安易な「第三者委員会主義」への戒め。

月曜日の日経法務面、最近は担当記者の興味関心と自分の興味関心がマッチしていないせいか、週によって、主観的な”当たりはずれ”*1が大きいのだが、今回は中村直人弁護士の切れ味鋭いコメントに思わず目が留まった。

サブ的な位置づけの囲み記事*2だが、「相次ぐ品質不正・当事者の介入… 「第三者委は問題だらけ」」という見出しからしインパクトは強い。
そして、第三者委員会の「現状の問題点や、あるべき姿」について、某社の品質不正のケース(報告書公表後に新たな問題が発覚)や、不正統計問題をめぐる厚生労働省の報告書(当事者が作成に関与)の件などを挙げた上で、

「当事者と関わらない中立の立場でできる限り調査し、改善策を提示するのが本来の役割だ。」日本経済新聞2019年5月27日付朝刊・第11面、強調筆者、以下同じ。)

という大原則を指摘され、さらに、「求められる姿勢」として以下のように説かれる。

「2つのバイアスを排除する必要がある。1つは不祥事なのだから厳しく判断してほしいという世の中の期待だ。ただ裁判所にいったら勝てない証拠でクロと判断すべきではない。他方、依頼者にほどほどにしてほしいという希望がある場合も多いだろう。実際、第三者委が善管注意義務などの役員の責任まで認める例は少ない。証拠集めの限界を理由に責任を認める証拠はなかったと書くのは簡単だが無責任だ」

この辺のバランス感覚はお見事の一言に尽きる。

そして、スルガ銀行の調査時の例なども挙げつつ、

スルガ銀行でも3カ月間かけて膨大なメールなどを分析するデジタルフォレンジック(電子鑑識)をした。裁判所で通用する水準を意識し認定した事実は証拠とひもづけて報告書にまとめた
「ただ真摯に取り組んだ場合でも強制捜査権がないなど限界はある。そこで、どういう限界があったか説明するのが大切だ。調査できたことや証拠、認定ができなかったのはこの証拠がなかったからといった内容や足跡を報告書に残すべきだ」

と一歩踏み込んだコメントを残されているあたりにも、これまで成果を残されてきた超一流の実務家としての矜持が感じられる。

さらに興味深いのは、「真摯に取り組むべき」と指摘しつつも、以下のとおり昨今の風潮に釘をぐさりと刺しているくだり。

「調査の範囲自体も第三者委が決めるため、徹底的に調べる場合はタイムチャージで弁護士費用は高額になる。それをうまみがあるとみなす風潮はよくない。次の仕事につなげたいなどと考えれば依頼者との距離感を誤りかねない」

短いコラムながら、上記以外のコメントについても、まさに「御意!」と申し上げるしかない見事な現状分析と指摘だけに、読者の皆様にも是非ご一読をお薦めしたいところである。

・・・で、これに自分自身が気になっていることを付け加えるならば、そもそも「何でもかんでも第三者委員会にやらせる、という風潮自体がおかしくないか?」というのが今の問題意識。

これが、例えば調査前にメディア等に大々的に報道されたような事案で、中村弁護士も指摘されているような「世の中の期待」(これは当然、不祥事なんだから皆頭下げろ、首にしろ、といった〝悪い意味”での期待である)の重圧がのしかかっているような場面であれば、「中立的な第三者」に調査を委ね、解明された事実の下できちんと責任判断をしなければいけない、という要請は当然出てくる。
また、調査対象者が会社の最高幹部レベル、という場合も、社内調査だとどうしても萎縮効果が生じてしまうから、第三者の力を借りる、というのは理解できるところ。

しかし、最近の「第三者委員会報告書」の中には、まずきちんと社内の統制システムを機能させて調べ尽くすのが先なのでは?と思うものも結構見受けられるような気がする。
特に、現場レベルで起きている類の話*3を調査対象とするケースなどは、現場のことを分かっている社内の人間がまずきちんと調べた上で進めていかないと、いくら「第三者」を立てても、なかなか問題の本質にはたどり着けずに終わってしまうだろう。いくら「弁護士」の看板を持っている人でも、誰しもが調査対象の会社なり、業界なりの内情に必ずしも通じているわけではないのだから・・・。

また、子会社で起きた不祥事の調査を親会社が「第三者委員会」に投げる、というのも、個人的にはちょっと違和感があって、それ自体がグループガバナンスが機能していないことを表してしまっているように思えなくもない。

もちろん、自社のリソースだけでは十分な調査ができない、という時に外部のコンサル会社等から人を出してもらう、というのは有効な対策だし、フォレンジックのような踏み込んだ調査をするために専門的な業者を使うのも当然あり得ることだとは思うのだけれど、そこであえて「法律事務所」に依頼をかける必要は本来ないはず。

業界的には、上記で中村弁護士が釘を刺したような風潮もある、と聞くところだし、一義的にはそれが依頼を受ける側のモラルの問題だ、ということは言うまでもないのだけれど、そもそも依頼する側が安易に「第三者委員会」に依拠してしまうことも、問題の背景にはあるような気がしてならない。


自分は、何らかの「不祥事」と言えるような事象が起きた時にもっとも評価されるべきは「立派な第三者報告書を作らせた会社」ではなく、「トップが自ら主導して的確な社内調査を行った会社」だと思っている。そして、多くの場合「外野から見守る」立場になる我々が、対象会社の安易な「第三者委員会」への逃避を招かないような風潮を作っていかないといけないのではないかな、と、今強く感じているところである。

*1:もちろん、自分が興味がなかった、というだけで、記事としていいとか悪いとか、という話ではないので、誤解なきよう・・・。

*2:記事リンクは、https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20190527&ng=DGKKZO45212770U9A520C1TCJ000

*3:品質偽装などはその典型だし、先般話題になったNGT48の話なども、本来は中できちんと処理すべき話だと思う。

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