“サムライ”達をリスペクトしすぎたゆえの悲劇。

2敗1引き分け、グループC最下位。

誰もが去就に対して同じ感情を抱くであろう、明快な結果を前に、ザッケローニ日本代表監督が、辞意を表明した。

「今回のメンバーも戦術も決めたのは私。敗退の責任はすべて私にある。この代表を離れなければならない」(日本経済新聞2014年6月26日付夕刊・第15面)

今回のW杯の始まる前、本戦に至るまでの戦いぶりや、直前の壮行試合の微妙な空気、そして、メディアの醸しだす妙な高揚感、といったものが、何となく8年前の嫌な記憶とラップしていたのだが*1、3試合終わって改めて振り返ると、やはり悪い方に勘が当たってしまったか、と思わずにはいられない。

当時としてはモダンな戦法を引っ提げ、セリアAで旋風を巻き起こした(そして世界有数のビッグクラブを複数率いた)ザッケローニ監督を、アルトゥール・アントゥネス・コインブラ(というかジーコ)と一緒コタにするつもりはない。

報じられている退任会見でのコメントも、「体格差」を持ち出して“今さらかよ・・・”という失笑を浴びたジーコのそれに比べれば、遥かに冷静で明日につながるものだったと思う*2

ザッケローニ監督に、「代表監督」としてのキャリアがなかったことが、4年に一度の一番大事なところで裏目に出たのは確かだろう。
クラブチームを率いて戦う長丁場のリーグ戦や、大陸予選とは異なり、3試合で全てが終わってしまうW杯のグループリーグで、勝ち点を見込んでいた相手に黒星を喫した時に、どのようにチームを修正すればよいのか、2戦目以降の戦い方をどのように修正していけばよいのか、というノウハウを、チーム・ザッケローニが十分に持っていたようには思えなかった*3

さらに言えば、ザッケローニ監督は、「戦術家」としては一流ではあっても、「勝負師」としてはそのレベルには達していなかったのかもしれない。

大陸予選の段階から、「何でこのタイミングでこの選手交代なんだよ」という突っ込みを入れたくなるようなシーンが多かったし、本大会に入っても、自分が“本番仕様”で選んだ選手と戦術を使いこなせないまま、270分を浪費することになってしまった。

戦術家としては完全に破綻していた*4トルシエ監督が、本番での選手のセレクションと交代起用では抜群の冴えを見せていたこと*5や、戦術家として語られることすら少ない岡田武史監督が、思い切ったメンバーチェンジで4年前のグループリーグを勝ち抜いたことなどと比較してしまうと、今大会のザッケローニ監督の“勝負弱さ”はやはり際立って見えてしまう。

何でコートジボワール戦で大久保選手の投入を躊躇したのか、とか、試合の終盤に「ロングボール」で「パワープレー」を指示するのであれば、なんで斎藤学選手や清武選手を連れて行ったのか等々、コアなファンの間で、笑えないお笑いネタ、として語り継げるエピソードをたくさん残してしまったのは、やっぱり極めて残念なことだというほかない。

4年間を全否定すべきではないとは思うのだけれど・・・。

日本の敗退が決まったのを見届けた瞬間、頭の中をよぎったとおり、その日の夕刊には、既に「この4年間」に対する懐疑的なコメントが掲載されていた。

「1次リーグの3試合を通して日本が突きつけられたものは、4年間かけて積み上げてきたものの『浅さ』ではないか」
「次のW杯までの4年間、日本代表がどんなサッカーを模索するのか分からないが、目指すものを誤ると同じことを繰り返してしまう」*6

コメントしているのが、(年代別も含めて)代表監督経験のない方だからいうわけではないが、これはさすがに言い過ぎだと思う。

今回の敗戦のショックの前に、もう皆忘れてしまっているのかもしれないが、ザッケローニ監督が就任した直後のアジアカップでは、日本はスピード感あふれる、魅力たっぷりの攻撃で堂々の優勝を飾っているし、その経験を受け継いだ関塚監督率いるU-23代表は、ロンドン五輪でメダルまであと一歩、という大躍進を遂げた。

そして、コンフェデ、東アジア大会を経て、新旧世代がミックスされたのが今の日本代表だから、実績も経験値も、4年前よりは遥かに積み重ねられているのは間違いない。

ただ、就任以来、終始一貫して「日本のサッカー」と「日本代表の選手たち」に敬意を払うコメントを出し続け、退任会見に至っても「チームとしての方向性に間違いはない。日本人の技術は世界でも通用する。」と断言したザッケローニ監督の姿を見たとき、“この人は日本という国をリスペクトしすぎたのかもしれない”という思いに何となく苛まれてしまった。

奇しくも、退任会見直前の25日付朝刊*7に掲載された、

「まず大切なのは日本の立ち位置を知ること。」

という関塚隆・元五輪代表監督のコメントを読んだところだったので、なおさら・・・。

「アジア予選が世界につながるレベルにないというのはロンドン五輪で私も頭を悩ませた部分だ。本大会では目指すべき理想の中のどこかを削って、勝負する部分を絞らないといけない面もある。」
「何度も招待を受けている南米選手権のように、親善試合ではなくタイトルを懸けた実戦の経験を積む必要がある。そういう大会だと、相手はこちらの土俵で戦ってはくれない。」

実際に代表チームを率いた方の発言だけに、関塚氏のコメントには、一つひとつの言葉に重みがある*8

そして、今回の“ザッケローニ・ジャパン”に足りなかったのは、まさにこの部分だったのではないか、と思わずにはいられなかった*9

欧州でキャリアのほとんどを過ごしたザッケローニ監督が、「日本の立ち位置」に気付いていなかったはずはもちろんないのだが、就任直後のアジア杯優勝、という、いわば“出来過ぎ”の結果が、夢を膨らませ過ぎた、という面がなかったか、そして、「現実の立ち位置」に危機感を抱きながらチームの行く末に警鐘を鳴らせるようなスタッフが、監督の周辺にいたのか、そういったことは、今大会を総括する上で欠かせない要素になるだろうし*10、それは、次の監督選びを考える上でも、考慮されるべきことではないかと思う。

もし、招請する外国人が、ザックと同じように、日本への敬意を払ってくれる人ならそれにこしたことはないが、それ以上に「立ち位置」を踏まえた戦術が使える「勝負師」であること(その証として、代表監督として国際大会(あるいはアジア以外の各大陸の大会)でそれなりの実績を残した人であること)が絶対条件。

そういう人材に巡り合えなければ、年代別代表監督として実績を残している日本人(となると、今考えられる候補者は1名しかいないが・・・)で良かろう、というのが、再び悲劇を目撃した自分の予想、というか願望である。

*1:代表発表の時のエントリー(http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20140513/1400393209参照)。

*2:もっとも、要約すると「精神的な強さが足りない」という趣旨だから、これも見る人が見れば、“今さらかよ”という突っ込みが入るのかもしれないけど。

*3:ギリシャ戦の先発メンバーから香川選手を外したところまでは、おっ、と思わせるところがあったが、試合が始まってからの采配からは、「2戦目」の危機感が今一つ伝わってこなかった。

*4:「フラット3」(笑)とかとか。

*5:中村俊輔選手をメンバーに選ばなかったのは、4年後を見ると正解だったと言えるし、チュニジア戦に後半から森島、市川を投入した采配も的中した。トルコ戦は策に溺れた感もあったが・・・。

*6:日本経済新聞2014年6月25日付夕刊・第15面、清水秀彦氏のコメント

*7:日本経済新聞2014年6月26日付朝刊・第35面。

*8:そして、「結果だけを見て、今までやってきたことを全否定する必要はない。」という冷静な言葉が、その重みをより増している。

*9:トルシエ監督にしても、岡田監督にしても、「日本が世界の強豪国に伍して戦える」とは決して思っていなかった節があって、だからこそ大会で思い切った戦術が取れた、というと、言い過ぎになるだろうか。

*10:個人的には、南米勢が躍動している今回の大会を見れば見るほど、2011年のコパ・アメリカに出場していれば、と思わずにはいられない。東日本大震災が起きてしまった以上仕方のないこと、と言われればそれまでなのだけれど(東日本大震災Jリーグの日程が大幅に変更され、大会に参加する予定の国内組で代表チームを組める状況ではなくなってしまった、というのが辞退理由だったと記憶している)、もし、あの時出場して、少しでも南米の真剣勝負の雰囲気を味わっていれば、その後のチームの成長度合いも変わってきていたと思う。