「ステキな金縛り」に見る刑事訴訟の本質

前宣伝の頃からずっと見たいと思っていた三谷幸喜脚本・監督の「ステキな金縛り」を、ようやく見に行くことができた。

「ステキな金縛り」オリジナル・サウンドトラック

「ステキな金縛り」オリジナル・サウンドトラック

その感想・・・。

とにかく深津絵里の演技が「凄い」の一言に尽きる。

自分より上の世代の、もうベテランといえる域に差し掛かりつつある女優さんが、“新人のひたむきな可愛さ”を完璧に表現している・・・というのはもう奇蹟に近いわけで*1、あの演技力に142分間触れるだけでも、シアターに行く価値は十分あるのではないかと思う。

三谷氏の作品に関しては、あれだけ豪華なキャストを揃えてガンガン前宣伝かければ、興行収入稼げるのも当たり前だろう・・・という皮肉もチラホラ聞こえてくるところだが、単なる“名前”だけじゃなくて、演劇向きの渋い演技力のある人を集めて、適材適所でうまく割り振っているからこそ(そして、要所要所で、三谷劇団出身の名優が隠し味を利かせているからこそ)、完成度が高い作品に仕上がっているのであって、この辺の手法は素直に称賛せざるを得ない*2


で、基本的にコメディ路線の映画であるにもかかわらず、タイトルを何となく真面目風に付けたココロはどこにあるかといえば・・・(以下、少々ネタバレっぽい記述もあるのでご注意あれ。)


この国の刑事裁判が、否認事件であっても、客観的に見れば、「被告人が有罪」というバイアスがかかった状況でスタートしている、ということは否めない現実である*3

大きな事件であれば、裁判が始まる前に“大獲り物”が行われ、連日連夜、事件と被疑者に関する報道がなされているわけだし、その後も状況に大きな変化がなく公判にまで至ったとなれば、大抵の一般人は捜査当局の「自信」を感じとって、「こいつはたぶんやっているんだろうなぁ」という印象をもって、審理を見つめることになるはず。

自白事件でも、状況は同じで、事前の報道や、捜査当局、検察官が築き上げた「こいつはもうどうしようもない奴だ」というストーリーを前提に印象が形成されていく・・・

かかわるのが「人間」である以上、それはある意味仕方のないことだろう。


こういう状況の下で、捜査当局が望む犯罪を成立させない、あるいは情状を軽くする方向での事実や証拠を、被告人側から引き出し、集めているのは弁護人だけだ。

そして、多くの場合、弁護人が持っているそういった材料は、裁判が始まるまで、表に出されることはない。

有能な検察官なら、捜査資料を精査していたり、起訴前勾留期間中あるいは第1回公判期日前の弁護人とのやり取りの中で、何となく感づいているかもしれないが、起訴する以上は、そういったところには目を瞑るのが、有能さゆえの流儀だろうし、裁判官、裁判員に至っては、裁判に至って初めて、それまで「見えていなかった」ものを、「見せられる」機会に直面することになる・・・。


このように考えてくると、日常的な刑事訴訟の中で、弁護人が被告人のために一生懸命立証しようとしている「事実」というのは、この映画の中で、深津絵里演じる弁護士が、被告人の無罪を立証するために法廷に担ぎ出した、

「普通の人には見えない「幽霊」」

と同じようなものではないだろうか・・・と思えてならない。

見えている人には、はっきり見えている。
見えていても、見えていないふりをしようとする人がいる。
そして、最後は裁く人がそれを見ようとするかどうか、によって結論が変わってくる。

もちろん、「裁く人」に、それを見ようと思わせるように頑張るのは弁護人の仕事で、映画に出てきた裁判長のような、寛容さと好奇心に満ちた人が法廷を仕切っていれば弁護人もやりやすいのだけど、現実には、「幽霊」的なる弁護人側の立証活動に対して寛容さを示さない人も多い。

そんなわけで、フィクション&コメディながら、様々な意味で象徴的な話だなぁ・・・と思いながら、一連のシーンを眺めていた*4

なお、この映画の本当のキモは、「落ち武者」ではない最後のオチ*5の方で、この“逆転の発想”には「お見事」というほかないのだけれど、ここからはさすがに実務への示唆は出てこないかなぁ・・・(笑)*6


元々、「司法モノ」を多く取り上げながらもディテールにはあまりこだわっていない(ように見受けられる)三谷監督作品。今回も、これまで以上にディテールは捨象されているが、それゆえ、割り切って楽しめるし、普遍的な示唆もかえって伝わってくる・・・

そんな作品になっているだけに、“プロ”にこそ見て欲しい映画だと思う次第である。

*1:普通、年齢的に無理がある役をやると、少々イタさがあるものだけど、それを微塵も感じさせないというのも凄い。

*2:個人的には篠原涼子唐沢寿明の使い方が贅沢過ぎて、思わず笑ってしまったのだけれど・・・。

*3:もちろん、あらゆる予断を排除し、推定無罪の原則に基づいて裁判を遂行する、というのが大原則ではあるのだが、刑事訴訟にかかわるのが「人間」である以上、建前通りに事が進まないのは、ある意味必然といえる。

*4:下手なノンフィクション風の映画で価値観を押し付けられるより、感じられるものは多かったような気がする。三谷監督ご自身がどこまで意識してこういう設定を作ったのか、ということまでは分からないけど。

*5:おそらく、この映画の構想の出発点となったのであろう見事なオチ。

*6:ただ、一つの立証主題にこだわり過ぎて、もっと重要なところを見落とさないように・・・という警鐘だと考えれば、それはそれで示唆的といえるのかもしれない(終盤の接見のシーンを見て思ったこと)。

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