「龍馬伝」への素朴な疑問

ここのところ、ずっと見られていなかった大河ドラマがHDDに貯まっていたのだが、さすがに最終回の後に見ても興ざめだろう、と思い、夜中に一気に何話かまとめて見てみた。

まぁ、歴史の一大転機に向けた山場シーンが次々と・・・という感じでそれなりに見ごたえはあったか。

自分自身、今も昔も「造反有理」的思想の持ち主だから、“幕末物”は大好きだし、既存の秩序をひっくり返していくプロセスを、異なる視点から描いていくドラマなり読み物なりが次々と世に送り出されるのを見比べて、いろいろと思いを巡らせるのも結構好きだったりする。

概して、ドラマの場合は、史実に比べて主人公の良さが強調され過ぎているのが嫌、という人も多いのだが*1、その辺は割り切って見るくらいでないと、人生面白くないわけで(笑)。

今回のドラマに関して言えば、あくまで主役は「坂本龍馬」とそのシンパ、だから、幕府側の人間が(勝海舟を除いて)愚鈍に描かれる(特に徳川慶喜の描かれ方は、気の毒なまでだった)のも仕方ないわけだし*2薩長の人間に、何となく嫌らしいクセのある役者が割り当てられているのも、山内容堂公が必要以上に老獪な狸親父として描かれているのも*3、そんなものだろう、とは思う。

もっとも、ドラマで描かれている“坂本龍馬”が、あまりに平等主義的・平和主義的な理想主義者だったがゆえに、回が進めば進むほど、最終的に彼が画策して成し遂げた(とされている)こと、そしてその後もたらされた世の中とのギャップが気になって仕方なかったのではあるのだけれど*4

なお、最終回では、当然のようにコテコテの結末が予想されるだけに、必要以上にくさい芝居にならないことを、熱心な視聴者としては願うのみである。

*1:元々全てがフィクションの世界に近い中世以前の時代と比べ、幕末〜明治維新期というのは、それなりに客観的な資料も結構残っているだけに、なおさらその辺のギャップを気にする人も多いような気がする。

*2:とはいえ、新選組の局長が原田泰造、っていうのはどうなのかなぁ、と。数年前の大河で主役張ったキャラにしてはちょっと軽すぎる・・・。泰造は「篤姫」(=幕府側視点のドラマ)の時は薩摩の大久保やってたし、その辺は番組制作者の意図が見事に投影されているキャラ、というべきなのかもしれない。

*3:いくら平均寿命短い時代だったからといって、大政奉還の時にまだ40歳くらいだった容堂公があんなお爺ちゃんじゃかわいそうじゃないか・・・と。

*4:あの思想を突き詰めていけば、「人民政府」樹立論に向かうことはあっても、「天皇」を頭に掲げることが前提の「大政奉還」というスキームにはなかなか向かっていかないだろう、というのが素朴な感想で、その間を埋めるような国学的思想の影響だとか、現実主義者としての一面だとかがあまり描かれていないだけに、なかなか違和感は消えなかった。

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