これが、日本ダービーだ。

先週日曜日、外国人騎手の騎乗馬がまたあっさり勝ってしまったこともあり、エントリー*1の中では、

「最後のダービーくらいは日本人騎手にも意地を見せてほしい」

と書いておきながら、深く考えずにサートゥルナーリアを本命&絶対軸に据えてしまった自分。
前走を余裕残しで勝ち切った無敗かつ超良血の皐月賞馬に死角なし、と考えたのが自分だけではなかったのは、「単勝1.6倍」という一本かぶりのオッズからも明らかだったのだが、今日のレースは、そんな安直な選択をした全ての者に深い反省を促すものだったように思う・・・。

11万人の大観衆を前に、いつになく入れ込みが激しかったサートゥルナーリアの鞍上は、これまた今回がダービー初騎乗のレーン騎手。
そして、そんな数少ない不安材料は、ゲートが開いた瞬間の出遅れ、という形で見事に露見した。

もし、今回”暴走”に近い大逃げ*2を打ったリオンリオンの鞍上が、経験の浅い横山武史騎手ではなく父親の方だったら、落ち着いたペースの中で本命馬が立て直すチャンスがあったかもしれない。

だが、超ハイペースの澱みない流れの中では、最初のちょっとしたリズムの狂いが最後まで響く。

角居厩舎の2頭目、本来であれば「ペースメーカー」の役回りを演じても不思議ではなかった最内枠のロジャーバローズが、2番手ながら最短の進路を通って事実上単騎逃げの形になり、失速したリオンリオンを横目に、前が止まらない馬場の特性を生かして”独走”態勢に入る。

そして、後続の混戦から抜け出してそれを追いかけられたのは、ダノンキングリーただ1頭だけ。

最後の直線、後方から追いかけて、さらに伸びてくるかと思われたサートゥルナーリアは、競り合いの中で再び沈み、最速の3ハロン上がりタイムを記録したもののヴェロックスの後塵まで拝する4着、馬券圏外へと消えた*3

前週のオークスをさらに上回る「2分22秒6」という驚異的なタイムと、勝ったロジャーバローズの93.1倍という単勝オッズを見れば、特殊なコースコンディションの下での特殊なレース、として片づけてしまうのは簡単だろう。

ただ、「波乱」といっても、皐月賞の上位3着はきっちり2~4着を占めており、勝ったロジャーバローズにも京都新聞杯2着の実績があること、1着、2着を占めたのはこのレースでも滅法強い(過去10年で4勝)ディープインパクト産駒であること、そして何より上位3頭に騎乗していたのは、今の日本を代表する一流騎手で、ダービーも何度も経験してきた浜中俊戸崎圭太川田将雅という騎手たちだったことを考えると、「不利な材料」が多すぎたサートゥルナーリアがこけただけで、数年後に見返せば至極順当な結果だった、と言われても決して不思議ではないような気がしている。


ちなみに、デビュー3年目に菊花賞を勝ち、その後、一時期、”ミッキー”を冠した馬たちの主戦騎手としてG1タイトルを獲りまくった浜中騎手も、ここ1,2年は何となく影が薄い存在になりかけていたのだが、実質昭和最後の年に生まれ、ちょうど30歳、という節目で迎えた彼が今年のダービーでタイトルを手に入れたことで、池添騎手、川田騎手に続く関西〝内国産”騎手の系譜を受け継ぐことができたのは実に良いめぐりあわせ。

また、ノーザンファームが上位を独占することも稀ではなかったこのレースで、ディープインパクト産とはいえ、勝った馬が新ひだか町(飛野牧場)、2着馬が浦河町(三嶋牧場)の生産馬だった、というのも、いろいろとワンパターンになりかけていた今の日本の競馬界の「この先」を考える上では一筋の光明になったのではないだろうか。


ちなみに、レース前には、今日に合わせてNumberのダービー特集号を読んでいた。

最初は、ダービー特集じゃなくて「武豊特集」じゃないか、という突っ込みを入れたくなるような記事(「50歳ユタカに50の質問」Number978号10頁(2019年))から始まるのだが、その後に来る「連続ノンフィクション 時代を変えた7つのダービー」の記事一つ一つが実に秀逸。

特に、アイネスフウジンが勝った1990年のレースを、メジロライアン陣営やそれ以外の関係者の視点から描いた記事(江面弘也「ナカノコールの残響」Number978号20頁)や、1993年のダービーを制した柴田政人騎手とウイニングチケットの物語を、柴田(政)騎手(と馬)のその後の人生まで追いかけながら書かれた記事(高川武将「柴田政人『チケットによろしく』」Number978号24頁(2019年))などは本当に素晴らしくて・・・。

こういった記事を読むと、勝った馬だけではなくレースに出走した全ての馬とその関係者に(さらにはレースに出なかった関係者にも)それぞれのドラマがある、ということを改めて感じさせられる。
そして、頂点に立ったロジャーバローズの陣営にも、一敗地にまみれたサートゥルナーリアの陣営(特にレーン騎手)にも、後日、様々な歴史の文脈の中に位置づけられるドラマが今日刻まれたのだなぁ*4、と思った時、今日はより趣が深い日曜日になったのである。

*1:気が付けば、昨秋の再来・・・。 - 企業法務戦士の雑感参照。

*2:さすがにダービーで最初の1000mを57秒8で飛ばす、というのは人気を背負った馬としてはあり得ないだろう、と・・・。

*3:ダービー初騎乗だったレーン騎手の問題を指摘する、という説明をするのは簡単なのだが、そのレーン騎手は、最終レースの目黒記念でこれまで戸崎騎手や北村友一騎手といった日本人の名手たちが手を焼いてきたルックトゥワイスの末脚を見事に引き出して(しかも驚異的なコースレコードで)同馬に初重賞のタイトルを獲らせており、本来であれば他の外国人騎手と比べても非の打ちどころがないようなレース運びをする騎手だけに、いかに「ダービー」の環境が過酷か、ということもまた改めて感じさせられた。

*4:他にも22年目で初めてダービーに騎乗した竹之下智昭騎手&ヴィントの物語や、道営所属から中央に転厩して挑んだナイママの物語、さらには今回のダービーに騎乗できなかった柴田善臣騎手の物語など、今思いつくものだけでもいろいろあるのだが、当然これらに限った話ではない。

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