変わりゆく世界地図と、これからへの備え。

10年くらい前にはもう予感があって、4,5年前の時点で個人的には「確信」に近い思いがあったのだが、こうやってそれが現実の世界の出来事になると、どうにもこうにもため息しか出てこない。

世界知的所有権機関WIPO)は2日、2020年の特許の国際出願件数を発表した。中国が2年連続の首位で、韓国もドイツを抜き4位に浮上した。新型コロナウイルスの感染拡大でIT(情報技術)サービスの需要が拡大し、アジア勢を中心に技術革新が進んでいる。」
中国は16%増の6万8720件と成長が加速している習近平(シー・ジンピン)指導部はハイテク産業育成策「中国製造2025」で企業に多額の補助金を投じ、知財強国としての地位確立を急ぐ。」
「一方、2位の米国(3%増の5万9230件)、3位の日本(4%減の5万520件)はなお高水準を維持しているものの、頭打ち感は否めない。」
日本経済新聞2021年3月3日付朝刊・第8面、強調筆者、以下同じ。)

昨年に関して言えば、新型コロナの影響の大小、という要素はもちろんある。・・・が、それを差し引いても、この数字が示しているのがまさに今の世界の現実なわけで、技術戦略だの知財戦略だの、という話を語るときに、この現実から目をそらすことは許されない。

もしかしたら、この国には未だに、

「日本が中国に抜かれ、差を付けられているのは、日本企業が知財経営をしていないからだ。もっと知財部を増強しろ!」

と叫ぶ人*1がいるのかもしれないし、あるいは、

「日本企業の特許出願のモチベーションが上がらないのは、日本国内で特許法の存在感が薄いからだ。特許訴訟を使いやすくして業界を活性化しよう!」

といったここ数年目にすることが多くなった素っ頓狂な世界観の方々も、前記記事に飛びついてこられるのかもしれないが*2、そういう話に持っていこうとすること自体が、現実を直視しないただの逃避的思考に過ぎないと自分は思っている。

そう、もはや、この国はとうの昔に「先端分野で新しい技術を生み出す」という根本的な部分で、隣国に追い抜かれてしまっているのだ。

そういうことを言うと、「いやいや日本には○○の技術がある、××の技術もある」等々、ニッチ分野の輝きをアピールしようとする方々も当然いらっしゃるだろうし、自分も、電子部品やデバイス、中間素材の分野で日本の優良企業が依然として高いシェアを誇っていることも、製造工程の品質管理に関しては未だに日本が周辺のライバル国よりも頭一つ抜けている、ということも承知しているつもりではある。

ただ、後者に関して言えば、まだ明らかに差があった10年前と今とでは状況が大きく変わっていて、今の日本国内の製造現場の疲弊と減退の状況を踏まえるなら、その「差」が縮まることはあっても再び開くことはないと思った方が良い。

また、前者に関しては、米国のここ数年の”制裁”が、中国国内でのイノベーションを逆に加速させているところはあって、「気が付けば日本メーカーの居場所がない」という事態も十分想定しなければいけない気はする*3

一方、

「国策で特許の出願数が増えているだけで、それだけで、かの国が技術的に優位に立ったと考えるのは妥当ではない」

という指摘なら、まだ理解することは可能である。

突き詰めて考えれば考えるほど、今の世の「特許制度」がモチベートしているのは「特許を出願することそれ自体」に過ぎないのであって、これによって「産業の発展」そのものが促進されるわけではない、という結論に行き着くことになるはずで、国際出願件数の差が、それぞれの国の技術的ポテンシャルや技術的成熟度の差に直結しているわけではない、という説明は十分できると思われる。

だが、このような考え方は、少なくとも日本国内ではこれまであまり顧みられることがなかったものであるような気がする。

そして、遅れてきた日本国内の「エンフォースメント強化」の波が世界最強の「特許立国」の企業の戦略とミックスしてしまえば、「たかが特許だけの話」だったものが「技術そのものの話」になってしまう可能性も十分あり得る。

ということで、日本国内の昨今の状況と、冒頭でご紹介した特許を巡る国際的トレンドを組み合わせて考えると、頭が痛くなることはあっても、前向きな気持ちになれることはない、というのが正直なところだったりもするのだけれど・・・。


今や、「量」だけでなく、技術自体の「質」の面でも苦しい立場に追い込まれつつあるこの日本が、今後「技術立国」として再び名を馳せるポジションに戻ろうと思ったら、必要なのは、自分たちの一番得意な領域に立ち戻ることだと自分は思っている。

それは、

「模倣」

に他ならない。

基本的なコンセプト自体は、他国の製品・サービスのカーボンコピーでも、そこから市場に出すまでのプロセスの精度や、それをマニアックに磨き上げていく力で独自の”ブランド”を確立する、というのは、1000年以上くらい前からこの国の”十八番”だったわけで、いかに「制度の国際的調和」といったところで、他国に有利な土俵の上だけでこの国の企業が戦う必要は全くない、というのが、自分の長年の持論だったりもする。

とにかく謙虚になって、恥を忍んででも、隣の「大国」から成功例を”輸入”する。一度出ていった人々も、再度様々な国の企業の情報を抱えた状態で国内に呼び戻す。そして比較的緩めの国内の知的財産法の庇護の下、第三者から止められることなく再び繁栄に向けた種を蒔く・・・。

それこそが、これからの激動の時代に向けた”備え”だし、そこまでして初めて「勝機」というものが生まれるような気もして・・・。

だからこそ、今は、2年続けての衝撃が、誤った方向に向かいかけていた我が国の政策をドラスティックに変えてくれることを願うばかりである。

*1:自分はこういう方々を内心では「平成知財立国時代の香り漂う無形重要文化財くらいに思っているが、本題ではないのでこの辺にしておく。

*2:この点に関しては、昨年のエントリーで書いたことに尽きる。「訴訟」は最善の解決策ではない。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~

*3:米国としては、かつて80年代から90年代初頭にかけて日本の勢いを抑えつけたのと似たような手法で再び自国企業のポジションを守ろうとしているのだろうが、米国への依存度も、政治的、経済的なしたたかさも日本とは大きく異なるのが隣の大国で、トランプ政権時代の政策には「やっつけたつもりが逆に世界のデファクトスタンダードをひっくり返された」ということになりかねない危うさがあった。政権が変わって方針がどう変わるか、というところはあるが、本当に自国の産業を守りたいのであれば、目指すべきは「相互依存による最適化=共存共栄」であって、不毛な経済戦争を仕掛けることではない。それでもなお、人権とか民主主義の価値観を最優先にしてスタンスを変えない、というのであればそれはそれで評価されるべき行動だとは思うけど(自分も本来はそうあるべきだと思っている)、そうではなく単なる目先の経済権益だけを追いかけてしまうと、その先には大きなしっぺ返しが待っているように思えてならないのである。

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