとは認められない。」
(36-37頁)

明らかに店舗側に侵害主体性が認められる店舗主催ライブとは異なり、この種のライブでは演奏曲目等も含めた企画の主導権は演奏者側にあるのだから、店舗に侵害主体性を認めるのはおかしい、という理屈は至極まっとうであるし、裁判所としても聞き入れる余地はあると考えたのだろう。


これにより、原審でも侵害主体性が否定された「貸切営業における演奏」に加え、「第三者主催形態のライブ」についても、一審被告の侵害主体性が否定されたことになり、その分、一審原告(JASRAC)側の請求が認められる範囲は狭まったこととなった*3

差止めの必要性

さて、この事件でいちばんの問題となった「差止めの必要性」についてであるが、やはり、「ピアノの撤去」という結論は変わらなかった。


原判決時のエントリーでも述べたように、このような裁判所の強い姿勢の背景には、

「1審原告が再三にわたって音楽著作物利用許諾契約の締結を促しても,これに応じなかったばかりか,自ら本件店舗においては管理著作物は演奏しないという方針を明らかにした後も,管理著作物の演奏を継続してきた」(45頁)

という一審被告の姿勢に対する不信感があることは、想像に難くない。


大体、現在閲覧できる「デサフィナード」のサイトには、いまだに「JASRACと戦っているお店です」というフレーズが残されている*4


本件で被告となっていた店舗は、あくまで間接侵害により侵害主体とされるものにすぎなかったのだから(ライブ演奏については微妙だが)、“直接の侵害者に対して以後著作権侵害行為を行わせないようにする”等の意向を強く表明していれば、ピアノの撤去は免れえた可能性は高い。


にもかかわらず、半ば「確信犯」的なやり方で、JASRACと闘い続けたことが、結局ピアノの撤去を強制される、という事態につながることになったといえよう。


そのことは、控訴審で付加された、

「1審被告は,ピアノ弾き語り等による演奏曲目を非管理楽曲に限定し,あるいはこれを中止し,主催するライブで演奏される曲も非管理楽曲に限定してきた旨主張する。」
「しかし,1審原告の管理著作物が460万曲に及ぶこと及び上記認定に係る本件店舗のコンセプト,音楽的傾向にかんがみると,店内のピアノ演奏や主催ライブでの演目を将来にわたって非管理楽曲に限定することは現実的とは解されず,現に,上記認定のとおり,1審被告が平成17年2月13日に上記と同旨を表明した後も,本件店舗で管理著作物が演奏されたことが認められる。」
(46頁)

という説示からも見て取れる。


管理著作物が460万曲云々、というところだけ読むとすべての場合にあてはまってしまいそうだが、最後の2、3行を読むと、要は「裁判所は一審被告による任意の義務履行に期待していない」ということがはっきりとわかってしまうのである。


これまで「デサフィナード」で行われてきた営業形態のうち、一部の営業については今後も引き続き行えることがわかっているし(もっとも今度は演奏者に対してJASRACがちょっかいを出してくる可能性はあるが)、それらの営業の際にピアノを搬入することも禁じられていない。


しかし、ピアノの保管場所を別のところに探して、いちいちライブや貸し切り営業の際に限って持ち込む、というのはかなり面倒な作業だし、コストもかさむだろう。


それ以上に、「備え付けのピアノの存在」は、それ自体で店の雰囲気づくりに役立つものですらある。


意地を張り続けた代償が、どの程度のものになるのか、筆者には予測することはできないが、著作権訴訟に臨む戦略、という点ではいろいろと考えさせられられるところの多い事例だと思う。


個人的には、ピアノが失われても、「音楽を心の底から愛する」オーナーと、そのコンセプトに共鳴する人々の心の灯だけは失われてほしくないものだ、と思っているのであるが・・・。



なお、本判決には、おまけ、というか「外伝」と言いたくなるような損害賠償請求訴訟の判決(大阪高判平成20年9月17日、H19(ネ)第2557号)もセットで付いている*5


こちらの方も機会があればご紹介することにしたい*6

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20070205/1170614325参照。

*2:第8部・若林諒裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080925090310.pdf

*3:もっとも、認定された損害賠償額は約190万、と原審段階での数字(191万)とほとんど変わっていないのであるが・・・。

*4:http://www.desafinado.jp/

*5:http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080925090747.pdf

*6:JASRACの“驚異の潜入捜査”の一端を知る上でのよい素材となろう。

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