下馬評通り、巨人の2勝1敗、という結果であっけなく終わったセ・リーグのCSシリーズ第1ステージ。
昨年のファイナルシリーズでまさかの4連勝を成し遂げ、ペナントレースの7ゲーム差をひっくり返して日本シリーズに行ってしまった時は、嬉しいという気持ちよりも、気まずさの方が先に立ってしまったし*1、今年は“久々に復活したスワローズ”に気持ちよく日本シリーズに向かって欲しいと思っていただけに、ここで負けてくれて良かった・・・というのが本音なのだが*2、唯一寂しい気分に襲われたのが以下のニュースである。
「既に今季限りでの退任が発表されている和田監督は選手、コーチ、監督と31年間着続けたユニホーム姿も最後になった。」(日本経済新聞2015年10月13日付夕刊・第13面)
タイガースを長く応援し続けている人であればあるほど、名前を聞いただけでじわっとくる男、和田豊。
アマチュア時代に日本代表にも選ばれていた選手ながら、ドラフトは地味に3位指名。
入団1年目にあの「1985年日本一」を経験する、という幸運を味わったのもつかの間、翌年からチームは泥沼に陥る。
入団から間もない頃は犠打数の多い小業師として、中堅年代に差し掛かる頃からは、チーム随一のヒットメーカーとして、そして、不動の二塁手として・・・
チームがどんなに黒星を重ねても、腐ることなくとにかく堅実に試合に出続け、毎年コンスタントに結果を残し続けた。
ほとんどのシーズンで、「暗黒」という言葉がぴったし嵌っていた90年代、夏場以降のファンの数少ない楽しみは、スポーツ紙のリーダーズボードに刻まれる和田選手の安打数(と打率&二塁打数)で、首位と何ゲーム差離されていようが、彼がトップに立って数字が「太字」に変わると、それだけで嬉しい気持ちになったものだった*3。
キャリアの終盤に差し掛かるまで、大きなケガとも無縁で、1992年、1994年〜96年と4シーズンにわたってフル出場、計10シーズンにわたって120以上の出場試合数を記録(最終的には1713試合出場)した割にはタイトルに恵まれず、1993年に最多安打を記録したのみ。
それでも、1988年から1999年まで、12年連続で100安打以上、うち150安打以上を記録したのが5シーズン、通算安打1739安打(出場試合数の数字を上回る)、という記録は十分称賛に値する。
レギュラーになってから2001年に引退するまで一度も優勝を経験できなかったこと*4、小柄で華やかな長打を打ちまくる選手ではなかったこと、さらには、「神様」に祭り上げられる前に潔く引退してしまったことなどから、タイガースの歴代スター選手の系譜からは何となく外されてしまいがちなのだが、自分の中では、間違いなく和田選手が、90年代の「チームの象徴」だった。
引退して専任コーチに転向してからも、星野、岡田、真弓、といった眩いスター監督の下で約10年務めあげ、2012年に順当に監督に就任。
初年度こそ5位に終わったものの、その後3年連続AクラスでCSシリーズに進出しているし、昨年、日本シリーズにまで駒を進める大躍進*5を遂げたことを考えれば、さらに長い目でチームを任せても良かったはずだ*6。
それが、9月にチームが失速した途端に、「今シーズン限り」という報道が流れ始め、あっという間に既定路線になってしまう・・・
まだ退団報道が流れだす前に世に出た、Numberのタイガース特集号には、和田監督の「鋼鉄の精神力」を称える村瀬秀信氏の「阪神一筋30年。『失意泰然』の男、和田豊が歩む修羅の道」というコラムが掲載されていた。
「この4年、和田へ向けられた批判嘲笑人格否定の数々は歴代屈指の攻撃力だったはずだ。」
「就任当初から今まで一貫してジミすぎる顔立ちであり言動であり采配は、マスコミに『つまらない』と疎まれ、虎ファンに『スパイス』と笑われ、OBや株主から『下手くそ』『無能』と幾度も袋叩きにあう。(中略)およそ常人の精神が耐え得るストレス量ではなかった。」
「だが、和田は折れなかった。何を言われても騒がれても座右の銘である『失意泰然』を盾に、鋼鉄の精神力ですべてを弾き返した。」
(Number885号・50〜51頁)
村瀬氏は、これに続けて、和田監督の就任会見での『ある瞬間に、自分の中で阪神タイガースの比重が野球を超えた』という発言を引き、
「入団1年目で日本一の甘味を知って以降、暗黒に堕ちたチームの繋ぎ役に徹した野球人生。それは引退の打席で初めてフルスイングをしたという狂気の滅私奉公。鋼鉄の精神力はそんな暗黒時代の徒花か。」(同上)
とまで言い切っている。
ここ数年来、90年代とは比較にならないくらいプロ野球というものへの関心が薄れていたこともあって、和田監督の采配にも、それに対する批判にも、何となく不感症気味になっていたところはあったのだが、こんな、これまでのご苦労が偲ばれるような記事を読んでしまうと、「毎日グラウンドにいる」ことを当たり前のように思っていたことが、何となく恥ずかしくなってしまうわけで・・・。
前記コラムは、「近年、『アホ』、『ボケ』だった和田の敬称に『名将』という単語がポツポツ混じり始めた。」こと、そして「マジック点灯を前に和田監督に続投要請が出た」ことを紹介しつつ、
「これがアッサリひっくり返るのが阪神。史上最硬のメンタリストはこのまま行くとも思っていまい。」
「優勝が先か志半ばで斃れるが先か。そしてこの後、和田豊にどんな運命が待っているのか。しっかりと見届けたい。」(同上)
と、その先の運命を予言するかのような締めくくりとなっている。
村瀬氏の予感どおり、残念ながら、和田監督のタイガースでの闘いは、2015年をもって一区切り、ということになってしまった。
先日の中村勝広元監督・GMの急逝に続き*7、「暗黒時代」に希望を照らし続けてくれた大恩人たちが「タイガース」の表舞台から消えていってしまうことが自分にはとても無念でならないのだが、一呼吸置いた後に、和田監督が再び何らかの形で球団に戻ってきてくれる、と自分は信じているし、今、コーチ陣に残っている苦しい時代を知る90年代の虎戦士たちがいずれバトンを引き継ぎ、「風雪に耐えた者こそが美しい花を咲かせることができる」ということをいつか証明してくれる、ということを、自分は願ってやまない*8。
Number(ナンバー)885号 阪神タイガース80周年特集 猛虎、神撃 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー))
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*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20141019/1413992465参照。
*2:そもそもペナントレースで負け越したチームが、日本シリーズへの出場資格を争う場に顔を出してはいけないと思う・・・。
*3:もう一つ、湯舟投手の「完封数」というのもあったが、毎日楽しめる、という点では和田選手のそれの方が、格段に素晴らしかった。
*4:また、数少ない優勝争いに絡んだ1992年は、全試合に出場したものの、打率は2割7分8厘、とこの頃の和田選手の成績としてはあまり芳しくない結果に終わっているし、実際の印象としても、この年打ちまくった印象があるオマリー、パチョレックといった外国人や、八木裕選手に比べると地味だったと記憶している。それでも生涯2度のベストナインのうち1度はこのシーズンに選出されているのだけれど・・・。
*5:ポストシーズンで負け続けていたチームに、ようやく勝ち癖を付けてくれた、という点からも、昨年の快進撃には特筆すべきものがあった。
*6:実際、8月頃まではそんな雰囲気も十分にあった。
*7:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20150924/1445669202参照。
*8:スターティングオーダーに名を連ねる生え抜き選手が減って久しい今だからこそ、なおさら、そう思うところはある。