「知財」だけでは国は立たぬ〜特許政策15年の失敗〜

記事を見かけてから、少し時間が経ってしまったのだが、やはり一言釘を刺しておきたいところがあったので、ここで取り上げておく。
ターゲットは日経紙法務面の「知財立国は成ったか(上)」という特集(渋谷高弘編集委員担当)である。

「2003年3月に知的財産基本法が施行され、政府に知的財産戦略本部が置かれてからまもなく15年。日本は特許や著作権などの保護・活用を通じ企業の競争力を回復させる「知財立国」を目指してきたが、現時点の評価は厳しい。何が誤算だったのか。国や企業の取り組みを振り返りながら、その成否を検証する。」(日本経済新聞2018年1月15日付朝刊・第11面、強調筆者、以下同じ。)

この記事、多少の“自省”も込められている、という点で、これまで、「知財取得・活用」称賛一辺倒になることが多かった日経紙のコラムにしては、比較的読み応えがあるものになっていると言えるだろう。

特に、特許の大量出願が技術流出につながった、とか、特許による市場の囲い込みに固執した結果、かえって技術革新とコモディティ化のスピードについて行けなくなった、といったところを指摘しているあたりは、ようやくか、というところはあるが、そう的外れな指摘ではないな、という印象である。

ただ、個人的には「時代の変化」を語る以前に、そもそも「知財」が注目され始めた2002年の時点で、どれだけの人が「知財立国」という言葉の真の意味を理解していたのかな?、そして、施策に落とし込むに際して、本来目指すべき思想がどれだけ反映されていたのかな? という根本的な問題への反省はまだまだ欠けているように思えてならない*1

知財立国」とは何を目指すものだったのか。

バブルが崩壊した20世紀の終わり、日本企業が伸びてきた中韓のメーカー等に押されて競争力を失い、「新しい製品・商品を作れば売れる、稼げる」という時代は終焉しつつあった*2

だから、「最終形の製品」レベルの競争にだけ血道を上げるのではなくその前段階(企画・研究開発段階)で優位性を保つことを考えましょう、そして「売る」ための営業力の強化に経営リソースを割くだけではなく「知」をつぎ込み「財」を生み出すプロセスにも力を注いでいきましょう、というムードが強まっていたのが当時の構想の根本にある考え方だったと思うし、それ自体は決して間違った方向性ではなかったはずだ。

当時は、バブルが引き起こした最大の弊害は、優秀な技術系人材を、日本の産業を支えてきたメーカーの開発・製造現場から遠ざけてしまったことだ、と言われていて、産業の競争力を回復させるためには、今一度地道な開発・製造プロセスに光を当てて、人材を呼び込まないといけない、という話も良く耳にした。そして、それは当時も今も正しい発想だった、と自分は思っている。

ところが・・・である。

実際の落とし込み段階になって出てきたのは、「特許」制度の宣伝と出願慫慂のPRばかり。そして、特許庁の審査官増員+審査早期化だとか、弁理士試験の合格者増加、といった「特許オリエンテッド」な政策ばかりが強調されるようになってしまった。

政策の旗振り役を特許庁に委ねたらそうなるのは容易に想像ができたことだし、それまでどこの会社でも「特許部門」というのは、あまりに光が当たらない存在だったから、そこに多少報いる理はあったのかもしれないが、結果的にどうなったかと言えば、どこの会社でも「知財部門の肥大化」と、「無駄な特許出願の増加」を招いただけ。

そして、青色LED職務発明対価訴訟で一時、多額の補償金請求が認められたこと等もあって、「特許は金になる」という、政策の本筋からは外れた風潮が蔓延し、「過去の発明」に対する職務発明紛争*3とか、2000年前後のビジネスモデル特許ブーム*4に乗って出願・権利化されたいかがわしい特許による権利行使アクションの多発、そして遂にはパテントトロール的な人々の登場まで招く、というふうに、世の中はどんどんおかしな方向に進んでしまった。

出願明細書の作成から、拒絶理由対応に至るまで、「特許」を取得するまでのプロセス、というのは、今も昔も「匠」の世界であり、それゆえ、職人としてある程度、技を極めていくことも求められる。それはそれで否定されることではないにしても、一連の政策は、そんな「職人」の世界に、貴重な人的・物的リソースの多くをつぎ込み過ぎてしまったように思えてならない。

「木」の枝を丁寧に手入れする職人は増えても、大きな視点で「森」づくりの計画を立てて木を植える、という発想やそれを担う人材はさほど醸成されなかった*5。そうこうしているうちに、地盤変革のうねりに巻き込まれ、木を植える「土地」すら失ってしまった・・・ というのが、この「失われた15年」の実相ではなかろうか*6

特許をはじめとする「知財」は、自社の商品・サービスを市場で優位に立たせるための“手段”としては有効な武器になるものだが、一つの特許で一つの製品が作れる、というような単純な時代ではなくなっている現在*7、それ単独で市場を支配したり、大きな企業を支えるものになったりすることはあり得ない。企業にとって重要なのは、あくまで「知財」を内包した商品・サービス全体が、どれだけの稼ぎをもたらせるか、ということだけであり、全てのリソースはそこに向けられないと意味がないのに、“手段”が“目的”化した結果、「知財部門は栄えど、会社の業績はガタ落ち」という事態に陥った会社がどれほど多かったことか・・・*8

知的財産権」の法的権利としての特質や強み・弱みといったものについて、大学・大学院等で高度な専門教育を受けてきたものであれば、“手段と目的を取り違えるリスク”も十分理解していたはず。だが、残念ながらそういった若い世代の人々と、会社の経営層との距離はあまりに遠かったし、「権利」としての本質を理解しているはずの研究者からも「知財立国」政策や「知財経営」に対する提言、苦言はなかなか聞こえてこなかった。

結果的に、皆がそれぞれの専門、それぞれの得意分野で「蛸壺」化したことによる「政策の失敗」。
知財の世界に限らず良くあることだし、誰も責めるわけにはいかない*9のだけれど、やはり失われた歳月は重い。

そして、「知財政策」に関する議論が、年を追うごとに空虚さを増し、声の大きい者が騒げば騒ぐほど答えが出ない(そして目指すべき方向からそれていく)、という迷路に迷い込んでいることも、指摘しておかねばならない。

これから、に向けて。

既に、多くの業種で「特許」を生み出す開発力の部分ですら、新興国に後れを取りつつあるこの国で、「知的財産」に“昔の名前”以上の何かを求めるのは酷なのかもしれないが、あるべき政策として、「木の手入れ」につぎ込み過ぎたリソースを徐々に正常な方向に戻していくことは考えても良いように思う*10

そして、昨年行われた「企業法務・弁護士調査」において、

「日本が「知財立国」になったと思うかどうか」

という問いに対し、「思わない」の理由として、

知財で稼ぐ日本企業が増えたとは思わない」

という回答を挙げてしまう者が102社、61人もいる、という現実にもう少し危機感を抱いて、各企業、各実務家に「これから何を目指すべきか、何をすべきかを自分の頭でしっかり考える」ように仕向けることこそが、大事なのではないか、と思えてならない*11

5年後、10年後に、会社で、諸団体で一緒に汗をかいた人々と「あの頃は大変だったけど、ようやく蒔いた種が実ったね」と言える日が来るのかどうか。
全く自信はないのだけれど、自分はまだそれを心の底から願っているので・・・。

*1:特許庁長官の荒井寿光氏から未だにコメントを取っている時点で、反省もへったくれもないのだけど・・・。

*2:それでも今に比べれば遥かにマシだったのだが、それはもう言わないでおく。

*3:自分は開発に従事した技術者は当然報いられるべきだと思うし、その意味で対価請求というアクション自体を否定するわけではないが、本来考えられるべき「技術者全体の処遇向上」の問題から切り離されて、「職務発明の対価」という一種のテクニカルな問題に議論が集中してしまったことは、幸福なことではなかったと考えている。

*4:これ自体は、IT化の進展という世界の潮流に合わせた特許庁の審査基準改訂が影響したもので、必ずしも「知財立国」政策とはリンクするものではないと思っているが、「知財を活用せよ」という政策メッセージと変なところで“意気投合”してしまったことは否定できない。

*5:むしろ、それまで開発に従事していた優秀な技術系人材までが「知財」の世界につぎ込まれるようになったことで、「木を植える」ところがかえって薄くなった面もあるのかもしれない。

*6:今や日本の特許庁は、世界トップレベルの迅速・正確な審査をウリにできるような存在となったが、その恩恵を受けるはずだった日本企業の特許出願数は減少の一途を辿っている。

*7:製薬業界等、一部の特殊な業界になると話は別だが。

*8:今でも「AppleGoogleが特許をたくさん持っている」ことを強調して「特許の活用」を説く言説を時々見かけるが、彼らとて「特許で稼いでいる」わけではなく、市場で競争優位を確保する源泉になっているのは、製品・サービスの開発力であり、それを収益に結びつけるビジネスモデルの巧みさであることに変わりはない。特許は「競合他社の足を止める撒菱」や「他社からの攻撃から自社を守る盾」に過ぎないのであって、それを超えた「活用」に無駄にリソースを割くのは愚の骨頂に他ならない。

*9:強いて言えば、当時の政策の旗振り役のトップにくらいは・・・というところはあるが、それは本エントリーの本題ではない。

*10:最低限の技術継承がなされることは前提になるものの、知財部門の若手スタッフや、まだユーティリティに活躍できる余地のある弁理士を、各企業の研究開発部門や経営企画部門に投入する、という選択肢はもう少し考えられても良いように思う。それが長い目で見れば、真の「知財立国」「知財経営」につながるはずだ。

*11:そもそも、こんな「コンプライアンスアンケートで○を付けたら直ちに問題視されるような回答の肢」を仕込んでおく調査者側の問題でもあるのだが、それにあっさり印を付けてしまう、というのは、(専門外の回答者が多かったであろうことを考慮しても)いかがなものかな、と思うのである。

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