社外取締役導入をめぐる神学論争への溜息

先の通常国会で、会社法改正案が成立し、定時株主総会において「社外取締役を置くことが相当でない理由」の説明義務が課されることになった(法327条の2)こともあって、今年から来年にかけて、上場しているレベルの会社では、社外取締役の導入が一気に進んでいる感がある*1

しかし、単に「社外取締役」を1人導入しただけでは足りぬ、入れるなら「複数」にせよ、という声が、ここにきて強まってきた。

金融庁東京証券取引所20日企業統治コーポレートガバナンス)指針をつくる有識者会議で複数の社外取締役を導入する議論を始めた。有識者から『3人以上必要』との意見が出る一方、社外取締役を導入しても『企業収益力が一律に高まるとはいえない』など意見の対立が目立った。」(日本経済新聞2014年10月21日付朝刊・第4面)

この記事に出てくる「有識者会議」というのは、金融庁が主催している「コーポレートガバナンス・コードの策定に関する有識者会議」(http://www.fsa.go.jp/singi/corporategovernance/index.html)。

そして、「コーポレートガバナンス・コード」というのは、欧州を中心に、

企業統治におけるベストプラクティスの採用とその開示の統一化等に関し、「遵守せよ、さもなくば、従わない理由を説明せよ( comply or explain )」ルールの下で企業に促すための、企業統治の具体的姿を示す」

ものとして制定されているもので*2、「法による義務付け」とは対比される、いわゆる“ソフトロー”の一種として位置づけられるものである。

“右に倣え”的なマインドが強く、法的強制力の有無にかかわらず、周りと違うことをすればバッシングを受けかねない日本の社会において、欧州的価値観の下で機能してきた「コード」の発想が受け入れられるのかどうか*3、というところも気になるところなのだが、仮に「コーポレートガバナンス・コード」が当初のもくろみ通り受け入れられる風土が形成される、という前提で考えるとしても、その内容をどこまで“先鋭的”なものにするか、については、議論の余地があるところだろう。

記事の中では、最近何かと前面に出てくることが多い冨山和彦氏の、

過半数社外取締役で構成する指名委員会を設置し、経営幹部を選任する手続きや方針を開示すべきだとの考え」

や、野村総研の堀江貞之上席研究員の「一定数の社外取締役の導入」という意見が、有識者会議で示された意見として紹介されている。

こういった意見は、これまで会社法改正の議論の場などでも散々出てきていたことだし、主張される方々は、皆、それなりの信念と根拠に基づいて、こういった主張をされているのだろうから、議論の素材として再び取り上げ、有識者会議の内外から広く意見を募る、というのは、悪いことではないと思う。

だが、それを「ベストプラクティス」としてコードに採用し、多くの企業に「遵守せよ、さもなければ説明せよ」と突きつけるべきか、と言えば、全く別の話だ。

冨山氏は、有識者会議に提出されたペーパー*4の中で、

「本コードが現状の改善、向上を目的とする以上、あくまでも高い水準のコード策定を第一優先順位とすべきであり、適用範囲を広げるためにコードの水準を下げるような本末転倒なことは絶対にあってはならない。」

と喝破されているのだが、そもそも「高い水準」とは何か、我が国における「ベスト・プラクティス」とは何か、ということについて、全くコンセンサスが得られていない状況で、一部の(日本社会から見れば)“先鋭的”な欧米流のプラクティスを取り入れたコードを導入しても、実務に混乱をもたらすだけではないか、という懸念がある。


「我が国における企業統治体制を大きく変えて『攻めのガバナンス』に転じれば、企業の業績も上がる」という冨山氏のような意見と、「日本には日本の企業風土、社会風土に合ったガバナンスの在り方があり、それ自体は今でもきちんと機能している。そこを無理やり欧米流に合わせるのはおかしい」という、経団連をはじめとする伝統的な財界エスタブリッシュ層の意見*5は、どちらが正しくて、どちらが間違っている、という類のものではない。

どういうバックグラウンドを持ち、どういう立場で企業社会に関わってきたか、そして、今、どういうポジションから企業社会を見ているか・・・・

上記の意見の相違は、そういったベースラインの違いに起因するものであり、それゆえ、この議論が、双方の論者の立場が入れ替わらない限り妥協点を見出すことが難しい、一種の“神学論争”になってしまうことも避けがたいのではないか、と自分は思っている。

そういった背景を踏まえれば、おそらく、このまま有識者会議で議論を続けても、「コード」について“皆が納得できるようなきれいな成案”が生まれる可能性は極めて低い、と言わざるを得ないだろう。そして、そのような状況において、何が「成案」となるか、は、この先10年の企業にかかる負担を大きく左右することになる。

願わくば、「特定のモデルの押しつけ」ではない形で、場合によっては、「複数のプラクティスを提示する」というような形で、うまく収まればそれが理想的だと自分は思っているのだが、行司役が冨山氏側の意見にシンパシーを感じていそうな金融庁東証、という会議体において、そのような形で収まる可能性があるのかどうか。

社外取締役導入」の話だけではなく、株主の議決権行使の実効性確保や、株式持ち合い、といった、我が国の企業社会の根源的な部分にまで踏み込もうとする試みだけに、この先も一筋縄ではいかないことが想定される状況だが、“神々の気まぐれ”で、企業に無駄なコストを費やさせるようなことだけは、何としても避けていただきたいな、と思うところである。

*1:社外取締役の導入が法定義務化されたわけではないが、結果的には、事実上「強制」に近い状況が生じている、という意味で、極めて皮肉な状況になっているといえるだろう。

*2:http://www.fsa.go.jp/singi/corporategovernance/siryou/20140807/03.pdf参照。

*3:誰も従わないか、あるいは、事実上「強制」されるルールとなってしまうのではないか、ということが懸念される。

*4:http://www.fsa.go.jp/singi/corporategovernance/siryou/20140930/04.pdf

*5:さらにこれに加えて、「現状の問題点」を指摘しつつも、「社外取締役の導入」といった会社法周りの規制に手を付けたところで何も変わらない、とする、会社法の泰斗・江頭憲治郎教授のようなご意見もある(http://blog.livedoor.jp/kawailawjapan/archives/2014-10-06.html参照。川井弁護士のコメント同様、確かにあの論稿はなかなか印象的である)。経済界の主張と江頭教授の主張は必ずしも整合的なものではない(むしろ「経営人材の育成手法」といった、より本質的な側面において先鋭的に対立しうるものであるように思う)が、本エントリーで紹介するような議論の文脈においては、“先鋭的”なコードの制定は無益、という点で共通するのではないかと、自分は勝手に思っている。