色褪せない良書とこの先の未来と。

今朝になっても新聞紙面にはまだ昨日の「改元」ムードが残っていて、Webメディアにもちらほら「令和」をタイトルに掲げた記事が載っていたりするので、あまり興味のなかった人まで思わず巻き込まれてしまいそうな雰囲気になっているのだけど、自分もここ数日に続いて少々ムードに便乗した記事を引き続き。

昔一度読んで強烈なインパクトを受けた本を、改めて掘り返して読んでみた。

弁護士の就職と転職―弁護士ヘッドハンターが語る25の経験則

弁護士の就職と転職―弁護士ヘッドハンターが語る25の経験則

自分が最初にこの本に接したのは、ちょうど出版されたばかりの頃で、まだ自分が弁護士になるとも思っていなかった時期。
司法制度改革後、初めて「法科大学院出身」の法曹が誕生し、既に「増えすぎる法曹」への危惧感もチラホラ出始めていた頃だったが、当時はまだ世間的には「花形」で、「安泰コース」だと思われていた大手法律事務所の若手、中堅弁護士の転身の厳しさ等がかなり克明に描かれていて、「どこの世界も大変なんだなぁ」という思いに至ったことは今でもよく覚えている。

その頃からかなりの時が流れ、事細かな中身はすっかり忘れてしまっていた(ことに気づいた)のだが、改めて読み返してみて思ったのは、あれから10年以上の時を経ても、そこに書かれていることの中身は全く色褪せていない、ということ。

法科大学院制度の蹉跌もあって、「10年後」の弁護士人口は、当時のシミュレーションを1万人近く下回るレベル(2018年3月末時点で40,066名)にとどまっているし、大手事務所がより大型化する傾向も緩やかに続いてきた。業界全体の変化のスピードがそんなふうに想定よりもゆっくりになったことも本書が色褪せない一因だろうが、それ以上に、本書に関しては、「弁護士のヘッドハンター」として独立した直後の著者(西田章弁護士)が、(それまで多くの人がオブラートに包んできた)「弁護士」という仕事の本質を鋭い感性と分析力で抉りそれをストレートに活字にしている、という点が非常に大きい。

「25の経験則」として分類されているケースは、すべて上手に抽象化されており、特定の事務所名等が出てくるわけではもちろんないのだが、自分自身がこの10年、「外」から同業者たちの姿を見ていて感じてきたことを見事に符合するし、おそらくは著者が当時の若手、中堅弁護士や弁護士志望の人々に向けて「冷静に考えろ」という意図で発したリアルなメッセージは、未だに生き続けているものである*1

特に、改めて読んで印象に残ったのは、以下のようなくだりだろうか(強調は筆者)。

「『弁護士としての腕』が独立するための必要条件かどうかは議論の余地がある(個人的にはそうであるほうが望ましいとは思うが)。そのことに踏み込むつもりはないが、少なくとも、それは独立するための十分条件ではない。『その腕がいかせる仕事を依頼したいと思っているお客さんと巡り合えるか』という問題がある。さらに『そのお客さんに対して、その腕が優れていることをどうやって理解してもらうか』という問題が続く。『弁護士としての腕』が備わっている弁護士であれば、それを『より高度にみがく』ことを欲するのも自然である。そのためには、独立するよりも、他社がつくりあげたインフラ、プラットフォームを活用して『弁護士としての腕をみがく仕事』に専念したい。それはきわめて合理的な選択である。」(107~108頁)

「弁護士は『リスクを分析する』という仕事には慣れている。『これにはこういうリスクがある』ということを定性的に把握することはできる。でも、そこから一歩超えて『このリスクをとれるかどうか』という判断を出来る者はきわめて限られている。大半の弁護士が『リスクは小さければ、小さいほどいい』『できれば、リスクはゼロにしたい』と考える。それはなぜか。法律の世界でいう『リスク』は、原則として、『違法かどうか』『責任を負うかどうか』という『オール・オア・ナッシング』のリスク分析であるからである。『白か黒か』の世界だからである。だから、『リスク=黒』を認めることはできないのである。しかし、現実の世界は違う。『白』と『黒』しかない世界ではない。『白に近いグレー』から『黒に近いグレー』まで、何層にもシームレスに続いている連続性がある世界である。『絶対に駄目』という選択肢はあるかもしれないが、『絶対に安心』という選択肢はない。」(63~64頁)


本書の中で示されている、「弁護士」が目指す「理想」と「現実」のギャップ、そして、著者が本書に記せなかった旨を「まえがき」で謙虚に認めておられる「解決策」は、10年過ぎてもまだ、誰も書くことはできない領域の話。
向かっている方向性だけみれば同じようなカテゴリーに分類される場合でも、人それぞれ価値観は違うし、目の前に飛び込んでくるチャンスは偶然に左右される。結局、どうすることが正解で、どうすることが間違いだったかなんてことは人それぞれで全く違うわけで、誰かに「策」を与えてもらおうなんて考えること自体が失当なんだ、ということも改めて感じさせられるわけで。

翻って自分を見つめなおすと、今自分が直面しているのは、本書にいろいろ書かれている様々なパターンをさらに超えて、一番大きな、「無謀」と言われても全くおかしくないようなリスクを取ろうとしている状況に他ならない。
常識的にはおそらく、この先「やっぱりね」ということで、一つの新しい失敗事例として刻まれることも容易に想像は付く。

だが、そうではない、極めて小さな可能性の扉が開かれた暁には、「26」番目の経験則を次代に残せれば、というのが、今の自分のささやかな希望である*2

*1:もちろん、時を経て、本書に書かれているような情報は、業界内はもちろんのこと、クライアントの企業側や法科大学院生等、「外」で接している人たちにも広く浸透した、と言えるような状況になっているのかもしれないが、それでも、そういった情報を簡潔明瞭に整理した本書の価値が落ちることはないだろう。

*2:そして、ついでに、第4章第2節に「インハウスロイヤーは二流なのか」という刺激的なタイトルで綴られているくだり(119~124頁)については、今、自分なりに思っていることを別の機会に書ければな、と思っている。本書での西田弁護士の記述はどちらかと言えば非常にポジティブなのだが、10年経ってよりポジティブに書けることもあれば、そうではないことも多々あると思うので。

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