“第2のサイレンススズカ”はそう簡単には生まれない。

昨年に続いて、秋の天皇賞に強力な逃げ馬が参戦、ということで、注目を集めたエイシンヒカリ
鞍上には昨年に続いて武豊騎手。しかも今年は香港、フランスのG1タイトルと、世界レーティング1位の称号を新たに引っ下げ、さらに極めつけは1998年のサイレンススズカと全く同じ1枠1番、という枠順。

昨年の案の定・・・という感じの凡走*1で多くのファンは懲りたはずなのに、それでもなお2番目に人気を集めたのは、20年近く経ってもなお生き続ける伝説の名馬への敬意と、あの走りをもう一度見たい、というファンの思いがそれだけ強かった、ということなのだろう。

レースが始まってみれば、“逃げ”といっても、後続を引き付けてスローに流す、という、サイレンススズカのそれには遠く及ばない代物*2

そして、馬場の悪い内側を回ってきたこともあり、直線に入ると昨年以上に失速して逢えなくゲームセット(12着)ということになってしまった。

マイルだけではない幅の広さを見せたモーリス(優勝)といい、低人気ながらドバイで世界のG1を制した実力を存分に発揮したリアルスティール(2着)といい、はたまた東京2000mの適性を昨年に続いて発揮したステファノス(3着)といい、上位に入った馬たちのレベルが昨年以上に上がっていたのは事実だし*3、それゆえに、エイシンヒカリ自身も、自分のレースをさせてもらえなかった、という可能性もあるのだが、やはり、他に同型のいないレースであれば、もっと千切って逃げなければ、“サイレンススズカの再来”というには値しない。

個人的には、自分の記憶の中に眠っている「伝説」が上書きされなかったことに、ほっと安堵する感情があると同時に、いつまでも神話が“神話”のままでとどまっているもどかしさもあるわけで、府中の2000mをぶっちぎって勝つ規格外のヒーローが現れることを心の底では願っているのかもしれないけど、少なくとも今日は(今日も)そんな日ではなかった。

Number誌で27年越しに表紙を飾り、JRA所属馬4000勝、という金字塔を打ち立ててもなお進化をやめようとしない武豊騎手が、自ら「サイレンススズカの再来」と呼ぶような馬がこの世に現れる日が来るのかどうか、自分には何とも言えないところではあるが、少なくともそれまでは、“サイレンススズカ”という馬の名は記憶の中だけに留めておきたい、と思うところである。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20151101/1446399609

*2:そもそも、武豊騎手は、こういう逃げ方が決して得意なジョッキーではなく、大舞台でこのパターンになると大抵直線でヘタる。

*3:今年に入ってから不振が続いていたとはいえ、前年覇者のラブリーデイルメール騎手を鞍上に擁しながらも9着に沈んでしまった、というところに、今年のレースの厳しさが如実に現れていたような気がする。

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