昨年の終わり頃からじわじわと広がってきていた新型コロナの波。
11月の半ば頃には、既にこれまでで一番の感染判明者数がカウントされていたような状況だったから、12月に入った時点で「そろそろモード切り替えないとまずいんじゃないの?」と思ったのは自分だけではなかったと思うのだが、どうにもこうにもお上の動きは鈍く、昨年のうちにできたことと言えば、正規の愚策「Go To トラベル」を一時停止したことくらい*1。
当然ながらその程度で緩んだ空気が元に戻るわけもなく、年末はあちこちで忘年会、年始は帰省の動きこそピークダウンしたものの、「親戚囲んで宴会」といった動きは都内でも結構あったし、大家族主義、地縁主義が未だに残る地方に行けばなおさら、ということで、年明けの発症者が本格的に検査を受け始める前の段階で既に1日の感染者数は5,000人近くに達している。
都道府県知事と官邸が押し合いへし合いした結果、ようやく、「今週中にも緊急事態宣言」という動きになってきたが、実際に発出されるのは数日後で、しかもどのレベルで抑制を書けるのか、ということもまだはっきりしないものだから、仕事始めはいつも通り、その後の”軽く一杯”も予定どおり、という働きバチの姿を、今日も街中でそれなりに見かけた。
この話題が世の中に出始めてから、まもなく1年になる。
その間、「緊急事態宣言」も含め、この国だけでも二度の「波」を経験したし、海外に目を移せばより多くの対処サンプルは存在する。
だから、その気になれば、ここまで来る前により効果的に拡大を止めることはできたはずなのに、それをしなかったのは、「武漢や欧米諸国で起きた大惨事に比べれば遥かにマシ」だったこれまでの状況に安心しすぎていたからなのか、あるいは、一部業界の政治的なパワーに影響されたからか。
これまで二度、何とか乗り切ったのだから今回も大丈夫、という楽観論は依然として強いし、自分もそれを無邪気に信じて良いのなら乗っかりたいと思っているが、何せ今の日本は「季節」が悪い。特に今年は例年以上に冷え込みがきつく、太平洋側は空気も一段と乾いている。仕事は年度末に向けて忙しくなることはあってもヒマになることは決してない、という気の抜けない時期がずっと続く。成人式から卒業式、会社によっては定期異動の送別会、といった「どうしてもやりたい」イベントも次々とやってくる・・・。
今は「1都3県」ばかりがクローズアップされているが、一週間後の今頃は、違うところで、都会よりはるかに医療体制が脆弱なエリアで、感染爆発が起きていても全く不思議ではないと思っているし、これまで「安心」の強調材料にされていた「かかっても(ほとんどの人は)死なない」神話が崩れて*2、20代、30代の犠牲者が出てきたり、普通に街中を歩いているだけで感染して亡くなる方が出てきてしまう、という状況が生じる可能性だって決して皆無ではないと思っている*3。
これまで、自分は一貫して、「何でもかんでも行動を制約する必要はないんじゃないの?」「常識的にリスクがありそうなところとなさそうなところの切り分けは十分できるのだから、リスクの高いところだけ封じる方向で施策を打つべきではないの?」というスタンスで度々エントリーを書いてきたし、現時点においてもそのスタンスは変わらない。
ただ、今度ばかりは心してかからないといけないような気がするし、少なくとも素人目で「リスクがない」と断言できるような場所を探すのはかなりの苦労になりそうだな、ということも覚悟しているところである。
ちなみに、どこを見回しても首をかしげたくなるような意見が飛び交うことが多いこの話題*4に関して、自分が一番信頼を置いているのが神戸大学の岩田健太郎教授で、(感染症の世界には縁もゆかりもない自分は一連の新型コロナの話が出てくるまでこの世界の専門家、と言われる方々を全く存じていなかったのだが)放送大学の解説講義での話の分かりやすさだとか、春先に出されていた新書*5で書かれていた危機管理の要諦に関するくだりに分野は違えど共感するところが多かったこともあって、昨秋に公刊された光文社の新書も手元に持っていた。
- 作者:岩田健太郎
- 発売日: 2020/10/14
- メディア: 新書
この本が書店に並んだ頃には、ちょうど「第2波」も沈静化していた頃だったから、当座のことで気になる何か、のために買ったというよりは、昨年の春から夏にかけて起きていたことを振り返って頭を整理するために手に入れた、というのが実際のところだったのだが、今、まさにこういう状況になってくると、この本に書かれている警句がひしひしと迫ってくるような気がしている。
岩田教授は、「ロックダウンがCOVID-19対策に非常に効果的」ということを主張しつつも、副作用の大きさゆえに「安易に取られるべき手段でない」ということも強調しており、
「ロックダウンというきわめて強力な『先回りする』方法は、それ以外の方法が存在しない場合の『最後の手段』として残しておくべきです。逆に言えば、ロックダウンしか取る手がない、というギリギリのところに追い詰められた状況にいかに陥らないかが大事なのです。」(99頁、強調は著者によるもの)
と述べられているのだが、現状はまさに・・・というところもあって、これはかなり耳が痛い。
さらに、岩田教授は、次のようなことも言われている。
「ロックダウンはおろそかにやってはならない『最後の手段』なのです。が、一旦やると決めたからには、それは徹底的にガツンとやるべきだったのです。そのほうが早く患者を減らせて、早く解除できますから。」(208頁、強調は著者によるもの)
これは4月の安倍総理(当時)の「これはロックダウンではない」という姿勢を批判しつつ述べられたものだが、おそらく今回も、総理サイドからは「そこまで深刻ではない」というトーンがどこかで出てきてしまうように思うだけに、同じことが繰り返されないでほしいな、と願うばかり。
そして、極めつけはこれだろう。
もちろん、緊急事態宣言など出さなくてすむのが一番なのですが、出さねばならないときには、遅滞なく出さなければならないのが緊急事態宣言なのです。なぜかというと、ロックダウンは最後の手段であり、その手段をやり損ねたときに残された手段は唯一つ、
もっと大規模で、もっと長期的で、もっと経済的ダメージの大きなロックダウン
だからです。
経済に配慮してロックダウンをやり損なう、というのは、より大きな経済ダメージをもたらしますから、これは下策と言わざるを得ないのです。
(209頁、強調筆者)
最後の一言に関してはまさに同感だし、一部の業界の事業者の延命目的で小金を稼がせようとして足元に目を瞑り続けた結果、もっと大きなものを失うリスクを負うことになりかけているのが今の状況だというほかないので、ここは何としても毅然とした姿勢で・・・と思わずにはいられない。
こういう状況になると、昨年末、一足早く「冬休み」に入るくらいの感覚で予防的な措置を取っていてくれたなら、新年はもう少し気持ちよく迎えられたのに・・・という恨み言がどうしても出てきてしまうのだが、それを言っても仕方のないこと。
今はとにかく徹底的に人々の接触の機会を減らす。そのためにできることは何でもやる。
「個」が弱い、何となくでも群れたがる、そして同調圧力に流される・・・、そんな日本人の弱いところが徹底的に突かれているのが昨年来のCOVID-19禍だと思うのだが、これまでの様々な感染症の歴史を見ても、「一番大きな山が最後の山」となるケースも決して少なくないだけに、まさにここが勝負、とばかりに、心を鬼にして徹底的な政策が打たれることを、今は心の底から願っている。
*1:止めるのが、遅すぎる。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~参照。
*2:少なくとも今週中には死者数が3ケタを超える数字になっても全く不思議ではない。
*3:医療機関が崩壊する、という話はよく出てくるが、それ以前に感染者が爆発的に拡大することで、これまでリスクが低いと思われていた層からも確率的に悲劇が起きることだって考えられる。
*4:特に「経済」を売りにしたソーシャルメディアで「経営者」を名乗る人々が、感情に任せた”とんでも”コメントを連発しているのを見ると、新型コロナ対策以前に日本の経済が伸び悩んでいる理由も分かるような気がする。