最後は一人ひとりの判断なのだ、という話。

ゴールデンウィーク」という単語より「STAY HOME」という単語の方が飛び交う機会の方が多かった月末を超えて、いよいよカレンダーは5月に改まった。

例年ならこの時期、都内の中心部だと、年末年始と並んで人がいなくなることもあって、ポカポカ陽気の中、穏やかに過ごせることも多かったのだが、今年に関しては到底そんなことは期待できない。

4月の終わりまで続いた冬の名残は去り、天気だけは上々なれど、夕方街に出ると、どこから湧いて来たんだ・・・と言いたくなるくらい、まぁまぁ結構な人波。

ここしばらくは、「さすがに緊急事態宣言下だとこうなるよね」というくらい人とすれ違う機会も少なかったはずなのだが、なぜか今日は、生活必需品を売っているスーパーやコンビニは常に人波が絶えない感じだったし、4月中はシャッターを下ろしていた飲食店が「復活営業」を開始、これまたしばらく閉まっていた学生向けの不動産屋や携帯電話ショップまで開いていて、いよいよ宣言解除を待たずに経済活動再開か?と突っ込みたくなるような変わりようだった。

もちろん「人波」といっても、レジ前で行列がびっしりできるほどではないし、空になっている食料品や酒類の棚が多かったところを見ると、「今日大量に買い出しして明日以降ひたすらこもる」という覚悟で買い出しに来られた方も多かったのだろう。

また、営業している飲食店も、営業時間を短縮した上で極力テイクアウト、といった制約条件の中、地元のために何とかサービスを!という思いで開けてくださっているのだろうから、感謝こそすれ、「自粛を!」と叫ぶような無粋な真似をするつもりは毛頭ない。

むしろ、ここ数日、「緊急事態宣言」の解除タイミングをめぐって、「もっと延ばせ」とか「これ以上延ばすと経済活動が!」とかいった、極めて非生産的な論争が繰り返されていることに辟易していた身としては、上記のような一連の光景がとても新鮮に映ったし、そうだよね、お国や自治体の「宣言」如きで市民の行動が一から十まで拘束されるわけではないんだよね、ということを改めて感じて嬉しい気持ちになった、というのが素朴な感想だったりもする。

今や、「ソーシャル・ディスタンス」は世の中にかなり浸透していて、カフェや小売店のレジ前の行列はもちろんのこと、何も印を打っていない電車の中ですら座っている人は隣を一席ずつ開け、それ以外の人は空いている席に座らず距離を置いて立つ、という美しい秩序が保たれている*1

ついちょっと前までは気になっていた「家族連れの買い物」も、最近は見かけることが少なくなり、ようやく市中でも手に入るようになってきたマスクで完全防備して、整然かつ黙々と必要なものをかごに放り込む、という買い物スタイルが一般的になってきた*2

もしかしたら、「うちの地域じゃ全然まだまだ」という突っ込みがあるのかもしれないし、「今くらいの人出なら、リスク回避しながら生活できるけど、これ以上外に出る人が増えたらもう無理」という指摘も一理はある。

ただ、大事なのは、未だに一日100人以上の新規感染者が判明する油断できない状況の中で、そのリスクを認識しつつ、一人ひとりが自分の求める生活のあり様とのバランスをどうとっていくかを日々考え、そしてギリギリまでできることの可能性を追求していくことだと自分は思っている*3

リスクをわきまえず、自分の欲望のまま、あるいはいきがって無駄なアクティブさを発揮するのはただの蛮勇に過ぎないが、過度に恐れすぎてできることの可能性を追求することさえせず、家に引きこもってネットで「自粛警察」が如く振る舞うのも決して褒められた話ではない。国や自治体から出てくる端折り過ぎたメッセージに盲従した結果、フラストレーションをため込んでしまっては意味がないが、逆にいちいち批判してSNSで噛みついたところでそのフラストレーションが解消されるわけでもない*4

その中間でバランスをとるのは決して簡単なことではないし、自分もツボにはまるポイントでは、時々、というか、しょっちゅうスタンスがブレる*5

それでも、日々、いかに伝染らないようにするか、万が一の場合でも、自分の家族以外には「再生産」しないように振る舞うか、ということを最優先に、次いで、こんな状況でも自分が役に立てるところでベストパフォーマンスを発揮できるように、ギリギリの範囲でできることをやる、ということを日々必死に考えていれば、まぁ世の中にマイナスインパクトを与えることはないだろう、と思うし、このややこしい日々も気付いたときにはやり過ごせているような気がする。

そして、未知のウイルス、かつ、「病気」という不可抗力事象が相手とはいえ、(経済的な側面も含めて)やっぱり最後の最後に「生死」を分けるのは自分自身の判断の積み重ねだ、ということは、もっともっと強調されてしかるべきだ、と思うのである*6

*1:時々そこに割り込んで座ってくる輩がいるが、大概車内から一斉に冷たい視線を浴びせられ、あたかも女性専用車に間違って乗り込んでしまった男性のようにタイミングを見て席を立つことになることも多い。

*2:これも時々、周りを見ずに特定の棚にへばりついたり、店内を逆走して至近距離をすれ違ってくる人がいたりするのだが、そういった人々をかわすテクニックも含め、この短期間の間に、多くの人がプロフットボーラー顔負けの空間処理能力と機敏な危機回避能力を身に付けた・・・ような気がする。

*3:感染拡大初期の頃は、その基盤となる情報がない、考えるための材料がない、という状況もあったりしたのだが、既に2か月経過する中で、そういった「判断」をするための材料はかなり整ってきている、と思うだけに。

*4:時の政権の対応なり、自治体首長の対応なりをしっかり検証して評価することは当然必要だが、それで思うところがあるなら選挙で民意を示すしかないのだから、それ以上のことに時間を費やすのはまぁ意味は乏しいかな、と思うところはある。

*5:端的に言えば、仕事に関しては徹底して「家でやれ」(通勤するな)になることが多いし、逆にプライベートの時間の飲食に関しては「頼む、もっと店を開けてくれ」になる。それ以外はだいたい中立かな、と思っているけど。

*6:もちろん、これを「自己責任」といった表現で片づけてしまってはいけないのだけど、非常時であればあるほど、一人ひとりが「考える」ことをしなければ何も始まらないのだ、ということは、専門家会議の岡部信彦氏へのインタビュー記事の中でも語られていたことで(https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-okabe-5?utm_source=dynamic&utm_campaign=bfsharetwitter)、自分も共感するところが多かっただけに改めて強調しておきたい。

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