初めての「緊急事態宣言」と交錯する思惑と。

遂に、2020年4月7日の夕方、新型インフルエンザ等対策特別措置法32条に基づく「緊急事態宣言」が、この国で初めて発令された。

昨日からアドバルーンを打ち上げ続け、昨日の夕刊、今朝の朝刊、今朝の夕刊、そして、一日中ニュースをジャックした末に、明日の朝刊で大々的に・・・と、発令に至るまでの経緯は、極めて広報効果が高いものだったし、午前中から発令の時に至るまでかなり念入りに手続きを踏んだ、というところもきちんとアピール。

「緊急事態宣言」といっても、所詮は「自粛要請」に過ぎないわけだから、発令前に散々言われていたとおり、これが出たからと言って、憂いている人々が多い「感染者の広範囲な移動」を封じ込められるわけでもないし、一部の人々が懸念するような「私権の制限」が現実になるわけでもない。

ただ、いざ発令となったタイミングでは、実に多くの飲食店、高級小売店や娯楽施設が、雪崩を打つように続々と長期にわたる休業を発表。

さらにこれまで「在宅勤務(もしてます)」的なスタンスで体裁を取り繕っていた会社がかなりの部分で「本気の在宅勤務」に切り替えたり*1、不要不急の裁判期日*2が全て飛んでしまったり、と、そこまでやるか?と思わせるような意外な展開になっている。

既に「COVID-19」問題が日本をざわざわさせ始めてから2か月以上。

実のところ、世の中には今日に至るまで、「自粛」に飽きたと街に繰り出した人々の数より、「引きこもりたいけど、諸般の事情でこもれない」人々の方がはるかに多かったんじゃないか、と思わせるような状況もあった。

本当は会社になんて行きたくないけど、上層部がうだうだ判断しないものだから、毎日気もそぞろで会社に足を運ばざるを得ない。先週来の都内の感染判明者数の激増や、馴染みのある芸能人の不幸なニュースで職場の空気もざわつき始めているのに・・・という不満が溜まっていた会社にとって、この「緊急事態宣言」は、何かを切り替える絶好の機会だったはずだし、目に見えて減りつつあった都会の通勤電車の乗車率は、明日以降また一段と下がることだろう。

そして、営業を続けても人件費で赤が出るだけなのに、お客さんの期待もあって、なかなか営業を止めるに止められなかった多くの事業者にとっても、今回の「宣言」は、出血を最小限に食い止めて反転の機が来るまで耐え抜く、という暫しの撤退戦に踏み切るには千載一遇の機会だったといえる*3

とはいえ、ちょっと前まで「震源地」だった東京都よりも、ここ数日はその周辺自治体だったり、大阪、福岡といった別の主要都市圏の感染判明者数増加のニュースの方が目立つようになっているし、バスに、新幹線に乗って「東京からの避難者たち」が全国に拡散することで、感染者分布が変わってくる可能性もある。

何よりも、「緊急事態宣言」が効いて、電車の中の混雑度が下がり、街中の人口が減れば減るほど、対象都市が安全になる、という皮肉な現象が起きるわけで、「これまでひたすら家の中に引きこもっていたが、今日の宣言を境に街に繰り出す人*4」が、実は一番の「勝ち組」なのではないか、と思えるようなところすらある。

ただ、常に心に留めていないといけないのは、目先の感染判明者数の増加スピードが多少落ちたからと言って、「新型コロナウイルス感染症」が完全に克服できる疫病になるわけではないし、一度ペースが落ちて気が緩んだ瞬間に、再びの感染爆発が起きる可能性も全く否定はできないということ。

したがって、「5月6日」をもってきれいさっぱり元通り、などということは到底期待できない、ということも覚悟しなければならないだろう。


この類の「非常時」が長期化すればするほど、消えていくものと浮かび上がるもの、世の中での明暗が浮き彫りになっていく、という構図は、昔から決して変わることはない。

「大震災」の時も、「リーマン」の時も、さらに遡って「バブル」だの「オイルショック」だの、という激変の最中でも、アクシデントを味方に付けた者と、「あれさえなければ」に泣かされた者、そういう悲喜こもごもは必ずあった。

で、今の嵐が全て去った時、自分はどっち側にいるのか。それを考え出すと、ウイルスに感染する恐怖以上に背筋が凍る。

そもそも、今目の前にあるのは、社会的評価とか経済的成功「以前」の話なわけで、自分とて街を歩けば、常に「感染」のリスクにさらされている(いや、もしかしたら既に感染して体内に爆弾を抱えているのかもしれない・・・・)、という点では他の人々と全く変わるところはないし、呼吸器系のハンデ、という点では、むしろ重症化した場合の死亡確率はかなり高い方に入るだろう。

だから、このまま引きこもって嵐が過ぎるのを待つ方が、長生きできる確率は、はるかに高くなるのだろうけど・・・。

こんな時だからこそ、「こういう時でなければできないこと」、「こういう時だからこそ経験が生かせること」はたくさんあるわけで、それをやり切るまでは退くわけにはいかねーよ、というのが今の率直な思い。そして、今やるべきことに没頭している限り、その後に沈むのか、浮かび上がるのかなんてことは正直どうでもよくなるわけで、些末な思惑を超えて、これからの未知の数か月間を泳ぎきることだけを今は考えたいな、と思っているところである。

*1:自分が一番驚いたのは、ついこの前まで「自粛」とは全く無縁のように思えた日弁連の事務局まで窓口業務をやめて一斉に在宅に切り替えてしまったことだろうか。

*2:それを言ったら、ほとんどの民事紛争が、客観的にみれば「不要不急」だったりするのだが、現実にもそれに近い運用に切り替わったようである。

*3:こういう時に一番つらいのは、需要が明らかに落ちているのに、それまでと同じように営業をし続けなければいけない事業者で、企業の生死を分けるのは売上高の多い少ないではなく、利益の多寡、入ってくるキャッシュと出ていくキャッシュの差異なのだから、どうあがいても損益分岐点をクリアできない状況になれば「閉めるが勝ち」というのが現実だったりする。もちろん、一時的に失われる雇用もあるのは事実だが、一方で、ひとときの「特需」が生まれている業界もあるし、そこにうまくシフトできなくても今のような状況下では「個人」に対する救済はそれなりに手厚いので、暫ししのいで、次の機を伺うくらいの心持ちで乗り切るのが肝要なのではないかな、と思わずにはいられない。

*4:繰り出したところでそんなに楽しいあれこれが待っているわけではないのだが・・・。

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