神話になった少年と日本の誇り。

心の中でこういう展開になることは半分くらい予想していたとはいえ、どこかにどんでん返しがあるような気がして、滑走が終わる最後の最後まで、なかなか肩の力を抜いて見られなかったフィギュアスケート男子シングル。

だが、全ては杞憂だった。

「ソチ冬季五輪第8日の14日、フィギュアスケート男子で19歳で初出場の羽生結弦が、今大会の日本勢初となる金メダルを獲得した。」(日本経済新聞2014年2月15日付け夕刊・第1面)

トリノ五輪荒川静香選手に続く、フィギュアスケート界の歴史に輝く金メダル。

しかも、それを、かつて長らく世界の下位グループに低迷していた「男子」がやってのけた、ということに、何とも言えないような感慨を覚える。

もちろん、ソルトレイク五輪での本田武史選手の“あと一歩”の活躍は、日本フィギュア界の歴史を変える一歩だったし、前回のバンクーバーでも、高橋大輔選手が堂々の銅メダルを獲得するなど(そして上位選手が抜けたその直後の世界選手権で順当に優勝するなど)、この日に至るまでの道筋が着実に作られていたのは確かなのだけど、今大会での羽生選手の存在感は、これまで“メダル争い”という次元で競り合っていた日本選手のレベルを、一気に頂点にふさわしいレベルにまで引き上げた、という点で、まさに“異次元”のものだった。

「世界歴代最高」のハイスコアを叩きだしたショートプログラムの演技を、自分はリアルタイムで見ることができなかったのだが、金曜日の朝から何度も何度も、くどいくらいにリピートされる演技のVTRを見て、そこで弾きだされたスコアの数字(101.45点!)を客観的に眺めれば、始まる前から、フリーでどんなに失敗してもメダルは堅いだろう・・・と思えるだけの状況。

加えて、団体戦で変わらずの存在感を示していたプルシェンコ選手が、ショートプログラム開始直前にまさかの棄権。
普通に滑っていれば、フリーの最終組で有力なライバルになるはずだった、ジェレミー・アボット選手や、4回転3本という大技を持つケビン・レイノルズ選手*1、といった選手たちもショートプログラムで大きく出遅れ、結果、羽生、パトリック・チャンのトップグループに続く3番手以降が、大きく離れたポジションに位置することになった*2、という、幸運なお膳立ても整っていた。

この日のフリーの演技だけ見れば、羽生選手の演技がベストだった、とはお世辞にも言えない。
今季あまりきれいに決まったところを見たことがない出だしの4回転サルコウは案の定転倒。さらに3回転フリップでも転倒・・・
中盤から終盤にかけて難易度の高い3回転ジャンプをベースにしたコンビネーションを確実に決めて巻き返してきたものの、見ている側にとっては心臓に悪い、極めて“らしくない”展開であった。

完成度の高さで言えば、フリーでは、ジャンプをほぼノーミスで決め、スピン2種類とステップでレベル4を叩きだしたデニス・テン選手の演技が一番だったし*3、最終グループの中で、一番良い雰囲気を醸し出していたのは、同じ日本勢の中でも高橋大輔選手のほうだった*4

だが、如何せん、彼らが羽生選手と互角に戦うには、SPが終わった時点での差が大きすぎた。

そして、互角に渡り合えるポジションにいたはずのSP上位の選手たちの出来は、羽生選手以上に悪かった。

最終グループの第一滑走で登場したハビエル・フェルナンデス選手は、中盤で落とした技術要素*5を取り戻そうとしてか、終盤に強引にコンビネーションを跳びに行って、回数制限違反=0点、という大チョンボ
羽生選手の直後に滑ったパトリック・チャン選手も、“絶対王者”の名にふさわしかった昨シーズンまでの盤石な安定感を示せないまま演技を終了。

いつもなら演技構成点で若い選手を圧倒できるはずのパトリック・チャン選手が、羽生選手に対して演技構成点でわずか1.72点の差しかつけられず、全体のスコアでもSPの時に付けられた差を埋めることができないことが確定した時点で、事実上、羽生選手の金メダルは決まった・・・。


世界選手権で3連覇中。1年前までは、今大会の“鉄板”優勝候補、と思われていたチャン選手が、今シーズン怒涛の快進撃を続けてきた伸び盛りの羽生選手に優勝をかっさらわれた・・・というのは、極めて象徴的なシーンであり、同時にそのような“主役交代”が、双方ベストの演技をした結果として成し遂げられたものではなかった、というのはちょっと残念な気もする。

しかし、逆に言えば、それは、この日本の19歳が、「2度転倒しても、北米や欧州の選手を上回るスコアをもらえるだけの評価を受ける選手になっていた」ということも意味するわけで*6、かつて本田武史選手や、高橋大輔選手が苦しめられた「壁」を、羽生選手が一気に乗り越えた、ということでもある。

羽生選手がフリーの演技で世界に衝撃を与えた2012年の世界選手権*7が、この日に至るまでの躍進の源流にあるのは間違いないし、あの時の鮮烈な印象からすれば、いつかこういう日が来ることは想像できたのだが、当時17歳の少年だった選手が、それからわずか2年弱、という短い間に神話的な領域にまで到達した、ということに、自分は驚きを隠せずにいる。

そして、羽生選手が優勝しただけでなく、高橋選手が5位、そして実質的には?3番手”だった町田樹選手までもがトップ6に入った、という今五輪での日本男子のブレイクスルーが、“ソチの夜のひとときの夢”だけで終わってしまうのか、それともこれからもしばらく続いていく流れになるのかは分からないけれど、仮にこれがひとときの夢だったとしても、その瞬間を見届けることができたことを、自分は一人の日本人として、誇りに思わずにはいられないのである。

*1:特にケビン・レイノルズ選手には、昨年の四大陸選手権のフリーで大技を連発して羽生選手を一気に逆転し、優勝した、という実績もあったし、今大会の団体戦でも光る演技を見せていただけに、SPで出遅れていなければ怖い存在になっていたことだろう。

*2:SPの3位は、ハビエル・フェルナンデス選手だったが、羽生選手との差は14.47点、と、一流の国際大会で逆転するにはかなり厳しい状況まで差が開いていた。

*3:4回転ジャンプを一度しか飛ばない、というプログラム構成ゆえ基礎点は低いのだが、それでも技術点はこの日、羽生選手に次ぐ88.90点。大舞台での経験をこれから積み重ねて、演技構成点もついてくるようになれば、トップ3の常連になることは間違いない末恐ろしい20歳である。バンクーバー五輪の頃から順調にステップアップしている、というのも素晴らしい。

*4:残念ながら、素人目に見た美しさとは裏腹に、出だしの4回転トゥループで大幅減点されたりしたことで、かえってSPより順位を下げて6位に落ちる形になってしまったが、ビートルズ・メドレーのメロディーに乗った、爽やか、かつ泣かせるスケーティング技術によって構成されるプログラムは、元世界王者の最後の大舞台を飾るのにふさわしいものだったと思う。全体で2位の演技構成点91.00点というスコアが、それを何よりも証明している。

*5:事前に示されていたプログラムとの対比では、4回転サルコウ→3回転サルコウ、3回転ルッツ+2回転トゥループ→2回転ルッツ+2回転トゥループという2つの大きなグレード落ちがあった。

*6:言うまでもなく、フリーでも1位のスコアを出したのは、誰あろう羽生結弦選手である。

*7:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20120331/1333247406

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