美しくない責任の押し付け合い

郵便料金不正事件における大阪地検の大失態の責任を取る形で、大林宏・検事総長が就任後約半年で辞任。
後任には来年早々に定年を迎えるはずだった、笠間治雄・東京高検検事長が就任、という話を聞くと、「人生どこで何が起きるか分からない」というありきたりなフレーズが思わず頭に浮かんでしまう*1

だが、24日に公表された最高検察庁の「いわゆる厚労省元局長無罪事件における捜査・公判活動の問題点等について(公表版)」というペーパーを見ると、検察組織が抱える問題の根っこは、トップの首をすげ替えたくらいでそうそう解決されるものではないのだなぁ・・・ということをしみじみと感じさせられる。

それも、ペーパーで指摘されている「問題点」そのものからではなく、“ペーパーのスタンスそのもの”からそう感じるのだから、何とも皮肉なことだ。

公表されたペーパー↓
http://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/supreme/img/kensyou.pdf

メディアでは、今回最高検がこのような形でペーパーを公表したことについて、一定の評価を与えるむきもあるようだが、個人的な印象では、(短期間でまとめられたことを差し引いても)このペーパーが高い評価を与えられるようなものだとは思えない。

この辺は、企業の「第三者委員会報告書」とも共通する問題なのだが、ある不祥事の調査をするときに、「協力者」サイドからだけ積極的に情報を取って、組織と「敵対」する関係にある者*2からの情報収集をサボると、どうしても情報が偏り、一面的な分析しかできなくなってしまう。

今回の件に関しては、そもそも前特捜部長、副部長が、「否認中の被告人」という検察組織と真っ向から対決する立場にある人物だけになおさらその傾向が強いのかもしれないけれど、客観的な目で見れば、この調査結果、分析結果で収めてしまって良いのか・・・ということは、やはり誰しもが思うことなのではなかろうか。

新聞記事等でも取り上げられているが、上記ペーパーには、今回の前田検事の証拠改ざんの背景事情として、

「前田検事は、平成21年4月下旬頃、本件の主任検察官として捜査を始めるに先立ち、大坪部長から、「何とかA氏(注:村木氏)までやりたい。」、「前田君、頼むな。これが君に与えられたミッションだからな。」などと言われ、A氏を検挙することが最低限の使命であり、これを必ず達成しなければならないと感じた」(21頁)

というくだりがある。

さらに、このペーパーには、「大坪部長が」で始まるくだりが異常に多い。

「この捜査の当時、大阪地検特捜部では、本件の端緒となった郵便法違反事件の関連事件の捜査を並行して行っており、人員に余裕がなかったことから、検事正らは、他の検察庁からの応援を求めることを検討したが、大坪部長がこの体制で捜査を進めることができる旨述べたことから、応援を求める手続を採らなかった。」(17頁)
「大坪部長は、大阪地検特捜部長就任後、供述調書の写しは届けさせていたものの、主要な証拠物を自ら検討することはなかった。また、検察官を集めて捜査会議を開くこともほとんどなく、副部長には、実質的な関与をさせず、自ら主任検察官から直接報告を受けて指示を与えるなどしており、重層的ないし組織的な検討やチェックをさせていなかった」(22頁)
「大坪部長は、・・・特捜部所属の検察官が消極的な意見を述べることを好まず、その意向に沿わない検察官に対し、「特捜部から出て行ってもらう。」などといった理不尽な叱責を加えることもあり、そのことが、大坪部長に対し、消極証拠の存在や問題点を指摘したり、異なる観点からの捜査の実施を進言したり、捜査の継続に疑問を呈するなどの大坪部長の意向に沿わない意見を述べることを事実上困難にしていたものと考えられる。」(23頁)

といったようなところで・・・。

おそらく大坪前部長は、最高検の調査にも一切協力はしていないのだろうから、まさに“死人に口なし”状態なのだろうけど、それにしても組織的な問題について、ほぼすべての責めをこの前部長に負わせるというのは、いくら何でもやり過ぎだろうと思う*3

以前の本ブログのエントリーで、結局最高検は、大破綻した“村木元局長有罪ストーリー”に代わる新しい“ストーリー”を作っているだけではないか、と書いたことがあったが*4、このペーパーを見て、なおさらその思いを強くした。

また、ストーリーといえば、このペーパーでは、無罪となったA氏(注:村木氏)については、かなり慎重な表現を使っているものの、現在公判中のC氏に対しては、これまた“ストーリー“に則った記述がなされている。

「Cには、通常想定される中央省庁の係長の人物像とは異なる行動傾向があったことにも、注意を払う必要があった」(11頁)

とし、それに続けて、C被告人の「(ネガティブな)人物像」を記載した上で、(A氏の処分を決める上で)十分な吟味・検討をすべきだった、としているのだ。

内容の一部は、C氏自身が公判等で供述している内容に基づくとはいえ、これでは・・・という思いに駆られたのは自分だけではないはずだ。


「調査」である以上、何らかの結論を出すことは必要だと思う。

だが、一つの結論を導き出すためにストーリーを紡ぎ出そうとすれば、見過ごされてしまう何か、も必ず出てきてしまうのであって、それをいかに見落とさずに本質に近付くか・・・ということが何よりも大事になる。

今回のペーパーから、本質に近付く気概を少しでも感じ取ることができたなら、もう少し検察組織の未来に希望を感じることができたのだけれど・・・・

*1:昨年の白木・東京高裁長官の最高裁判事就任といい、最近の法曹界はこの種の話題に事欠かない。

*2:不祥事を起こした当事者やその関係者

*3:“理不尽な叱責”をする上司なんていうのはいくらでもいるが、だからといってそのような組織で常に不祥事が起きるというわけではない。むしろ、物分かりが良くて皆に愛されている上司だからこそ、大事な場面でかえってものが言いにくい、ということだってある。要は上司のパーソナリティに左右されず適正に職務を遂行できる組織を作るためにはどうすればいいのか、ということを考えないといけないわけで、今回のペーパーのように管理者の人格能力を批判したところで何の解決にもならない。

*4:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20101004/1286767344

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