苦悩の後にこそ花は咲く。

2歳G1、桜花賞トライアル、桜花賞本番、と主役が目まぐるしく変わった今年の3歳牝馬戦線。

そして、そんな混迷を象徴するかのように、オークスでも、9番人気のメイショウマンボが大駆けする、という波乱の決着となった。

オークスで結果を出すことが多い「桜花賞直行組」、しかも、4月の時点でフォーカスした非社台系の牧場(浦河・高昭牧場)出身の馬*1とはいえ、阪神JF桜花賞とマイルのG1で2回続けて不可解な失速(いずれも10着惨敗)を見せた馬はさすがに買えない。

勝ち馬の今後の戦績にもよるが、2着(エバーブロッサム)、3着(デニムアンドルビー)は、血統的にも、戦績的にも、比較的「順当」な結果に収まっただけに、競馬史に残る“謎”として、後々語られる(そしてそれ以上の記憶を呼び起こすことはない)レースになってしまったのではないかと思う。

・・・で、レース後、注目を集めたのが、勝利騎手である武幸四郎騎手の話題。


前年の福永祐一騎手に引き続き、競馬サークルの偉大な“御曹司”として派手なデビューを飾ったのは、1997年のこと。
「いい馬は回ってくるほど、力量は兄ほどでは・・・」というファンの呟きもあったものの、デビュー3年目には勝ち星を62勝にまで伸ばし、早々と100勝達成。
2000年にはティコティコタック秋華賞で初G1勝利を飾るなど、前途洋々の騎手人生・・・のはずだった。

だが、いつしか時は流れ、30代に入った2008年以降の成績は、34勝→18勝→21勝→7勝→19勝と、100勝にも満たない*2

デビュー当時競り合っていた秋山真一郎騎手には大きく水をあけられ、当初先行していた勝浦正樹騎手にも追い抜かれ、ここ数年の戦績だけで比べれば、松田大作騎手や村田一誠騎手にも肩を並べられてしまう・・・。
オースミタイクーンで華々しく重賞勝利を挙げた時の彼の姿からは、今日のこんな状況などとても想像することができなかった。

本来であれば、最も力を付けて勝ち星を伸ばしていけるはずの20代後半が、安藤勝己小牧太岩田康誠といった地方の名手が次々と栗東を拠点に参戦してきた時期と重なった、というのは、ある種の不運だったといえるし、最後の後ろ盾とも言えた、父・武邦彦調教師が2009年で定年引退、となってしまったのも苦境に拍車をかけることになってしまったのかもしれない。

2006年にソングオブウインド菊花賞を制して以来、丸6シーズン、G1での勝ち星なし。
重賞の勝ち鞍すら、2008年のリトルアマポーラ(デイリー杯クイーンC)以来、遠ざかってしまった*3

メディアへの露出が比較的多く、世間一般の知名度で言えば、リーディング争いをしている騎手たちと遜色ないにもかかわらず、実績が伴わない・・・という事態を、本人が誰よりも歯痒く思っていたことだろう。

それが、あっと驚く低人気での6年7か月ぶりのG1制覇。

ティコティコタック(10番人気)、ウインクリューガー(9番人気)、ソングオブウインド(8番人気)と、この人がG1を取る時は常に“穴”になることが多く、勝利騎手インタビューでも表彰式でも、何となく拍子抜けするような軽い雰囲気になることが多いのであるが、今回ばかりは、どの記事も「涙」が見出しを飾った・・・。

年齢的には、まだ30歳代中盤。

1期上の柴田大知騎手が、昨年、17年目にして、自己最多の41勝、と大ブレイクし、今年に入ってからもマイネルホウオウNHKマイルCを制するなど、一気に上昇気流に乗っていることが証明しているように、この世代の騎手は、本来まだまだ老け込むには早すぎる年代のはずである。

プロの世界で、育ちの良さに似つかぬ苦労をした分、どこかでブレークスルーするチャンスが来て、DNAに裏打ちされた才能が再び花開く・・・。この日の勝利が、そんな“復活”の狼煙になると良いなぁ・・・、とささやかに願っている。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20130407/1365352667参照。

*2:2011年には、飲食店での傷害事件に巻き込まれ、シーズンの多くを棒に振る、という悲劇にも見舞われた。

*3:ちなみにこの年のオークスで、武幸四郎騎手騎乗のリトルアマポーラは1番人気だったが、トールポピーらの後塵を拝し、7着惨敗。それ以来、武幸四郎騎手は、重賞で1番人気になる馬への騎乗機会すら与えられていない(ちなみに、リトルアマポーラは秋のエリザベス女王杯を制したものの、その時は既にC・ルメールに乗り替わっていた)。

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