決して踊らすことなかれ〜日本の特許戦略が向かうべき道

ここ数年、知財業界をザワザワさせてきた「プロパテント・ルネッサンス*1の動きも、左右両極の激しい水面下の攻防の末、ようやく落ち着きを見せてきた感がある。

そんな中、毎度おなじみの一橋大・相澤英孝教授の論稿が『経済教室』に掲載された。

「次世代の日本の特許戦略 「抑制」から「重視」へ転換を 新興国に保護充実を促せ」

という見出しからも分かる通り、ここはいつもながらのプロパテント押し。

「日本は20世紀末に経済危機に見舞われたが、そこでは米国の経験が生かされることはなく、21世紀の初めになってやっと特許制度の役割を積極的に位置付ける知的財産戦略大綱が策定された。しかしながら象徴的な改正がなされたものの、その後の10年で改革の理念はどこかへ行ってしまった。とうとう特許出願数まで減り、特許制度の制度基盤は揺らいできている。そんな厳しい状況で、政府の知的財産推進計画2015では特許制度の活性化に言及され、一抹の明かりが見えたように思えた。ところが、最近の経済産業省の検討会や知的財産推進計画2017などでは、製品の標準規格として広く利用される「標準必須特許権」のライセンスを特許庁が裁定(強制実施許諾)できる制度が提案された。これと歩調を合わせるように、公正取引委員会知的財産権の行使を制限する指針を公表した。特許を軽視する「アンチパテント(特許抑制)政策」が提示され、時計の針を逆に戻そうとしているかのようである。」(日本経済新聞2017年12月27日付朝刊・第26面、強調筆者。以下同じ。)

と、(現在のエレクトロニクス業界を取り巻く状況を考慮すれば、ある種当然のことを言ったまでの)公取委の指針にまで刃を向け、必死さが滲み出るような論稿となっている。

日経紙には、12月21日付の朝刊にも「私見卓見」という投稿欄に豊田秀夫・元パナソニック知的財産センター長が寄稿し、

特許庁はいま、特許紛争解決のための施策に前向きだ。同庁が選んだ専門家が間に入って特許紛争をまとめる「裁定制度」の構想を出したり、異業種間の交渉の目安とする指針の策定を準備したりしている。紛争解決を目指す姿勢そのものは歓迎できる。だが、いずれもトロール対策ばかりが強調され、悪質な特許侵害企業に関する議論や実態調査はほとんどない。このままトロール対策に偏重した制度設計が進めば、特許権者の権利が不必要に制限され「特許のただ乗り問題」を助長させかねない。バランスの取れた議論が必要だ。」(日本経済新聞2017年12月21日付・第37面)

と述べるなど、プロパテント派のプロパガンダのような様相を呈しているのだが、それだけ、今は厳しい状況に置かれている、ということ。

思い返せば、今世紀初頭、日本の知財政策にはじめて「プロパテント」的な色がついてからの10年は、まさに“知財バブル”の様相を呈していた。

特許庁は審査官を大量増員し、試験の合格者増に伴って技術系学科出身者の弁理士志望者も激増、それまで各企業で細々と活動していた特許部門は一気に規模を拡大し、法律系のバックグラウンドを持つ若い人々の中にも、そういった部門に投入されたり、志願して突っ込んでいった人たちは多かったように思う*2

だが、残念ながら、その結果といえば、

「いかに特許部門に優秀な人材を投入しても、開発そのもので主導権を握れなければよい特許は取れない」
「収益に貢献するのは、開発された技術とビジネスモデルであって、『特許』それ自体が利益を生み出すわけではない」

という当たり前の事実と、「知財立国」構想が出てきた頃から言われていた、

「特許はあくまで自衛の手段であって、攻撃のための武器ではない」
「どんなに強力な特許ポートフォリオを構築しても、技術そのものがアウトデートになってしまったら何の意味もなくなる」
「攻める材料として特許が前面に出るようになってしまったら、その企業は終わり」*3

という事実を再確認した、ということくらい。

一度作ってしまった組織、一度雇ってしまった人間をそう簡単に元に戻すことはできないから、未だに巨大な知財組織を抱えている企業は多いのだが、正直、日本の技術系企業が、既に新興国企業との関係でも技術的優位性を保てなくなっている現状を鑑みると、企業としても、国家としても、「特許」というセクターに多大な投資をすることは、もはや有益なこととは言えなくなってしまっている。

相澤教授は、

グローバル化した現代社会では、新興国発展途上国において製品やサービスの提供から受ける利益を確保するために、各国における特許保護の水準を引き上げるための外交政策が必要となる。その意味でも、日本で先述の標準必須特許に対する裁定実施権の立法が見送られることは、特許権の通商的側面を再認識する第一歩へとつながるものとして評価される。グローバルな特許権の保護の充実に向けた外交には、日本におけるプロパテント政策がその出発点となる。「追加的損害賠償」のような実損を超える賠償をタブーとして、特許侵害者が利益を得ることを認めるマイナス思考から脱却して、特許に目を向けた法改正が期待される。」(同上)

と述べておられるのだが、今でも強力な特許の多くが米国系企業に抑えられている、という事実と、もうそんなに遠くないうちに、強力な特許を持った中国企業、あるいは、インドやベトナムの企業にすら、特許を盾に市場を封じられる可能性がある、という事実にもっと目を向けるべきではないだろうか。

欧州の“ものづくり”が、長年の時を経てもなおクラフトマンシップで勝負していることからも分かるように、国・地域の持ち味は、そう簡単に変わるものではない。
その意味で、いくら時代が変わっても、日本が磨き上げるべきは、海外の先行技術に着想を得た「キャッチアップ」型の開発と、規律正しい現場が生み出す正確無比な生産能力*4だと思われるし、そこがぶれてしまっては産業政策もへったくれもない。

だとすれば、今、特許を強くするべきか、それとも特許に支配されない(特許を「主役」にしない)制度を目指すべきか、答えは明らかだと思うのだけれど・・・。

こと、知財政策に関していえば、2018年がここ数年の混迷を超えて、“スッキリ”した年になることを今は願うのみである。

*1:自民党の一部議員が提唱し、知財推進計画等にも盛り込まれた「権利行使面での知財(主に特許)制度の活性化・強化策」を指す。2000年前後に「知財立国」が叫ばれ(やがて飽きられ)て以来の動き、ということもあって、個人的には「ルネッサンス」を付すのが相当だと思っているが、この用語はあくまで本ブログ限りの造語である。

*2:もちろん、筆者もその一人である(笑)。

*3:「プロパテント」の見本とされている米国ですら、特許訴訟を「武器」として使おうとしたコダックはChapter11適用、マイクロソフトは苦境に陥り、クアルコムAppleも今や同じ道を辿ろうとしている。もちろん、米国のインターネット系の情報通信企業が多くの特許を保有しているのは事実だが、まだ勢いのある企業は、特許を持ちだす以前に新技術とビジネスで勝っているわけで、「特許」は企業を延命させるための最後の手段でしかない、というのは、「森」を見ている人間には周知の事実だろうと思う。

*4:ただし、これについては、正直もう日本国内で維持するのは無理、という悲鳴があちこちから上がっているところなので、勝負する土俵自体を変えないといけないとは思う。