「コンプライアンス」の価値観を見直す時。

神戸製鋼の品質問題の影に隠れがちだった自動車メーカーの「完成検査」問題だが、予想どおり日産に続く第2弾としてSUBARUの話が出てきて、またしても「大規模リコール」ということに相成った。

もっとも、こちらの方は、一見「品質」問題のようだけど実質的な「品質」とは全く無関係の問題で、それは、問題公表後にも「無資格者の検査」を継続していたために国内出荷停止に追い込まれてしまった日産が、輸出品に関しては安全性には何ら影響しない、として、淡々と出荷を継続していることからも明らかだろう。

まだスバルが「富士重工」という社名だった時代に、今回問題となった太田市の工場を見に行く機会があったのだが、その時代から既に製造現場には人影もまばら。
オートメーション化が徹底的に進んでいる今の工場現場で、組立工によるヒューマンファクターのミスが介在する可能性は限りなく減少していて、道路運送車両法が制定された時代とは、「完成検査」の意義が大きく変わってきている、という実態がある。

日産にしても、SUBARUにしても、「無資格者」による完成検査実施が常態化していた、ということが、叩かれる材料の一つになっているが、裏返せば、それほど経験豊富な従業員でなくても検査の手順をこなすことはできてしまうし、仮に、その者が熟練者でなかったとしても何の問題も起きなかったからこそ、そういう実態を継続させることができたのだろう。

だとすれば、問題があるのは、昔ながらの「検査」を要求している法律の規定の方で、既に利益の大半を海外市場で稼ぐ構図になっている日産自動車が、実態を「杓子定規に規定に合わせる」ことに重きを置かなかった理由も何となく透けて見えるところである。

日経紙では、「完成検査」を義務付ける現在の道路運送車両法の規定に対して、外国の自動車メーカー等から批判の声があることにも触れつつ、有識者芝浦工業大学の古川修特任教授(自動車工学))の

(日産は)「より短い研修でも完成検査ができると現場が判断していたならば、社内規定を見直すことが必要だった」
「現場を放置していた会社としてのコンプライアンスの問題は大きい」
日本経済新聞2017年10月28日付朝刊・第3面)

というコメントを取りあげているが、そもそも実質的な意義が乏しいルールに合わせるために体裁を整える、というのは、「コンプライアンス」という言葉を唱え始めた人々が元々目指していたものとは大きく異なることであるはず。

この手の話は、どうしても規制権限を持っている役所の顔色を見ながら・・・ということになることは避けられず*1、それゆえに、当初は余裕の対応をしていた日産が今追い込まれている面もあるのだけれど、今回の一連の騒動を通じて、規制の持つ意味、ひいては「コンプライアンス」は何を目指すものなのか、ということに、もう少し目が向けられれば良いな、というふうに、自分は思えてならないのである。

*1:完成時の「検査」の意義が乏しくなっているからといって、自動車に関する全ての「検査」を甘くして良い、という話にはならない((一つネジが緩んでしまうと、自動車整備業者での車検等にまで影響してくるおそれがあるし・・・

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