帰ってきてくれて、ありがとう。

昨年の暮れ、メジャーリーグで盤石の地位を築いていた黒田博樹投手が、あの、広島カープに復帰する、というニュースを目にして、良い話だなぁ、そして、育った環境への“愛”というのは、かくも大きな選択をさせるものなのだなぁ、と感心したものだが、その裏で、サッカーの世界でも、似たような“ちょっとだけよい話”が湧きあがっていた。

Jリーグ発足以来、見放したくても見放し切れない、色褪せた黄・緑・赤、三色のチームに、一人の選手が戻ってきたのだ。

水野晃樹選手。29歳。ポジションMF。

名門・清水商から、2004年、ジェフ市原(当時)に入団。
前年から父オシムが監督に就任して、強化に乗り出していたチームの勢いに乗り、高卒1年目から7試合出場、1ゴールを決め、その後、U−20に選出されて、Wユース本大会への出場も果たす。

翌年からは、ほぼレギュラーに定着し、サイドからのキレの良いドリブルと、思い切りの良いクロス&シュートで、敵陣を脅かす存在になった。

そして、まだ“売り出し中”というポジションにいた2006年シーズン、ナビスコ杯の決勝戦で、強豪鹿島アントラーズ相手に、試合の流れを大きく引き寄せる豪快なミドルシュート=先制弾を決める。

未だに自分の瞼に焼き付いて離れない、聖地・国立の黄色い熱狂の渦の中、彼は覚醒し、全身を躍動させていた*1
今思えば、あれが、ジェフというチームが今日に至るまでの間に、大舞台で輝きを放った最後の瞬間だった。


その翌シーズンも、水野選手は、サポーターの期待を一身に背負って戦い、リーグ戦9ゴールを記録する*2
生え抜きの選手が次々とチームを去り、伝統あるクラブに暗雲が立ち込める中、まだ20代前半だった背番号「8」の存在は、数少ない希望の光だった。

しかし、残念なことに、彼のチームでの足跡はそこで止まってしまう。

2007年の年末に、当時、中村俊輔選手が在籍していたセルティックへの移籍を発表。
息子オシムの解任で崩壊寸前となっていたチームに事実上とどめを刺すような退団劇が、多くのサポーターに落胆をもたらしたのは、言うまでもあるまい。

さらに、十分な出場機会すら得られず、期待されたような結果を残せないまま帰国した彼が選択したのは、まさかの柏レイソル

いかに古巣がJ2降格直後だったとはいえ、涙を吞んで見送ったサポーターにとっては、あまりに酷い、と思えるような日本復帰劇で、もう生きているうちに、この「水野」という選手にチャントを送ることは二度とないだろう・・・と当時は思ったものだった。

だが、それから5年。全盛期にチームを去ってから7年の歳月を経て、彼は戻ってきた。

あの頃の輝きを知るサポーターを泣かせるコメントとともに。

またサッカーをできる環境を与えてもらえて本当に感謝し嬉しく思います。
そしてやっと家に帰ってこれた気がします。
家を出るときハッキリとこの家に帰りたいと言ったにもかかわらず、いろんな状況、タイミングが合わず寄り道をしてきてしまいました。
が、それでもこうして帰って来ることができたこと心の底からクラブに感謝します。
(中略)
受け入れがたいサポーターの方々もいるとは思いますが、自分の家に帰ってこれたという気持ちでのびのびプレーできると信じています。
これから共に戦い共に喜び合いましょう!
WIN BY ALL
(チーム公式HP:http://jefunited.co.jp/news/2014/12/top/14198405401724.htmlより。強調筆者)

ジェフ、というのは、すごく不思議なチームで、(おそらくは様々な確執があって)ピークの時期に飛び出していった主力選手たちが、何年かすると、我に返ったかのように戻ってくる。

元々チーム愛にあふれていた坂本隊長は1年で戻ってきたし、降格直後には、村井選手、茶野選手、林選手、佐藤勇人選手といった往年の名選手たちが一気に顔を揃える、というサプライズもあった。
さらに、今シーズンまでDF陣を統率していた山口智選手も、G大阪で11シーズンの実績を残したうえでの復帰組である。

もちろん、数々の復帰劇の背景にあるのは、“チーム愛”だけで割り切れるような単純な話ではなく、選手としてのピークを過ぎ、一流クラブでの身の置き所が微妙になってきたタイミングでの“打算”が、多かれ少なかれ働いていることは否定できまい。

そして、復帰した選手たちの中には、往年の輝きを取り戻せないまま引退し、あるいはチームを去って行った*3者も決して少なくないことを考えると、ここ数年、リーグ戦での出場機会(柏-甲府)が10〜20試合程度にとどまっていた水野選手の先行きも、危ぶまれる状況であるのは間違いない。

だが・・・


自分はそれでも、7年前に光り輝いていた才能が、「フクアリ」という絶好の舞台に舞い戻って、再び輝きを放ちだす、という奇蹟を信じたい。
そして、長い雌伏の時を経て、ようやくクラブが手に入れた絶対的名将が、彼にフィールドで生きる道を与えた時、日はまた必ず昇るはず、と、信じてやまないのである。

*1:その後、2点目もアシストした水野選手は、堂々の大会MVPに輝き、名実ともに「主役」となった。当時の興奮は、http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20061103/1162575425のエントリーに記されている。

*2:水本選手と並んで「ウォーターボーイズ」の愛称で親しまれていたのも懐かしい記憶である。

*3:去って行った後に、古巣に強烈な「恩返し」をした選手もいたが・・・。