8月31日の鹿島戦で完敗を喫した後に、突如として辞任を発表した柏レイソルのネルシーニョ監督。
就任直後にチームがJ2に降格したものの、2010年にはJ2優勝して1シーズンで復活、さらに2011年は復帰後1シーズンでJ1優勝を果たす、という史上初の快挙を成し遂げ、以後2シーズン安定した戦績を残して盤石の地位を築いていたはずの監督が、
「試合内容がふがいない」
と、記者会見でぶちまけ、クラブの了解も得ないまま一方的に辞任表明した・・・というニュースを聞いた時は、随分驚かされたが、その後、あっという間に吉田達磨ダイレクターの監督就任の報道が流れ、“さすがはレイソル、危機管理も一流だなぁ”と感心させられたものだった。
だが、それからまだ数日も経っていない5日のクラブの発表には、31日のそれを二回りも三回りも上回るような驚きがあった。
「J1柏は5日、辞意を表明し、戦線を離れていたネルシーニョ監督(63)の復帰を発表した。」(日本経済新聞2013年9月6日付け朝刊・第41面、強調筆者(以下同じ))
記事によれば、一方的な辞任表明の翌々日(2日)には「復帰したい」という申し出があり、クラブが「総合的に判断して」監督の望みを受け入れた、ということになっている。
記事にある、
「感情的になり(辞めるという)間違った決断をしてしまった。これまで柏で築いてきたものを失いたくないと思い、復帰を願い出た」
というネルシーニョ監督のコメントを見ると、何ともしおらしい(笑)が、これに振り回される周囲の迷惑を考えると、“暴走老人”という形容詞が、思わず頭をよぎる・・・。
そして、そこで思い出したのが、1995年冬、フランスW杯に向けた日本代表監督選考の過程で出た、彼の記者会見でのセリフ。
「日本サッカー協会に代表監督を選ぶ権利はあるが、おふざけをする権利はない。ナガヌマ、カワブチは嘘つきで、腐っている。残念ながら、箱の中には必ず、腐ったミカンがあるものだ」*1
ブラジルでの実績を引っ提げて来日し、就任1年目でヴェルディ川崎をステージ優勝に導いた若手監督として非常に高い評価を受けていたネルシーニョが、内定寸前だった日本代表監督の座をひっくり返された怒りとともに吐いたこのセリフは、Jリーグができてまだ日も浅い草創期の日本プロサッカー界とそれを見続けていた当時のサポーターに、相当の衝撃を与えたものだった*2。
あの時は確かに、更迭寸前だった当時の代表監督が、日本サッカー協会会長の鶴の一声で残留する、という良く分からない展開になってしまい、コアなサポーターほど、“お怒りごもっとも”という感を抱いた人が多かったのではないかと思う*3。
しかし、あれから18年。
日本のサッカーもプロリーグも、ちょっとずつ世界に近づいている中で、時を超えて再び日本で指揮を執っていた当の本人が、“おふざけ”との誹りをも免れえないようなご乱行を見せてしまうとは・・・。
(現在でもまだかすかに残る)日本サッカー界の派閥主義を痛烈に批判するフレーズ、と受け止められてきた1995年会見での発言も、“短気な激情家の思い付き”に過ぎなかったのかなぁ、と振り返ってちょっと残念な気持ちになる。
できることなら、ネルシーニョ監督には、電撃辞任→スピード復帰、という世界のクラブでもあまり例がない自作自演劇を受け止めたクラブの寛容さに報いるために、日本のクラブで唯一勝ち残っているACLで頂点を極めるために全力を尽くしてほしいなぁ、と思うところである*4。