今年もまた、刻まれた「3・11」の節目。

飛ぶように過ぎていく日々の時間の中で、今年もまた、「大震災から6年」という節目の日が刻まれた。

今振り返れば、2011年のあの頃だって、決して時間の流れはゆっくりではなかったと思うのだけれど、今の時間の流れはあの頃の比ではなく、特にここ数年は異常なスピードで時間が流れて行ってしまうから、「・・・から3年」とか「4年」とか、といったニュースを聞いて様々な思いに浸っていたのが、つい昨日のことのように感じられてしまう。

それでもカレンダーを見れば、確かに今年は2017年。時は確実に過ぎている。

この6年の間、震災直後に閖上から仙台、塩釜エリアに入ったのを皮切りに、東松島石巻、南三陸、北三陸、那珂、そして、福島浜通りエリア*1まで、「被災地」と呼ばれているエリアには、ほぼくまなく足を運んだ。

だから、「災後」の報道に触れ、それぞれの地で進んでいる“復興”の姿を目にするたびに、目に焼き付いたかつての光景とそこにいた人々の姿と声がラップする。

至るところ瓦礫だらけで時間が止まったままだった場所がきれいに片づけられ、整地された高台エリアに復興住宅が林立する様子を見て安堵感を抱く一方で、新しい街づくりが進めば進むほど“震災前”の街の姿が決して元に戻ることはない、ということもはっきりしてきて、どうしても身を削られるような感覚に襲われてしまう。

2011年以降、それなりに関わりを持ってきたとはいえ、あくまで「部外者」の一人に過ぎない自分が、かの地に根差して生き続ける人々の感情を忖度することなどできるはずもない。

ただ、テレビの映像が、「3・11後」を生きる前向きな人々の姿を映せば映すほど、あの日を境に交差し、すれ違った様々な運命にも思いを馳せざるを得ないわけで・・・。

いわゆる「7回忌」を過ぎ、来年以降、全国メディアにとっての節目の年の重みがさらに下がっていくことも予想される中で、もう一度、自分にできることを考え直さないといけない、そんな時に差し掛かっている気がするのである。

*1:残念ながら立入制限がかかっている一部の区域にはまだ足を踏み入れることができていないが。

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