起訴された時から懐疑的なコメントを寄せる識者が多く、このブログにおいても、「不可解な起訴」と題して疑問点を指摘した*1、福知山線脱線事故に関する山崎元社長の刑事事件。
あれから2年半、第1ラウンドの神戸地裁で、やはり・・・といった感のある無罪判決が出された。
「兵庫県尼崎市で2005年4月、乗客106人と運転士が死亡、562人が重軽傷を負ったJR福知山線脱線事故で、業務上過失致死傷罪に問われたJR西日本前社長、山崎正夫被告(68)の判決が11日、神戸地裁であった。岡田信裁判長は「事故を予見できる可能性はなく過失は認められない」として、無罪(求刑禁錮3年)を言い渡した。」(日本経済新聞2012年1月11日付け夕刊・第1面)
個人に過失犯としての刑事責任を問うのであれば、その立場にあった者としての「予見可能性」と、それを前提とした「結果回避義務違反」が存在することが不可欠である。
そして、その内容をどのように解するか、については、事例によってある程度幅があるとはいえ、本件のように(ATSを整備しなかったという)「不作為」が問題とされる場合においては、上記の原則を厳格に解さないと、処罰範囲が広がり過ぎて、明らかに不当な結果を招く、というのが、大方の法律家の共通認識だといえるだろう。
記事によれば、公判での最大の争点は、
「事故現場の急カーブ化への変更工事完成時に安全対策を統括する鉄道本部長だった前社長が、危険性を認識し、事故を予測できたかどうか」(同上)
という点にあったということだが、仮にここで被告人に、
「急カーブになると危ないなぁ」
というくらいの“何となく”の漠然とした抽象的な認識しかなかったのであれば、これについて予見可能性を認めるのは、いくら何でもやり過ぎであり、伝統的な過失犯成否の基準に照らすなら、「あくまで危険性を具体的に予測できることが必要」*2ということになると思われる。
結論として、裁判所は、「急カーブ化や増便による危険性の高まりを指摘」し、「1996年12月のJR函館線の貨物列車脱線事故について『自動列車停止装置(ATS)があれば防げた』との報告を社内会議で受け、前社長が危険性を認識しながらATS設置を怠った」という検察側の主張を全面的に退け、
「曲線半径を半減させる変更工事は珍しいが、現場より急なカーブもかなりある。函館線事故は様相が大きく異なり、現場カーブの脱線の危険性を想起させるものでない」
「我が国の鉄道事業者において、危険度の高い曲線を個別に選んでATSを設けることはなかった」
といった点から、
「ATS設置を指示するほどの予見可能性は認められず、前社長に注意義務違反は認められない」
という判断を下した。
個人的には、本件は、「予見可能性」の問題というよりも、事故の予見可能性があったことを前提としつつ、「在職時点で、山崎前社長(当時は鉄道本部長(常務))がATSを設置するまでの義務を負っていた」と言えるかどうか*3がポイントだと思っていただけに、裁判所が「予見可能性」のところで検察側の主張をバッサリ切ってしまった、と聞いて、一瞬、相当厳格だなぁ・・・と思ったりもしたのだが、山崎前社長が鉄道本部長の地位を退いたのが事故の7年近く前だったことを考えると*4、こういう判断も、十分合理的なものと言えるのではないかと思っている。
なお、「過失犯の成否の判断基準」というのは、司法試験の受験生でも頭がごっちゃになってしまうような、分かりにくい論点であるだけに、法律に関しては素人の被害者やその遺族が、上記のような理屈をすんなり受け止められるか、と言えば、難しいところもあるのは間違いない。
記事の中でも、「納得できない」と憤る遺族の姿が報じられており、
「現場カーブの危険性を認識していなかったという社内倫理には納得できない。安全を最優先する鉄道事業者としてお粗末だ」(日本経済新聞2012年1月11日付け夕刊・第15面)
というコメントも紹介されている。
また、被害者の立場から見れば、「予見できなかった、ということそれ自体が、責任を問われるべき問題なのではないか」という発想も当然出てくるところだろう*5。
だが、刑事処罰の結果が、被告人として法廷に立たされる個々の「人間」の人生に対して与える影響の重さを考えれば、過失犯の成立範囲を安易に拡張すべきではないし、易きに流れなかった裁判所の厳格な姿勢は、評価されなければならないと思う*6。
民事に関しては、事故を起こした鉄道事業者に債務不履行責任があることは明らかだし、安全対策に関しても、今回の判決で、
「カーブで転覆が起きるリスクの解析や、ATS整備のあり方に問題が存在し、大規模鉄道事業者として期待される水準に及ばないところがあった」(日本経済新聞2012年1月11日付け夕刊・第15面)
と裁判所が指摘したとおり、事業者として不十分なところがあった、という点は認められているのだから、
「判決理由を聞くのが苦痛だった」
とか、
「無罪のまま終われば、JR西が企業として間違っていなかったと認めることになる。会社全体が責任を問われていることを示さなければならない」(以上、日本経済新聞2012年1月12日付け朝刊・第39面)
といったことまで、会見を開いて言わなければならないようなところにまで遺族を追い詰める前に、検察官の側できちんとコミュニケーションをとって説明することはできなかったのだろうか・・・*7。
「何が被害者のため」なのか、ということも含めて、いろいろ考えさせられるところである。
*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20090709/1247339071
*2:日本経済新聞2012年1月11日付け夕刊・第15面、神戸大法科大学院の大塚裕史教授(刑法)のコメント。
*3:この種の事例の場合、大抵は事故が起きて始めて安全対策が義務化されるのが常であり、本件でそういった事情があったのだとすれば、遡って結果回避義務違反を問うのは不適切、という結論が導かれることになる。
*4:そもそも急カーブ化工事後に、数次にわたるダイヤ改正(この時点では既に山崎氏はJR西日本を退職しており、鉄道本部長の地位にはない)で余裕時分を削っていったことが、本件事故の背後要因として指摘されている。
*5:現に、被害者参加制度の下で行われたの被告人質問において同趣旨の質問がなされたことも報じられている。
*6:逆に、遺族へのリップサービスなのか、「利益追求の理念の下で現場の危険性を人為的に高めた」などと、論告で口当たりのいい(だが、公訴事実の立証には直接関係ない)言辞を並べた検察側の姿勢は、厳しく戒められてしかるべきだと思う。
*7:起訴した検察官の側にしても、今回の訴訟で有罪をとれる可能性が低い、ということは十分に分かっていたはずなのだから。翌日の朝刊に掲載された神戸地検の小尾仁・次席検事のコメントは、「意外な判決」というカマトトぶりで、ちょっとがっかりさせられたが・・・。