追い込まれそうになる夜は、キクマさんの本でも。

自分が昔受けていた試験が、完全に幕を下ろしてしまって以来、法律関係の試験の日程にはトンと疎くなっているのだけれど、そろそろ予備試験とか、新試験*1とかの日程も迫ってくる頃なんだろう、と思う。

今でこそ、人並みに“GW”なんてものを味わっている自分ではあるが、当時は、正月と並んで、唯一まとまった勉強時間を確保できる時期、ということで、呑気に出かけるどころではなかったのは、言うまでもない*2

今でも、4月の終盤に差し掛かるまで、連休なんだ、ということがピンと来なくて、ふらっと出かけたいと思った時には、どこの旅館も満室、という憂き目にあいがちなのも*3、その頃の後遺症なのかもしれないな、というのは、今年もどこにも行かなかった我が身を振り返って、ふと思ったこと*4

で、それはさておき、騒がしい日常から解き放たれて、まとまった勉強時間が取れる、というのは、嬉しいことではある反面、ちょっとしたきっかけで歯車が狂った時に立て直しづらい、というリスクも孕む。

働きながら予備試験を受けようとしている人なんかは、まさに昔の旧試験受験生と同じような状況を味わっているのだろうし、新試組の中にも、もしかしたら同じような境遇で試験を迎えようとしているのかもしれない・・・

ということで、本ブログの読者の中にも、大事な時期なのにいろいろなことを考えてしまって、なかなか勉強が手に付かない、という方がいらっしゃるかもしれないので、そんな方にお勧めの一冊を。

私が弁護士になるまで

私が弁護士になるまで

このエントリーのタイトルを見て悪い予感に襲われ、ここまで読んで、このブログを読むのをやめた・・・という方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれない(苦笑)。

自分でも、なんてベタなチョイスなのだろう、と思う。
著者のこれまでの生き様にも、本の内容にも、複雑な評価が飛び交っている“問題作”だけに、“こんな時に何を勧めてんだよ!”というお叱りは、甘んじて受けねばなるまい。

ただ、もし、ほんの少しの寛容さをお持ちの方がいらっしゃるようであれば、心を空っぽにして、この本の著者が昔、フジテレビでアナウンサーをやっていたということも忘れて、79ページから130ページまで(一回目の不合格発表のくだりから二回目の受験の章まで)を、ご自身のこれまでを振り返りながら読んでみてはいかがかなぁ・・・と思う。

同じように、何の保証も与えられないまま一つの関門に挑み続け、モヤモヤした思いと戦ってきた人にしか分からない何か、が、そこにあると思うので・・・。


そして、ついでにいえば、読み進めるのにそんなに時間がかかる本ではないので、最初から最後まで読んでも、そんなにバチは当たらない(笑)と思う*5


(以下、蛇足)

ちなみに、自分がこの本を買うきっかけになったのは、パラパラとめくった最初の方のページにあった、

「周りで司法試験を目指す友達が多かったこと、あまり勉強をしていないからこそ、法律に対して苦手だな、嫌だなというイメージを全く持たなかったこと、司法試験は日本で一番難しい試験だと言われていたことから、いつかはその試験に自分も挑戦してみたいという気持ちは持っていた。」
「弁護士の仕事というよりは、試験自体への興味の方が強かったのかもしれない。」
菊間千乃『私が弁護士になるまで』17頁(文藝春秋、2012年)

というくだり。

おそらく、旧試験時代に司法試験を受けていた人間は、(自分も含めて)かなりの比率で同じようなマインドを持っていたはずでw*6、“新試世代”にもこのマインドは生きていたんだなぁ、と思ってちょっと嬉しくなった*7

学生時代から地道に計画立てて、真摯に法曹の道を目指すことを是とする人々(あるいは“立派な法曹になる”という理想に燃えて試験に挑んでいた人々)から見たら、まさしく“邪道”の思想なんだろうけど、自分の経験則でいえば、

「こういうタイプは、ちょっとやそっとじゃへこたれない(笑)」

修習に入ってからも、登録後も。

最初から法律家の世界に、具体的な理想(幻想)を抱いていないわけだから、ギャップに苦しむこともないし、さらに社会人経験の中で、大なり小なり修羅場をくぐっていれば、なおさら、である。

なので、かつてヒドイ修羅場を味わったこの本の著者であれば、業界での成功は約束されたようなものだろう。

もちろん、それを快く思わない人も世の中にはいるのかもしれないけれど、個人的には、そういう人生もありじゃないか、と思うところなわけで。


ま、試験が終わった後に週刊誌の記者に待ち伏せ取材されることもなく、合格体験記を文藝春秋から出版してもらえるような立場でもない、自分らのような無名の法律家は、“へこたれなさ”を内に秘めたまま、地道にやっていくしかないんだけど、それはそれで、気楽なものである・・・。

*1:この言い方も、もう過去のモノになってしまっているのかもしれないけど・・・。

*2:受け始めた頃は、短答の追い込みに時間を使っていたし、3度目くらいからは、専ら論文対策の仕込みに時間を使っていた。法務の人間にとっては、GWが明けてからの5月、6月、というのが一番仕事的にキツイ時期だったから、目前の短答よりも先を見据えて対策を立てる必要があった。

*3:去年だけは直前でも悠々予約できたのだけど。

*4:そもそも、仕事から完全に抜けられるような環境ではない、というのもあるけどね・・・。

*5:なお、自分の試験前のポリシーは、以前このブログに書いた「何にもしない、をしよう」の精神(「直前の追い込み」は百害あって一利なし、の精神)に尽きる(http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20090713/1247498258)ので、それもご理解いただいた上で、乗るなら乗ってください・・・。

*6:自分の場合、そもそも「法務」という職能へのこだわりが「資格」という目に見える証へのモチベーションをかき立てた、というところが一番大きいから、若干違うところもあるのだけれど、「弁護士」の仕事そのものにほとんど興味を持っていなかった、という点では相通じるところが多い。

*7:もちろん本書の中では、「法科大学院で多くの実務家に接する中で徐々に弁護士という職業に魅せられていった」という法科大学院の理念を体現しているかのようなくだりもあるのだけれど(42-43頁)、その後の章で描かれる試験に向けたアプローチなどを見ていると、修習に行かれるまでは、マインド的にはそんなに変わってなかったんじゃないかなぁ、というのが、自分の印象である。

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