「7年」という月日が変えたもの、変えなかったもの〜中山信弘『著作権法』〔第2版〕より

東大の中山信弘教授(当時、現・名誉教授、明治大学特任教授)が、待望の概説書『著作権法』を世に出されたのは、2007年10月のことであった。
自分などは、序文から既にほとばしってくる、著者の熱い思い(混迷する著作権制度への憂いと、新しい時代に対応するための「あるべき姿」に向けられた解釈論、及び立法に向けた思い等)に圧倒され、「これを精神的支柱とすべきである」というようなことを、このブログの書評に添えて書いたものである*1

それから7年。

初版が多くの知財関係者の「待望」が積み重なった末に世に出たものであることを考えると、当時の感覚を知る者にとっては、「もう第2版が出るの?」という印象の方が強かったりもするのだが(笑)、冷静に考えれば「7年」というのは決して短い時間ではない。

著作権法の世界だけを眺めても、平成21年、平成24年と、2度の大きな改正を経ており、〔初版〕で中山教授が投げかけた“現行著作権法への宿題”に、立法、司法サイドがきちんと応えられているのかどうか、というのが問われる時期に来ていると言える。

そんな、絶妙なタイミングで世に出された『著作権法』〔第2版〕の中で、〔初版〕と比べて、何が変わり、何が変わっていないのか。
まだ、精読、というには程遠いレベルで眺めた段階に過ぎないが、以下では、自分なりに気が付いたところを中心にご紹介するとともに、本書の魅力について少々語らせていただくことにしたい。

著作権法 第2版

著作権法 第2版

「はしがき」に示された現在の視座

「初版」でも感じたことだが、本書の「はしがき」は実に格調高く、そして、著者が描こうとしている内容を端的に示すものになっている*2

中山教授は、「この7年間における著作権法を巡る変化」を、「デジタル技術、それに伴うネット環境の変化には凄まじいものがあり、果たしてベルヌ条約を基礎に出来上がっている現行著作権法システムがこの変化に耐えうるのか、という疑問が湧くほどの変化」(はしがき1頁)と評した上で、

「この7年間でその憂鬱*3の程度はますます大きくなってきた」
「この7年間で著作権法の基本的構造は変わらない。変わったのは社会のほうである。その結果、法と実態との乖離が大きくなりつつある。」
(以上、はしがき1頁)

と、冒頭から問題意識を再び投げかけている。

そしてこの7年間の保護強化の動きと、「ネットにおける自由」を求める動きの双方を紹介した上で、「金になるというインセンティブだけでは説明できない経済」等にも言及し、さらには、「プラットフォームが確実に巨大化し、寡占化した」ことが、今後の著作権制度に更なる大きな変化をもたらす可能性を指摘した上で、本書の視座を以下のように説明されている。

「このような『著作権の憂鬱』の時代に、法学者としてはいかにあるべきか、迷いの生じるところである。この混沌たる状況を背景に新たな方法論で社会を斬るべきか。あるいは著作権の世界は混沌としているが、著作権実務は現行法を下に粛々と動いており、そこでは条文と判例を前提とした学説が求められている。この二つの間で板挟みになり、ややもすると学問的な羅針盤を見失いそうになる。しかし、気を取り直して、本書では解釈論を中心とした旧来型の教科書を書くことにした。ただ解釈論をするにあたっても、常に社会の変化を頭の片隅に置き、進路を過たないように気を配った積もりである。」(はしがき3頁)

少し長めに引用させていただいたが、それは、この一節が、「初版」に比べて、著者の“苦悩”がよりストレートに表現され、将来の変化を見据えた解釈論もよりグレードアップした「第2版」の特徴を如実に表している、と考えたからである。

「初版」と比べて、章立て(第1章〜第8章)こそ同じながら、本文のページ数が、523頁から667頁と実に150ページ近くボリュームアップした、その実質がどこにあるのか、ということについて、以下、引き続き見ていくことにする。

パッチワーク的個別権利制限規定追加立法への痛烈な批判と、フェアユースをめぐる歴史的な「改説」

今回の「第2版」で、もっとも多く筆が加えられているところはどこか、と言えば、やはり、第3章第4節の「著作権の制限」と題する章(281頁以下)であろう。

初版が世に出た平成19年の時点では、「フェアユース」や「パロディ」を含めても29項目に留まっていたこの章の項立ては、平成21年、平成24年の2度の法改正を経て、実に「40項目」に増加した。ページ数も76ページから129ページへと、実に50ページ以上、ボリュームアップした*4

この7年ほどの著作権法制度をめぐる議論が、デジタル化によって得られた利便性を最大限享受しようとするユーザーサイドのアクターと、それを何とかしてコントロールしようとする権利者側のアクターとの間の利害調整に費やされていること、そして、そのために、権利制限規定の存在意義がますます増している、ということを考えると、これは全く不思議なことではない。

そして、そんな状況を何年も前から見通していた中山教授は、改正で新たに加わった項目だけでなく、総論部分の「(1)権利制限の本質」の記載や、従来から存在する権利制限規定の解説にも、相当手を加えられている*5

多くの方がブログでの書評やSNSのつぶやきの中で述べられているように、この「第2版」の最大のハイライトは、何と言っても、フェアユースの項において、

「あらゆる制度の効果には両面があり、慎重な検討が必要となる」(初版・308〜309頁)
「現段階にいては(ママ)フェアユースを正面から採用することは困難であるように思える。」(初版・309頁)
フェアユースの規定を設けるということは、問題が生じたら司法判断を待つということであり、遠い将来は別として、現状においては、多くの国民の望むところではないように思える。」(初版・310頁)

という初版の記述が、

「技術革新の激しい時代においては、必要に応じて権利制限規定を設けるのでは間に合わず、早急にフェアユース規定を設ける必要があると考える」(第2版・395頁)
「デジタル技術の発展により凄まじい勢いで変化を遂げつつある著作権法の世界において限定列挙には限界があり、フェアユース規定は、単に従来の法でも解釈可能なものを救済するという消極的な作用だけではなく、著作権法と大きく変化しつつある社会の実態との乖離を埋める積極的な役割も果たし得るものである」(第2版・398頁)

と、ドラスティックなまでに改められたことであろう*6

そして、初版において、中山教授が抱かれていた、

「わが国は制限規定の法改正を頻繁に行っており、そのような状況にあれば、フェアユースの導入よりも、立法的解決のほうが優れているという面もある。」(初版・310頁)

という「立法への期待」が、この7年間の間にいかに裏切られたか、ということは、この7年間で新たに加わった権利制限規定に向けられた痛烈な批判的記述の中に、十分すぎるほど描かれている。

付随対象著作物の利用(30条の2)
「30条の2の規定は余りに多くの要件を加えてしまったために、硬直的な不当な判断を招く可能性があり、従来であれば解釈で合法とされる可能性のあるものまで、明文の規定を設けることにより、白黒をはっきりさせてしまった感がある。つまり本条はグレイの部分を可能な限り排除しようとする立法であり、柔軟な解釈を可能とするフェアユースの考え方とはベクトルが全く逆である。」(308頁)

検討の過程における利用(30条の3)
「厳格な要件を定めると反対解釈を招くことは当然であり、30条の3で一部の利用についてのみ規定をしたということは、却って混乱を招くおそれがあり、何故に審議会報告書に反し、このようなミスリーディングな限定要件を定めたのか、理解に苦しむ」(309頁)

技術の開発または実用化のための試験の用に供するための利用(30条の4)
「審議会報告書ではより包括的に記載されていたが、具体的な条文化にあたりかなりの限定が付加されており、今後の技術の発展を睨んだ規定とは思えない」(310頁)

インターネット情報検索エンジン・サービスを実施するための複製等(47条の6)
「本条のような細かな要件を定めると、たちまちにして時代遅れの条文と化してしまい、それは新たなネット・ビジネスの障害ともなりかねない。技術進歩が激しいため、現在現れている問題だけを解決するための細かい規定を置くことが、デジタル時代にはいかに危険であるか、ということを如実に物語っている。」(380〜381頁)

・・・といったところになるだろうか。

上に挙げたような内容は、これまでに中山教授が書かれた論稿や座談会等での発言の中にもたびたび登場していたものであり、内容それ自体にはそんなに意外感はないのだが、「概説書」の中にしっかりと収められる、ということになると、やはり重みが違う。

本書全体から伝わってくる中山教授の法解釈のスタイルは、条文の文言に極めて忠実、かつ厳格なものであるように思われ*7、そういうスタイルが、現行法の「醜い個別権利制限規定の山」(401頁参照)から導かれる解釈だけでは、現実とのギャップに対応できない → よりドラスティックな権利制限規定を新たに創設する必要がある、という論理に結びついているのも事実であるが*8、それでもなお、本書の中での著者の一連の記述が、今後の立法に大きなインパクトを与えることは、想像に難くないところである。

クラウド時代を見据えた侵害主体論

権利制限規定に関する記述と並んで、本書でかなりの加筆、修正が加えられているのが「侵害主体」に関する解説である。
初版では8ページしかなかった記述が、「第2版」では16ページ、と割かれるページ数は倍増した。

この背景にあるのが、初版発行後の7年の間に出された、まねきTV、ロクラク2の両最高裁判決の存在であるのは言うまでもないところで、新たに書き加えられた記述の多くは、両判決の「影響」に関するものである。

中山教授は、侵害主体を規範的に拡張する判例法理(いわゆる「カラオケ法理」に代表されるもの)に対しては、比較的寛容な姿勢を示されており*9、例えば、

「侵害主体を規範的に捉え、主体の範囲をある種の教唆・幇助者にまで拡張するという理論には、具体的妥当性という観点からは同調すべき面もある」(616頁)
「差止請求を受ける人的範囲をある程度拡張することには大方の賛同が得られるであろう」(618頁)

といった記述は、「第2版」においても大方維持されている。

ただ、「第2版」においては、前記最高裁判決の射程について、慎重な書きぶりで分析を加えつつも、

「射程を広く解釈すると今後のクラウド・コンピューティング・ビジネスにも大きな影響を与えかねない」(613〜614頁)
「今後の判決をみなければ判然としないが、この最高裁判決は、クラウドを始めとするネット・ビジネスに少なからず事実上の萎縮効果を与えているという点には注意すべきであろう。」(614〜615頁)

といった懸念が随所に表明されているところに、“新しさ”を見出すことができる。

そして、文化庁の審議会において現在議論されている様々なクラウドサービスのうち、「単なるロッカー型(ストレージサービス型)のクラウド」について、

「貸倉庫に近い存在であり、これについてまで射程を広げるようなことになると、今後のクラウドビジネスの発展を妨げることになり、わが国の経済にも大きな影響を与えかねず、クラウドへの入力はユーザー自身の入力であると解すべきであろう。」(615頁)

と断言されたことは、審議会の議論の取りまとめにおいても、これまた、大きな影響を及ぼすことだろう。

初版では「侵害主体の範囲は基本的には法で決めるべきであろう」(初版・482頁)と、間接侵害立法による解決の方向性を明確に示していた中山教授だが、その後、間接侵害規定に関する立法が、審議会で議論されながら見送られた、ということや、

「デジタル技術の発展により、情報の利用に関し、従来では考えられないような幇助的なビジネス・モデルが簇生している。多数の一般人が物理的な意味での侵害行為を行い、それを幇助するという態様のビジネスが激増しており、どのような行為を行えば侵害主体とされるのか、カラオケ法理の発展だけで予見可能性はあるのか、という疑問がある。例えばテレビの転送サービスや、クラウドによるストレージサービスのように、一般人による著作物の利用を支援するビジネスが発展し、それにより一般人による著作物利用の利便性が高くなっているが、その場合、どの範囲で幇助的な行為をなしている業者が侵害主体となるのか、判然としない。」(618頁)

といった、よりリアルな問題意識を抱かれたためか、今回は、「間接侵害に関する立法によって解決することが好ましい」と、やや迷いの入った記述になっているのは、少々気になるところではあるが、いずれにしても、「侵害主体論」が現在の社会、そしてビジネスに及ぼす影響について、かなりの紙幅を割いて書かれているのは、実務者にとっては、とても貴重なことだと思うのである。

おわりに

以上、自分もまだ流し読みレベルにとどまっているために、今回は、「第2版」のほんの一部しかご紹介することができなかったのだが、それでも雰囲気を、多少なりとも当ブログ読者の皆様にお伝えできていれば幸いである。

関連する文献や判例がしっかり脚注で引用されており、しかも平成25年に出されたものくらいまではほぼカバーされている、という現時点における新しさはもちろんのこと、時が経っても何度でも読み返したくなるような、著者の思いが十分に込められた各項目の記述*10など、本書には様々な魅力が詰まっている。

だからこそ、今、著作権に深くかかわる仕事をしている人にも、そうでない人にも、是非、本書を一度手をとっていただければ、と思う次第である。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20071016/1192578438

*2:ちなみに「初版」のはしがきも、「第2版」のはしがきの後に併記されているので、改めて読み直すと、これまた印象深い。

*3:筆者注:これは初版で一種のキーフレーズとして使われていた「著作権の憂鬱」を指している。

*4:単純に計算すると、第2版の増加ページ数の約3分の1を、権利制限規定に関する改訂部分が占めていることになる。

*5:詳細は、実際に読み比べていただいた上で、旧版とのトーンの違いや新たに紹介されている知見等を確認するのがよいと思うのだが、一例を挙げると、「3ステップ・テスト」について「従来は厳格な解釈が主流であったが、デジタル技術が発展している現在では、柔軟に解釈すべきであるという考え方が強まりつつある。」ということを紹介し、「3ステップ・テスト創設の頃と現在とでは、著作権法を取り巻く環境が一変しており、必ずしも従来の観念に固執すべきではない。」(以上283頁)といった、一歩踏み込んだ見解を述べられているくだりなどだろうか。他にも「権利制限規定の根拠」についての理由付けの充実等、力のこもった記述となっている。

*6:中山教授は、脚注219)にも「見解を改めた」旨を明確に書かれている(395〜396頁)。

*7:何かと話題となっている「自炊代行業者」の問題について「使用する者が複製することができる」という要件の解釈から、あっさりと「現行法の解釈としては違法となろう」という解釈を導き出しているくだり(288頁)や、脚注において、緩やかな解釈論を主張する池村聡弁護士の解説書の記述や、前田哲男弁護士の論文に対し、結論の妥当性は認めながらも解釈論としては疑問を呈しているくだりなどを見ると、よりその感を強くする。逆に、同一性保持権の例外規定である20条2項2号(建築物の増改築、模様替えに伴う改変)においては、そのような解釈スタンスが、条文に存在しない「嗜好による改変を除外する」という加戸逐条講義的解釈を否定することにもつながっていたりもするのであるが(2号に基づく改変の目的を制限しない、という本書著者の見解が、大阪地決平成25年9月26日(希望の壁事件)において、採用されたことは記憶に新しい)。

*8:フェアユース規定導入を巡る議論の際にも主張されたように、現実に紛争が生じた場合は、裁判所はここまで厳格に判断することなく、もう少し柔軟に解決を導くのではないか(そして、そのような解釈態度が取られる限り、あえてフェアユース的な規定を導入する必要はない)、という考え方も他方では存在し得るのではないかと思われる。

*9:もっとも、ヒットワン判決やファイルローグ判決に対しては、「解釈論としては行きすぎ」という見解を一貫して示しておられるのではあるが(初版・481〜482頁、第2版・619頁)

*10:自分は、本書が、第一人者が書かれたものとしては数少ない「読める概説書」だと思っている。