あまりにお粗末だった事件。

この国では、年に何度か、裁判で「無罪」の判決を勝ち取った被告人にスポットライトが当たることがある。


被告人本人や弁護人、そしてその支援者は当然「冤罪」が晴れたと大騒ぎするわけだか、よくよく判決文を読んでみると、“真っ白”とは到底言い難く、訴追側が有罪立証をしくじったが故に証拠上無罪になったに過ぎない、と評価する方が適切な事案も多い*1


だが、この事件に関しては、立証云々の問題以前に、“被告人は最初から真っ白だった”と言っても過言ではないだろう。

「障害者団体向け郵便料金割引制度の悪用事件で、虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた元厚生労働省局長、村木厚子被告(54)の判決公判で、大阪地裁は10日、「元局長が証明書作成を部下に指示した事実は認められず、共謀があったとは認定できない」として無罪を言い渡した。」(日本経済新聞2010年9月11日付朝刊・第1面)

そもそも、いくら所掌的には自分が管理する業務だった、といっても、一“自称障害者団体”の証明書発行、という細々とした事務に、当時既に課長という地位にあった被告人がいちいち指示して介入する、というのは常識的には考えにくい*2


それゆえ、常識では考えられない状況を正当化するために、検察としては、「議員案件」というストーリーを持ち出すほかなかった*3のだが、そのストーリーはあっさりと破たんした。


そして、仮に「議員案件」という前提があったとしても、そこから「虚偽の証明書を発行する認識があった(そしてその認識に基づいて指示を出した)」ということにつなげるには、本来相当な論理と情況証拠の積み重ねが必要なはずなのに、本件ではそのあたりも極めて曖昧だったように思う。


結果的には、検察側が立証構造の中核に“共犯者(ないし密接な関係者)の自白”を据えようとしたこと、そして、その核となった被告人の上司や部下の供述調書の多くについて証拠能力が認められなかったことが、無罪判決の最大の原因になったことは疑いないのだが、そもそも滅多なことでは第三者の供述調書の証拠能力を排斥しない裁判所が、このような判断をした時点で、“本件は真っ白”という心証が形成される状況が存在していたことが大いに推認されるわけで、本件が“単なる立証のまずさ”で片づけられる事件ではないことは明らかである。


一度起訴してしまえば、天地がひっくり返りでもしない限り、公訴取消はしないし、無罪弁論も担当検事の首が飛ぶくらい追いつめられた状況にならなければしない、というのが検察という組織の性とはいえ、今回ばかりは、激しいメディアの批判に晒されながら不毛な公判期日を続けざるを得なかった*4公判担当検事に同情したくもなった。


もちろん、追って沙汰が下るであろう大阪地検の特捜部、公判部の関係者とは比較にならないほど大きなダメージを受けたのが、キャリア公務員として一番大事な時期に時間を奪われた被告人であることは間違いないし*5、そのダメージを慰謝するためには、2,3人の首では足りないんじゃないか・・・という気もするのだけれど。

*1:それでも刑事訴訟法の原則にのっとれば、被告人が無罪であることに変わりはないのであって、有罪の証拠がない以上、胸を張って堂々と街を歩けばいい、と自分なんかは思うのであるが、世の中の多くの人々はそこまで鷹揚ではないようで、それゆえメディアも引っ張られて、無罪=真っ白、有罪=真っ黒、というように、綺麗な(しかしややもすると強引な)色分けをしたがる傾向にあるようだ。

*2:被告人と団体関係者との間にかねてから深い関係があれば別だが、本件でそのような事情があったことは出てきていない。

*3:というか思考過程としては、「政治家の悪事への介入」を罰する、というところから村木元局長の話も出てきたのだろうと思う。

*4:そして不毛な論告を起案せざるを得なかった・・・

*5:これは、次いで無罪判決を受けるであろう元係長についても同様である。