最近の法律雑誌より~法律時報2020年7月号

なかなかゆっくりと情報をインプットする余裕もない今日この頃だが、先月末発売のこの雑誌のこの号に関しては、やはり書かないわけにはいかない、ということで、先週のジュリストに続いてエントリーを上げることにした。

小特集のテーマがピタリとはまったのもさることながら、前号から続いた特集も読みごたえあるし、それ以外にも刺さる論稿がいくつもある、ということで、少々時機を逸しているのは承知の上で、以下ご紹介することとしたい。

小特集 著作権法改正の法的課題とその分析

この号に関しては、やはりこの小特集から取り上げないわけにはいかないだろう。

何よりも興味深いのは、冒頭で企画趣旨を紹介しているのが深町晋也・立教大教授であり、「刑法的観点からの分析」がメインの特集になっている、ということ。

素材とされているのが、リーチサイト規制であり、違法ダウンロード規制である、ということに鑑みれば、なるほど、というところではあるのだが、諸方面に配慮した結果の”複雑すぎる条文構造”や、「特別な主観的要件」等、今回の改正で取り込まれた様々な仕掛けをトラディッショナルな立場(特に刑法的観点)からどう評価するか、ということを正面から議論する論稿に接する機会はこれまで少なかっただけに、改めて有益な知見をいただけたような気がする。

新進気鋭の研究者が書かれている各論稿の中で、共通して取り上げられているトピックをまとめると以下のようになるだろうか(引用箇所の強調は自分が付したもの)。

「知りながら」要件(著作権法30条1項4号、2項、119条3項2号、5項)について

いずれの論者も、立法趣旨に照らして「知りながら」要件を厳格に解すべき、という点では一致しているが、刑法学者からは「伝統的な刑法学の観点から」一言、二言加えられているのが印象的。そして、前田准教授の警鐘も十分理解できるところだけに*1、これからの当局の運用をいかに謙抑的なものに留めさせるかが重要、ということをひしひしと感じさせる中身になっている。

◆深町晋也「著作権を巡る強制と自制のあいだ」法律時報92巻8号69頁
「このような規定によって、本当に確定的な故意がある場合や確定的な違法性の意識がある場合に限って処罰が限定されると言えるのかは、・・(中略)・・なお不明確であると言わざるを得ない。というのは、その文言のみに着目すれば、『重過失の場合には故意を認めない』という、少なくとも我が国の刑法学においては自明とされる内容を規定したに過ぎないようにも読めるからである。したがって、刑法学の立場から言えば、このような文言を選択したことには疑問の余地が大きい。」(73頁)*2

◆西貝吉晃「令和2年著作権法改正の刑法的検討」法律時報92巻8号77頁
「ここでは『著作権侵害』という規範的な要素を含む有償著作物特定侵害複製であることを『知る』ことの意義が問題になる。」
「規定文言だけからは、未必の故意事実認識)で足りると解釈することも不可能ではない(略)。故意と重過失は異なるから、重過失では足りないという条文を入れたところで、『知りながら』を未必の故意で足りると解することが文理上はなお可能である。しかし、立法過程や外国法の議論に照らすと、(仮に刑法学においては原則的なものだとしても、)そのような緩やかな解釈は許されない。」(以上82頁)
「他の要件もあわせ考慮すると、本罪は事実上、著作権者が検挙の初動のほとんどを握って積極的に行動することにより初めて、犯罪成立要件に該当することが判明するような犯罪類型だともいえる。もっとも、この帰結は妥当なようにも思われる。なぜなら、まず、海賊版対策の観点からはアップロード者を原則処罰すべきだともいい得る。さらに、このような要件解釈は、捜査機関ではなく、主に著作権者のイニシアティブによりハードローの利用に移行することを促す側面を示しており、寛容的利用等により形成される原則的なソフトロー秩序と整合・調和しているといい得るからである。」(83頁)

前田健「侵害コンテンツのダウンロード違法化」法律時報92巻8号84頁
「立法担当官の意図としては、『知りながら』を充足するには違法性の意識を『確実に』備えている必要がある。法的評価を含む概念である『特定侵害複製』であることを『知りながら』という文言及び本来必要のない重過失と故意は異なるとの注意規定をわざわざ置いたことから、そのような解釈が導かれるということであろうか。極めて厳しい解釈であり証明はかなり困難と思われる。一方で、それが故に、逆に有名無実化してしまうことも懸念される。」(89頁)

リーチサイト規制における親告罪規定について

ここでも、本来、「社会的法益に対する罪」と考えられていたリーチサイトの公衆提示罪が「親告罪」とされたことについて、刑法学的観点からの指摘が投げかけられている。
その一方で、最終的には「寛容的利用」の観点から今回の制度設計の妥当性を説明する、という流れになっている点で共通しており、5、6年ほど前はまだ決してメジャーではなかった「寛容的利用」という考え方がここまで頻繁に使われるようになった、ということに対しては、一種の感慨すら湧いてくるところである*3

◆前掲深町論文
「処罰規定を導入することで、国家刑罰権(強制力)を背景とした権利保護を図りつつも、インターネット利用者に対する過度の萎縮効果を回避するために、権利者による自制を前提にした一種の『セーフガード』を設定するものとして親告罪規定が用いられている、と分析することができよう。」
「このような親告罪規定のあり方は・・・(中略)・・・いわゆる『寛容的利用』に資するものと言える。とはいえ、従来の親告罪に関する我が国の刑事法学説においては、このような著作権法における親告罪規定のあり方をどのように評価すべきかについては、なお十分な分析がなされていない。」(71~72頁)

◆前掲西貝論文
「現実の被害者全員が告訴しないと告訴が有効にならない、という考えも採ることはできない。告訴の客観的不可分の原則の理解からも、複数いる告訴権者のうち誰かが告訴すれば公衆への提示罪についての告訴は有効である、と解すべきだからである。」
「ただし、裁判所の審理においては、告訴者についてのみ本罪についての告訴が有効であるから、例えば量刑判断において、告訴していない者の著作物に関する被害まで算入して判断することは許されない、と解される。こう解することで、リーチサイト撲滅を謳う改正法の趣旨と無許諾利用を黙認することによって形成されている私法的秩序(寛容的利用」とのバランスが図られるのではないか、と思われる。」(79頁)

このほかにも、リーチサイトに関して過剰差止の問題や、幇助論精緻化の必要性を説く谷川和幸「リーチサイト規制」(法律時報92巻8号91頁)に、情報法の観点からハイパーリンクの「表現の自由や知る権利を支えている」機能を重視し、リーチサイト規制の謙抑的な運用を求めるとともに、事実上のものにすぎない「寛容」の不安定さを指摘してフェアユース規定導入の可能性を示唆する成原慧「海賊版対策のための著作権法改正及び関連する取組の意義と課題」(法律時報92巻8号96頁)と、全て読み応え十分すぎる論稿だった、ということは、改めて強調しておきたいところである。

骨太なテーマだからこそ、骨太な議論が良く似合う。それを十分に堪能させていただくことができたのは、ありがたい限りである。

その他の特集、記事より

さて、小特集の紹介にかなり力を入れてしまったので、以下はダイジェストでお送りするが、冒頭でも言及したとおり、前号から続いていた「特集 平成の立法と判例(下)」も、引き続き刺激に満ちたものであった。

豪華メンバーによる座談会は、最初から最後まで「グローバリゼーション」をテーマにしていた前号とはうってかわって、景気の長期低迷、情報化の進展、少子化・高齢化の進展といったトピックに合わせて「平成30年間」の様々な動きが結び付けられていて、ああそういえばそんなこともあったなぁ・・・と思いながら眺めるにはうってつけだったし、さらに古田佑紀、寺田逸郎という刑事法、民事法の立法に関与された元最高裁判事へのインタビュー記事も、ところどころに生々しい話も出てきていたりして、最後の年表と合わせて様々なものを振り返るにはちょうど良い企画となっていた。

また、その他の論稿の中で印象に残ったのは、会社法系の先生方が書かれた2本で、まず、巻頭の「法律時評」の舩津浩司「コロナ禍が示す株主総会の未来像」(法律時報92巻8号1頁)が、新型コロナ感染拡大下での株主総会当日の会合(物理的会合)への参加株主数を制限した開催形態(入場制限)に関し、以下のように書かれていたところが、非常に「ツボ」にはまった。

株主総会としての意思は、議案に対して投じられた賛成票の多寡で決せられるということを所与とする限り、意思決定機関としての株主総会にとって、物理的会合は本質的な要素ではないといえよう。そして、複数の議決権行使チャネルが認められ、かつ、大多数の議決権行使が物理的会合以外のチャネルを通じたものであるという現在の上場会社の株主総会の現状に鑑みれば、物理的会合を本来的な意思決定の場と捉えて制度を組むことの合理性は乏しいといわざるを得ないだろう。」
「これまで、物理的会合という、上場会社においては相対的に影響力の小さなチャネルにおける処理を雛型として、株主総会の規律全般が論じられていたため、結果として上場会社の株主総会運営に非効率性を生じさせてきたことは否定できない。」(以上2~3頁)

「法律時評」というコーナーの性格を考慮しても、会社法の先生としてはかなり思い切った見解だと思うし、さらにそこから進んで会社法制度の見直しの必要性まで示唆するこの論稿にささやかな希望を抱いた読者は自分だけではないだろう、と思っている。

そして、最後に、いつもながらにユーモアを交えつつ尖った指摘となっている得津准教授の論稿(得津晶「企業における行動学的転回(behavioral turn)と消費者取引規制の在り方」(法律時報92巻8号116頁))も必読のものとして取り上げておきたい*4

企業側の行動に「行動経済学の知見を活用」することでより多くの法的介入を正当化できないか?という問題提起から始まるこの論稿は、

「どうもこの領域では行動経済学が規制大好きな法律学者の精神安定剤になってくれる可能性は低そうである。」(121頁)

というシニカルなオチで締められるのであるが、そこに至るまでの分析過程には、何度となく唸らされるところも多いだけに、是非手に取ってご一読することをお薦めしたい*5

*1:前田准教授は、論稿の最後で、「寛容的利用」に言及しつつ、「本改正を巡る議論は、このバランスが極めて脆弱であったことを浮き彫りにしてしまったように思われる。刑事罰が広く科され得る状況のもとでは、寛容的利用の持続可能性は疑わしい。本改正案では幸い刑事罰の範囲は限定的な範囲にとどまったが、本来であれば、著作権法における刑事罰一般について見直しを行うべき時が来ているのかもしれない。」(90頁)とまで述べられている。

*2:なお、深町教授はこのように述べながらも、「このような『文言解釈』が立法担当者の意図に反したものであることは明らかであり」、「このような規定を導入した意義がおよそ没却される」として、後記西貝論文と同じ立場に立つことを明らかにされている。

*3:そして、まだ目を通していないL&T87号の田村善之教授の論稿にも目を通さねば・・・という思いにさせられるのである。

*4:最近、一連のコロナ禍下で、従来の常識では説明が難しい消費行動や取引変容に接することが多いこともあって、自分もちょうど行動経済学にはまり始めたところだっただけに、なおさらツボであった。

*5:さすがに分野が分野だけに、自分が下手な解説をするのは憚られる・・・ということもあって、”逃げている”といわれればそれまでなのだが。

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